|
去る八月十五日に我が国では四十五回目の終戦記念日を迎え、各地で戦没者の慰霊祭や平和を祈る催しが行なわれたが、戦争で家族や肉親を失った人の心の傷はおそらく今だに癒えてはいまい。しかし一方で、戦後半世紀近くたった現在では、戦争を知らない世代もふえ、社会も豊かになり、あの悲惨な戦争のことを普段はあまり思いおこすことなく暮らしている人も多いのではあるまいか。世界に目を移しても、米ソの緊張は緩和され、東西ドイツも統一に向かい、時代は大きく変わろうとしている。だが我々は、過去に大きな戦いをし、それによって数えきれぬ尊い命が犠牲になった事実を忘れてはならない。戦争の傷跡が次第に風化され、人々の記憶からも薄れていきつつある時代だからこそ、そして戦争を知り語れる人々が次第に高齢化し少なくなっていくからこそ、語れる人がまだいる間に、我々はその戦争体験を聞き、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、次世代に語り継いでいかねばならない。 今年も終戦記念日前に戦争を扱った作品が何冊が出た。 『ぼくの町は戦場だった』(BBCイギリス放送編、山中恒解説・監訳、平凡社、一六五○円)は、子供の頃第二次世界大戦を経験験した世界十一ヵ国の十二人の戦争体験談。イギリスで編集、出版されたため、扱われている国もヨーロッパが中心だが、一ロに第一次世界大戦と言っても、国情、身分、人種などの違いによってその戦争体験は様々だ。中立国アイルランドの少年は、平凡で退屈な毎日に飽き足らず戦争にあこがれていたが、村に魚雷が流れついて大爆発を起こした夜も眠りこけていてそれに全く気づかず、「生涯の一大失態」を演じたという。またインドの最高幹部の娘は、戦争中でもピアノをひき、チョコレートを食べ、何人もの制服の使用人にかしずかれる特権階級の生活を楽しんでいたという。一方日本の被爆者の経験談は、戦争のむごさや恐るしさを語るものとしては、やはり最も迫力も説得力もある。随所に載せられた写真と各話の後につけられた解説も戦争の実体をよく説明していてとてもよい。特にガス室に送られるユダヤ人の写真と、解説中の アンネ・フランクの話が印象的だ。 『海に消えた56人』(島原落穂著、童心社、一五○○円)は、数年前に『白い雲のかなたに』(童心社) で陸軍の航空特攻隊のことを書いた薯物が、その出版がきっかけで知った、海軍の航空特攻墜徳島隊」のことを取材して書いたノンフィクション。特攻隊とは、爆弾をつんだ飛行機で目的地まで飛び、めざす敵艦に操縦者もろとも機体で体当りする特別攻撃隊のことだ。著書の輿味をそそったのは、「白菊」が戦闘機ではなく練習機であり、その出撃は昭和二十年五月、六月であったことだ。もう負けるとわかっていた沖縄へ、なぜ若者たちを、練習機に乗せて、死ぬために、送り出したのか。そしてなぜ「白菊」での戦死者がみんな、大学や高校の在学中に戦争にかり出された飛行予備学生ばかりで、海軍兵学校出島の本職の軍人はひとりも含まれていないのか。著書はこの疑問を解くべく、「白菊」ゆかりの人々をたずね、多くの書物を調べ、そこで知り得たことを克明に記している。その膨大なエネルギーと情熱に、著書の激しい怒りと執念を感じる。 『がんばったはなし』(大江一道他編、大月書店、一六五○円)は、父は天皇のために戦って戦死したのに、おまえはアイヌの子で日本人じゃないといじめられた少女、日本支配下で創氏改名など屈辱的な扱いを受けた朝鮮の少年、東京大空襲を生きぬいた少年、そレて小児マヒを克服してローマ・オリンピックで陸上遷手として三つの金メ女ルを獲得した少女など、歴史のなかで人知れず苦しみ、頑張った子どもたちの話。今回取り上げた三作はどれも史実に基づいた作品である。なかにはあまり思い出したくないこともあるかもレれない。しかし歴史は正確に語り継れねばならない。その意味でこういう作品も我々は大切にしていかなくてはならないのではあるまいか。 (南部英子)
読書人1990/09/10
|
|