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ドイツが再統一して一年たったことと関係あるのだろうか、気がついてみると、昨年の十月、十一月にナチ関係の本の出版がやたらと目立った。 原書の出版年が古い順にあげてみよう。 レオ二・オソウスキ- 『空のない星』(吉原高志訳、福武書店、一四○○円)、コルデリア・エドヴァルドソン『ユダヤの星を背負いて』(山下公子訳、福武書店、一三○○円)、インゲボルグ・ロ-タッハ『わたしのだいすきなエンゼルおばあちゃん』(川西芙沙訳、くもん出版、一三○○円)、レオ・メーター『バーバラへの手紙』(上田真而子訳、岩波書店、一八○○円)、ザピ-ネ・ライヒェル『目に見えない傷痕』 (亀井よし子訳、晶文社、二九○○円)。 べルリンの壁が崩壊し、ドイツが新たな歴史を歩みはじめたこの二年間、ドイツに関心のある翻訳者たちはこぞってナチ時代の暗い過去に思いをめぐらしたようだ。 今ここにあげた作品群は、その成果といえる。しかしこう並べてみると、それぞれの作品に、それなりに翻訳者たちの思いいれなり、メッセージなりが読み取れるようで面白い。 三五歳で戦死した若い父親がひとり娘にあてて書きつづった絵手紙『バーバラの手紙』を、抱擁力のある上田真而子が手がけたというのは、いかにも「らしい」選択だし、反ナチ運動「白バラ」の研究で知られる山下公子と、著名なドイツのユダヤ系作家ランゲッサーの娘であり、『ユダヤの星を背負いて』で自らのアウシュヴィッツ体験をつづったエドヴァルドソンの組合せもはまっている。 一方『わたしのだいすきなエンゼルおばあちゃん』は、ナチの嵐が吹き荒れるヨーロッパで、唯一戦争に巻き込まれなかった永世中立国スイスでも、やはりユダヤに対する偏見があったことを描いた自伝的作品として貴重だ。ただ巻頭に地図やナチ時代の解説やことばの解説が八頁にわたって掲載されてるのはいただけない。 児童文学の教育性というのはわかるんだけど、文学はやはり文学を志向してほしいもの。それから、これは好みの問題だけど、なんであんなに甘ったるいイラストでなけれぱならなかったのでしようね? 『空のない星』は、戦争末期のドイツのある町で、ナチあるいは反ナチである大人や子どもたちが強制収容所から脱走したユダヤ人少年をめぐって繰り広げるドラマチックな物語だ。ユダヤ少年を密告するドイツ少年が町に侵攻したソ連軍の銃弾に倒れるところに、運命に名を借りた勧善懲悪の匂いを感じなくはないけど、戦争末期のドイツという風景を複数の少年たちの目(複眼)を通して描き出す手法は、単眼の視点にとどまる危険をかかえもつ、いわゆる自伝的な戦争児童文学の問題点をかなりクリアしていると思う。 一連の訳書の中でぼくが一番共感したのは、『目に見えない傷痕』だ。アメリカに移住した戦後生まれのドイツ人女性ジャーナリストである著者は、ナチ時代を体験した父母や自分が五○年代に教わった歴史教師などへの回想やインタビューを通して、ナチ時代に生き、そして戦後を生きた個人個人の人間に肉薄している。 その中でライヒェルは、歴史の教師が自分の体験についてロをとざし、おびただしい数の数字と年号を教えることしかしなかっことに対して、「人がものごとを理解するには、いつも人間的なにおいが必要だ。数字に人間性が加味されてはじめて、わたしたちの心を打ったのではないだろうか。もし自分と他の人びとの命とを関連づけて考えることができていれば、わたしもみずからの生をその人たちの生と重ね合わせ、同情心をもつことができたのかもしれない」といっている。戦争児童文学に今日的意義があるとすれば、まさにこういうス夕ンスにあるのではないだろうか。この本は、ぼくを含めた戦後世代が、第二次世界大戦という「負の遣産」を引き継いでいくための、すばらしい手本になると思う。 (酒寄進一 )
読書人1992/01/20
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