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 今月特に印象に残った作品は、何と言ってもぼくたちの9月マリ−の10月』(新井教夫作、大日本図書、一三〇〇円)。ファンタジーが育ちにくいと言われてきたわが国に生まれた見事なファンタジーだからである。一九八八年九月のある晩、主人公である小学五年生の和史(かずふみ)の家の洋間に金髪の少女マリーが迷い込んだことがきっかけで、洋間にある古びた洋服だんすの奥には秘密の通路があり、それは過去の世界へ通じていることがわかる。マリーがやって来たその世界は、その時一九四四年十月の日本であった。物語は、和史と妹の久美子そしてマリーに両世界を何回か往復させながら、戦時下の日本で敵国人であるフランス人マリーが迫害から逃れ、いかに生きのびるかを中心に展開する。たんすの奥に別世界へ通じる通路があるというのは、C・S・ルイスの『ナルニア国ものがたり』的であるし、いつのまにかマリーが四十四年も年をとり五十すぎの白髪の女性となって、たんすのこちら側の現代の世界で、相変らず少年である和史に再開するという結末は、フィリッパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』を思わせる。それを二番煎じだと言えばその 通りだが、この作品には手法上のそれらのマイナス面をさっ引いても残る魅力がある。即ち読者をひきつけるべくストーリーは展開するし、緊迫感もある。また戦時中の人々の暮らしをも垣間見させるし、敵国人というだけで罪のない人間を迫害することの非道さや愚かさにも気づかせてくれる。しかしこの作品に関しては、戦争児童文学としてよりもファンタジーとしてのおもしろさを評価したい。
 また英国での原作出版後たちまち世界十三ヶ国でも出版されたというリトルベア− 小さなインディアンの秘密』(リン・リ−ドバンクス作、渡辺南津子訳、佑学社、一五〇〇円)もおもしろい。これはインディアンやカウボーイなどのプラスチック人形が魔法の戸棚によって生命を得て、小さな人形サイズの本当の人間が現代によみがえるという奇抜な発想のファンタジーで、主人公の少年の小さな人間への愛、そしてその裏にある作者の人間に対する信頼が読者に満足感と安心感を与えてくれる。
 小さきものへの愛と言えば、ファンタジーではないが、春とまちがえて暖かい居間で二月にふ化してしまったカマキリの幼虫を育てる小学六年と三年の兄弟の奮闘ぶりを描いたぼくらのカマキリくん』(いずみだまきこ作、童心社、八九〇円)も子どもたちの共感をよぶだろう。特に虫好きな男の子などは、わがことのように夢中になってカマキリの成長の様子を見守るにちがいない。
 もう一作今回注目したい作品ぼくの中のぼく』(メアリー・ホワイト作、越智道雄訳、評論社、一四〇〇円)は、有名な芸術家である母親と二人暮らしで、非常に繊細で自意識過剰な十二才の少年ドミニクが、自殺という父の死因、認めたくない母のボーイフレンドの存在、そして最愛の母の事故による入院などの厳しい現実をつきつけられ、それまで現実逃避の手段として没頭していた劇場模型と人形を自らこわし、現実を直視して生きていこうと決心するまでの心の軌跡を描いた作品である。思春期の少年の微妙な心理の変化を追った作品であるにもかかわらず、じめじめとしておらず読みやすい。
 楽しみながら知識が身につくものとしては、昨年九月から数巻ずつ出されていたことわざ親子で楽しむ300話』(山主敏子・岡上鈴江編、ぎょうせい、各1300円)全十巻が完結した。昔から人々が言い伝えてきたことわざの中から300句を選び、それを五十音順に一巻から掲載し、その意味とともに、そのことわざにちなんだ物語を載せてある。親子で読めば、親の方にも新しい発見があるかもしれない。(南部英子
読書人 1990.3.12
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