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もしあなたが永遠の命を得たらどうするか。もしもう一度子供時代に戻れて人生をやり直せるとしたら、あなたならどう生きるか。このような問いに即答できない人もいるだろう。筆者もその一人だ。しかしたとえ問われれば即答明言はできないにしても、人生に終わりがなければいいのにとか、受験も仕事も気にせず飛び回っていたあの頃に戻りたいとかいう願望は、誰もが必ず一度や二度は抱いたことがあるのではなかろうか。だが考えてみれば、生は一度であるからこそ、そして限られた時間であるからこそ、人は真剣にいかに生きるべきか悩み、悔いのないよう精一杯生きようとするのだ。今回このような人間の決してかなわぬ夢を実現させ、それによって改めて生を問い直す二つのファンタジーが、時をほぼ同じくして出版された。『時をさまようタック』(ナタリ−・バビット作、小野和子訳、評論社、一二〇〇円)と『パパあべこべぼく』(メアリ−・ロジャース作、斎藤健一訳、福武書店、一四〇〇円)である。 『時をさまようタック』は、不老不死の泉の水を飲んだために、成長も老いによる変化もなく永々に生き続けているタック一家が、偶然泉の存在を知ってしまった十才の少女ウィニ−に、泉とタック家の秘密を打ち明ける。永々に生き続けねばならない不幸と恐ろしさを懇々と説く父親と対照的に、十七才の少年ジェシイは、ウィニーが彼と同じ年になったら泉の水を飲み、二人で永遠に続くT時Uを楽しもうと誘う。物語は、冒頭から登場し彼らの後をつける無気味な男の影が見え隠れするミステリアスなムードの中で、ウィニ−が泉の水を飲むか否かに読者の関心を引きつけながら進行する。タック一家とウィニーの友情を描きながら、生死の意味を改めて考えさせる秀作。 『パパあべこべぼく』は、ある日突然四十四才の父親と十二才の息子の体が入れかわり、父親は息子が行くことになっていたサマー・キャンプへ、息子は映画会社の重役としてロサンゼルスへ出張するという奇想天外な話。それぞれ事情のわからぬままとった行動が幸いよい結果を生み、息子扮する父親は昇進し、父親演じる息子はみんなの人気者となる。子供の頃、子供であるのがいやだったという作者が、子供がいきなり大人になったらどうなるか、また逆に大人が突然子供になったらどうなるか、に想像をめぐらして書いたユーモアあふれる珍騒動。どたばた喜劇的だがその中にも、人生はその当人にしか生きられないものであり、子供に戻って人生をやり直すということは(それができればの話だが)、夢があるかわりに、それだけもう一度苦労もし直さなければならないということを改めて感じさせる作品である。 もう一冊、人まちがいのもたらす喜劇の作品がある。退屈さに耐えきれなくなって城を脱け出したあくたれ王子と彼の身がわり王子とが、追いはぎにに会いながらも勇気と機転できりぬける痛快な冒険物語『身がわり王子と大どろぼう』(フライシュマン作、谷口由美子訳、偕成社、八八〇円)は、一九八七年のニューベリー賞受賞作で、まさに現代版『王子とこじき』である。 最後に、養護施設の子供たちがあこがれの先生と調理師のおじさんの結婚の噂にショックを受けて家出し、雪国の山小屋で四日間過ごすという『雪山のひみつ基地』(三輪裕子作、講談社、一〇〇〇円)を薦めたい。様々な苦労を背負う子供たちが次第に周囲に心を開き、傷つきながらも信頼と友情に目覚めていく過程が描かれていて、思わず目頭が熱くなる本である。(南部英子)
読書人1990/02/12
テキストファイル化 大林えり子
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