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 ぼくは原稿を書くとき、たいていそのときの気分を増幅してくれるBGMを聞きながらコンピューターに向かう。ちなみに今聞いているのは、ドイツのエーチャンことウド・リンデンべルグがべルリンの壁崩壊の翌年一月ライプチッヒでおこなったライブCD。東独の若者の歓声が聞こえる。べルリンの壁の崩壊から二年。あのときの歓喜の歌声は、いま「存在不安」という苦吟の声に圧倒されつつあるらしい。ドイツの児童文学作家たちはこれから、そんな状況におかれた旧東独の子どもたちとどう関わっていくのだろう。すくなくとも安易な幸福を描くことはもうできないのではないだろうか。
こんなことを唐突に思ったりするのも、じつは福武書店で十月三一日から五日連続で行われた講座「児童文学は今」を引きずっているからだ。講座のコーディネーターは若手児童文学評論家の甲木善久で、児童書出版編集者の座談会を皮切りに二上洋、清水真砂子、ひこ・田中の講演がつづき、最後は三人の講演者に森下みさ子 とぼくを加えてのシンポジウム「90年代の児童文学を占う」で締めくくられた。ぼくは四日目からしか参加していないので、ここで連続講演の全貌を語ることはできない。く関心のある方は福武書店編集部が発行している小冊子「子どもの本通信」三一号に、児童文学作家荻原規子による観戦記が載る予定なので、そちらをみてほしい〉最後のシンポについてだけ、ぼくなりの印象をいうと、成長する子どもに応える児童文学と、大人の既成の物語をつきくずすエネルギーを内包した児童文学という両極の間で議論は展開したように思う。
そのときの熱気をさらに歓喜と苦吟の問で翻弄される旧束独の人々の思いで増幅しながら今回紹介したいのは、ともに作者の自伝的要素の濃そうな永室冴子のいもうと物語』(新潮社、二五○円)と山田詠美の短編集年の子供』(講談社、一○○○円)。どっちもパッケージは児童文学ではないけど、ぼくはあえて児童文学と呼びたい。
『いもうと物語』は、年間の季節の移り変わりを通して小学四年の主人公チヅルの成長をみずみずしく描いた未来に開かれた連作短編集で、山田詠美の『晩年の子供』では八つの短編のうち六編で、語り手が、死を垣い間みた自分の小学生時代を振り返る。ぼくは『いもうと物語』には懐かしさを感じ、『晩年の子供』には郷愁を覚えた。
『いもうと物語』の懐かしさは、石油ストーブやソノシ-トや「リボンの騎士」といった小道具が醸しだす六○年代の時代の匂いだった。永室冴子は一九五七年生まれ。ぼくは一年遅れて子どもをやっていた。
一方『晩年の子供』には、ほとんどそういった時代の匂いがないけど、語り手たちが、死と接近遭遇したぎりぎりの生の中で見つけた言葉たちにどきっとさせられる。「自分が愛につつまれていると自覚してしまった子供ほど、不幸なものがあるだろうか」(「晩年の子供」)、一所懸命やりさえすれぱ、夢はかなうという一般論を、私は、とうに捨てていた」 (「堤防」)、「私を苛立たせた原因は、ただの空虚だったというのでしようか」 (「蝉」)。これらの言葉には、ぼくが記憶の底に沈澱させていた子ども時代の断片を浮き上がらせる強烈な喚起力がある。山田詠美は一九五九年生まれ、ぼくより一年遅れて子どもをやっている。しかもぼくと同じで引越しが多かったらしい。彼女の子ども時代も、ひとところに根ざしたものではなく、切れ切れの断片だったのだろう。故郷を持たないがゆえの郷愁というのもあるんだ、といったら、自分に引きつけすぎるだろうか。
さてこの二冊の本を、十代の子ども・若者はどう読むだろう。当然、ぼくとは読みが違うはずだ。だけどこの二冊が、未来に、あるいはわずか一日だけの明日へ足を一歩踏み出す大きなきっかけになるのは、決してぼくひとりではないだろう。 (酒寄進一
読書人 1991/11/11