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 先月の「日本児童文学」(1993年8月号、文溪堂)に、評論家の野上暁氏が「子どもの本のブックデザインについて思うこと」と題したエッセイを寄せていた。
 氏はこの中で「そういう(つい手を出したくなるような−引用者注)魅力的な本は、ブックデザイン全体に行き届いた配慮がなされていて、作り手たちのその本に注ぎ込んだ愛情が伝わってきて気持ちがいい」として、作り手たちの本にかける愛情がブックデザインに反映されることをやんわりと示した後、子どもの本の現状が「子ども商品はこうでなくちゃいけないという送り手の思いこみが、現在の子どもたちの美意識を超越したところで作用しているとしか考えられない」「ビジュアル依存度が圧倒的に高い子どもの本の世界なのに、ブックデザインに対する配慮が意外なほどなされていない」と述べている。
 そして、その原因として「テーマや素材だけで教材的に学校図書館などにセットで売り込む本の場合、書店の店頭での読者の注目度など気にしないで済むから、たいていの場合デザイン感覚や読み手に対するサービス精神を無視して成り立っていることが多い」ことを鋭く指摘し、さらに、「安易なセットものが送り込まれていちばん迷惑するのは子どもたちで、それが本嫌いの元凶にもなりかねないから、その点こそは十分に配慮されなければならない」と警鐘を鳴らしている。さすがに編集者としての視点も合わせ持つ野上氏ならではの指摘であり、これは正に至言といえよう。
 このことは、もちろん、本の作り手に向かうものではあろう。しかし同時に、相も変わらず、あら筋と、愚にもつかない感想と、対象年齢だけで本を語る、多くの子どもの本の書評子たちにおいてもなお、傾聴すべき重要なことであるはずだ。
 さて、そんな中でブックデザインも素晴らしい、新作に出会った。寮美千子のノスタルギガンテス』(パロル舎、1600円)である。シティーに住む、大変にナーバスな少年・櫂のふとした行動によって引き起こされる奇妙な事件を核として展開するこの物語は、ストーリーの流れというよりも、その言葉の流れを読むべき作品である。本作に先立つ『小惑星美術館』『ラジオスターレストラン』(パロル舎)において、作者は宇宙に連なる少年の心を描こうとしながらも、一方で、小説の作法に則り、シーンそれぞれを閉じていく言葉によって描こうとしていた。しかし、それによりある種表現上の限界が生じ、作品そのものの広がりを抱え込んでしまったように思う。だが、今回の作品では、時間軸、空間軸を逸した表現を重ね、さらには「みんなとても死んでいる」(P36)などといった、日本語としてもいびつな表現をちりばめることによって、その壁を越えた。マジック・リアリズム的な言葉の流れを呼び込むことによって、宇宙的視界しか持ち得ない少年・櫂の去来する想いを留めることに成功しているのだ。 この物語には、<緑/無機物><永遠/瞬間><死 /誕生><人間/レプリカント>などの、相反するイメージがいたるところに浮遊している。そして、その印象を装丁の中に取り込んで見せたブックデザイナー松岡裕典も見事である。上田義彦の写真集『QUINAULT』(京都書院)より採られた、表紙から背表紙にかけて配された写真は、太古からの永い時間の中で作り上げられた鬱蒼たる森を、そこの在る神・精霊をすら写し出したような素晴らしいものだ。ここに、白抜きでタイトルと作者の名前がすんなりと置かれ、さらにアクセントとして赤色のアルファベット表記と罫線が配される。この赤色を背景を抜かずに置いたあたり、デザイナーの細かい配慮が窺える。また帯にしても、ペパーミントグリーンの紙の上に墨版をのせ、文字の部分を抜くという処理を施しており、これにより写真に見合う、より鮮明な緑の文字が演出できるのである。
 これは間違いなく、作り手の愛情が、たっぷりと注ぎ込まれた一冊だ。(甲木善久

読書人 1993/08/09
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