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ぼくは、将来ゼミがもてるようになったら、ぜひやってみたいと思ってることがある。それは毎週短編をとりあげて、学生にディべートさせるというもの。でも、その作品にどんな印象をもったかっていう、いわゆる印象批評を学生から集めるやり方じゃなくて、考えてるのは、最初っから学生を三人くらいずつ組にして、自分の好みと関係なしに、「名作派」と「駄作派」にわけて議論させようという趣向だ。残りの学生は聞き役。どっちの組に説得力があったかで、軍配をあげてもらい、担当した組の学生の成績を決める。全敗した組みは赤点! にするかどうかは決めてないけど、うまくいけば、自分の意見を人に伝えることの難しさと面白さを学生に味わってもらえるし、作品解釈でも、その作品に何が先取りされて描かれてるかとか、何が描かれていないかというところまで深められそうな気がしている。 どんな作品をとりあげるかというと、ここはやっぱ、主催者であるぼくの独断と偏見で児童文学。だけどこのゼミをやるのに、なかなかいい短編集がなかった。井上ひさし編集の『児童文学名作全集』全五巻(福武書店)、今江祥智編集の『現代童話』全五巻 (福武書店)は、児童文学の通史などを講議するときには具合いがいいんだけど、学生の「今ここ」とどうリンクさせるかという点でむずかしいものがある。そこへいくと、今江祥智・灰谷健次郎編の『新潮現代童話館』1・2(新潮文庫、各四八○円)は、いい。シリアスからナンセンス、ファン夕ジー、童話の再話風ありと多種多様な作品を、佐藤多佳子、川島誠、江国香織ら新鋭や、長新太、灰谷健次郎、佐野洋子といったべテラン、あるいは児童文学プロパーでない作家たちが競作した三三編。ウームとうなった作品、手抜きしてる作品、腹をかかえて笑った作品。それがまたじつにうまく今の児童文学を物語っているようで面白い。ぽくは作品ごとに○×△? をつけてみた。とくに良かった作品をあげると、中学生の女の子の心の揺れがじつにしなやかに揺かれてる佐藤多佳子の『黄色い目の魚』と、親の離婚をめぐって無気力になっていた少年が、蚊星人との出会いを通して自分をとりもどす、でもそれが「自分を大切にしよう」なんていうよくあるお題目ではなくて、「『じぶんで選んでないじぶん』だけど、それしかじぶんはないのだから、それを大切にしろ」というところに共感した上野瞭の『きみ知るやクサヤノヒモノ』。断然二重マル! というわけで、ゼミをやるときは、このアンソロジーを取り上げようと心に決めた。だからこの場を借りて、俎上にのってしまう作家のみなさんにゴメンナサイをしておきます。と、まあ、ホントはこれ、先回書きたかったことなんですよね。時評一回分では書ききれないほど面白い本と出会えるなんて、ひょっとして今年は児童文学の豊作の年だったりして。じつはそんな期待を抱かせてくれる作品がもう一冊あるんです。ひこ・田中の作品『力レンダ-』 (福武書店、一ハ○○円)。これも本当なら、前回取り上げた西田俊也の作品『ギラギラ』と対にして書きたかった作品。同じく関西弁で書かれた作品で、主人公は中学一年の女の子。主人公翼は、ばあと、猫の紫といっしよにふたりと一匹の暮らしをしていて、ばあの留守中に見ず知らずの「大人の女と男」が転がり込ん来るところから物語ははじまる。作品の構成は前作『お引越し』と比べると非常に重層的で、対話あり独白あり日記あり回想ありで、錯綜した筋運びの中から、翼の祖母や、翼が生まれたときに死 んでしまった両親、そして翼自身の人生への問いがさまざまに浮かび上がる。蛇足かもしれないけど、翼の初恋の相手になる林クンがまた、とってもいいキャラクターで、その他もろもろの、翼とともに作品の「今」を織りなすわき役たちのn個の人生をじっくり解きほぐしていったら、これ一冊で『新潮現代童話館』に匹敵するかもしれない。この作品は、別のゼミでじっくり輪読するときまでとっておこうと思ってる。 (酒寄進一)
読書人1992/04/03
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