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 二月のこの欄で『時をさまようタック』という不老不死の泉の水を飲んだために、永久に生き続けなければならない家族の話を紹介したが、今回また同様なテーマを扱った作品が邦訳された。わずか二ヶ月足らずの間に非常によく似たテーマの作品が同じ出版社から邦訳出版されたのは単なる偶然であろうか。今回出版されたとざされた時間のかなた』(ロイス・ダンカン作、佐藤見果夢訳、評論社、一三〇〇円)は、不老の秘儀を受けたために老いも成長も止まったまま生き続けている家族の話だが、それを父親の再婚によってこの家族と暮らし始めた十七才の少女ノアが、新しい家族の言動に不信を抱き、死の恐怖にされされながら家族の秘密を解き明かしていくという推理小説風に仕立てた作品である。『タック』との違いは、ミステリアスなムードはあるにしても全体としては叙情的・牧歌的なファンタジーであった『タック』よりはるかにミステリー・タッチに仕上げられていること、そしてこの家族にはタック一家には許されていなかった「死」が許されていることだ。前者は、この作品が一九八六年度エドガー・アラン・ポー賞(アメリカ探偵作家ク ラブ賞)のジュニア小説部門最優秀賞の栄誉に輝いた作品であることを考慮すると当然のことであろう。後者は、それを中途半端と見るか、死によってしか自らの罪深い生き方を終わらせることのできない人間、特に母親の利己的な欲望の犠牲になった子供たちに残された唯一の救いと見るかによってこの作品の評価は分かれるかも知れない。
 もう一つアメリカで賞を獲得した作品ゆびぬきの夏』(エリザベス・エンライト作、堀口香代子訳、福武書店、一二〇〇円)は、一九三九年のアメリカで最も権威ある児童文学賞、ニューベリー賞の受賞作で、アメリカ中北部のウィスコンシン州の農場を舞台に、そこで繰り広げられるのどかな農園生活を描いた作品。物語の冒頭と最後の場面でゆびぬきが登場し、主人公の十才の少女ガーネットは、彼女が日照りで干上がった川べりで銀のゆびぬきを見つけて以来すべてのことが好転したのは、この魔法のゆびぬきのおかげだと言う。しかし物語中で語られる事件とゆびぬきとの関連の必然性は薄い。その点が気になることは確かだが、家出をしてもすぐに家族へのみやげを買いはじめるガーネットや、みなし子の少年を家族の一員として心よく受け入れる家庭の姿に、作者の暖かい目を感じるとともに、古き良き時代のアメリカの平和な農園生活を見る思いがする。その意味ではこの作品は『大草原の小さな家』の系譜につながる作品と言えるかも知れない。
 ラダイスの夢』(ウィリアム・ウドラフ作、かわかつへいた・きみ訳、新樹社、一六〇〇円)は逆に、パラダイスに憧れ、農場のブタ小屋を脱け出した若ブタが、様々な動物のパラダイスを見てまわり、パラダイスとはどこかにあるものではなく、満天に輝く星のようなものだと悟る話。しかしここで語られる動物たちのパラダイスは、実際の生態に即したものではなく、すべて人間社会のパロディである。例えばダチョウのパラダイスは、規則でがんじがらめの動物学校だし、鳥のパラダイスでは、言論の自由をいいことに、タカ派とハト派が無意味な議論を繰り返している。諷刺や皮肉をピリッときかせ、ユーモアとペーソスで味付けしたパラダイスを求めるウォルターの冒険行は、まさに大人も楽しめる童話である。 
 日本のものでは出』(代田昇作、理論社、一二〇〇円)が目立った。「満州開拓団壊滅の記録」という副題が示すとおり、昭和初期に開拓団として渡満していた人々が、終戦直前に軍の避難命令を受けて、家族や仲間から次々と落伍者や死者を出し、我が子まで捨てて、まさに命からがら逃げまどう逃避行のさまを綴った作品。現在なお残る中国残留日本人孤児問題の発生の減点をさぐる一作。(南部英子
読書人1990/04/09

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