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ウリー・オルレブの『砂のゲーム』(母袋夏袋:訳 岩崎書店 ¥1200)、訳者あとがきに、次のようなエピソードが紹介されている。ジャーナリストから、「『ホロコースト』のことばかり訊ねられてうんざりしないか」と聞かれた彼は、「あなたにとって、『ホロコースト』はホロコーストにすぎないでしょうが、わたしにとって、それは、子ども時代でした」と答えるのだ。この視点はとても重要。もし私たちに「子ども時代」というものが約束されているのなら、戦時下であれ、平和時であれ、富裕層であれ、貧困層であれ、私たちはその子どもを生きている。だから、「現在のわたし、おとなの目で、過去のできごとを考えたりしゃべったりしないように(略)気をつけている」。そのおかげで、この自伝の中の子どもは生身で迫ってくる。例えばゲットーの中でオルレブ少年は弟と戦争ごっこをして遊んでいる。本物の戦争によって、彼ら自身が生死の境にいる置かれているにも関わらず。また、現在の大人の目を差し挟まないシーンとしては母親の死の部分を挙げておこう。母が病気になりゲットーのユダヤ人病院に収容されたエピソードから少しして、こう書くだけだ。「一九四三年一月
、ドイツ軍は駅まで歩けない病人を全員殺した」と。そして、この自伝には当然のごとく子ども時代のオルレブの写真が数多く収録されているが、彼自身は強制収容所ですべて失っており、それらは親戚からゆずってもらったものだという事実も、多くのことを語ってくれている。 皆越ようせいによる、写真絵本『おちばのしたを のぞいてみたら・・・』(ポプラ社 2000)は、マクロ撮影をすることによって、人間の目で、落ち葉の下の虫たちを判断しない点で、オルレブの姿勢と重なっている。これはもう実際手にとって観ていただくしかないのだが、ダニからミミズまでのウンチ(をする瞬間もある)の画像などは、私たちが失った(放棄した)リアルとは別のそれがまだ存在する(というか見逃してきた)ことを、率直に認めさせてくれる。虫嫌いの方はくれぐれも近寄らないように、とアドバイスする方がいいのか、逆にそういう人の方がこれまでの虫への嫌悪をなくすためにオススメするのがいいか、迷うほどのレベルに達している。それはもう、カバーの折り返し部分と本体の最初の見開き部分の写真がピタリと重なっている仕事の丁寧さからも伺えること。 うんちで繋げば、クォン・ジョンセン:文、チョン・スンガク:絵の『こいぬのうんち』(ピョン・キジャ:訳 平凡社 1996/2000)も見逃せない絵本。子犬がしたうんちが辿る行く末を語っていくのだが、けれんのないチョン・スンガクの絵は力強く、ストーリーもまた、あくまで子犬のうんちの視点から外さない。うんちの目やね。 そこに、いながき・きょうこの『はじめてみんなとかえった日』(偕成社 ¥1000)を並べてみたい。編集者から送られてきた文面を引用すれば、「障害をもったはなちゃんがクラスにいることで、一年三組が、どんなに豊かな体験をしたかを、やさしい語り口で綴っ」たノンフィクションということになる。クラスには歩行器が必要な障害者はるなちゃんがおり、彼女を巡っての、ではなく、彼女と一緒に過ごす一年間。もちろん彼女の学校生活を考えること、例えば同じ障害をシミュレートして実感するなどの風景があり、それがクラスのパワーになっている。が、それ以上におもしろいのは、それはきっかけであって、あくまで彼女はクラスの一員として扱われること。ここにも、「子どもの目」が活きている。 今回の話題に関連したおもしろい書物は『ぼく おかあさんのこと』(酒井駒子 ぶんけい ¥1500)。『MAYAMAXの どこでもキャンバス』(角川書店 ¥1500) 読書人 |
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