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 フジテレビ制作の映画には、嫌な思い出がある。そう、それは、あの「子猫物語」である。当時ガンガンに流されていたコマーシャルにだまされて観に行ったはいいが、映画としてはストーリー展開がお粗末で見られたものではなく、おまけになんと、観終わった後に、すべてのハイライトシーンはCFで観せられていたと気付くという、「金返せー」的シロ物だった。まあ、おかげで、とても腹立たしいひと時を過ごさせていただいたわけだが、その後遺症か、この夏、「水の旅人」を観に行く時も、実はビクビクしながら映画館まで足を運んだのである。 ところが。こんな心配もただの杞憂、観た人には分かってもらえると思うが、これが大変におもしろい、よくできた映画だったのだ。
 さすがは大林宣彦監督、原作である『水の旅人』(末谷真澄著、マガジンハウス)の核心をつかみ、それを映像作品としての表現にみごとに変換し切っている。地震におののきながらもミントンの皿を守ろうとする母親といったような、生活感あふれるリアルな映像を積み重ねつつ、その上で、いかにも作り物くさいカラスを出し、あるいは一見ワルふざけにも見える早回しの映像を随所にちりばめ、そして、このコントラストの効果によって、この物語を支える大きな仕掛けである「一寸法師と少年の出会いという、突飛な世界のリアリティーを確保する。また、「水」や「環境」といった重い(お堅い?)テーマを表現するに当たり、投場人物たちにペラペラ喋らせるような安易な手は使わずに(あー、ちょっとはあったけどネ)、一回、二回と少年に、同じ場所で空き缶を川に蹴りまりせてから、三回目にはそれをグズかごに捨てさせるという分かり易い表現で撮ったりする。それは、決して玄人受けするようなものではないだろうが、しかし、子どもも観るエンターテイメント作品としては、勇気ある選択だということができるだろう。
 というわけで、この良質の映画を観た後、帰ってきてさっそく原作本を読み返した。そして、続けて新作河の約束』(マガジンハウス、一二00円)をイッキに読み上げた。この二作を読んで、改めて感じるのは、作者・末谷真澄の「くすぐり」のうまさである。
 もともと日本の児童文学では、メインストーリー以外のことをきちんと描き込める作家は少ないが、ましてそこに笑いを含めるとなると、探し出すのは至難である。くすぐりで声を立てて笑えるような作品は、欧米の児童文学では、ディアナ=ウィン=ジョーンズやロイド=アリクサンダーあたりを筆頭に数多く書かれているが、日本では舟崎克彦のようなマルチな才能を持つ一部の作家に限られている(念のため行っておくと、欧米を引き合いに出したのはそこが児童文学の先進国だと思っているわけではなく、ただ、この手の作品が好きな僕としてはも国産品を読みたいといっているだけだ)。
 さて、『銀河の約束』だが、これは、天才肌のロックミュージシャン・式場雄一の家のむかいに、超高度な文明と文化を持つ一家が引っ越してくるというお話である。きまじめに読んでしまえば、「地球環境を守ろう」というテーマを持つ物語も、コンピューターの指示に従い全学連やモーレツの格好をしてしまう(このへんの描写大いに笑える)、トンチンカンな宇宙人の魅力によって、その印象は違ったものになってくる。もっとも、そのトンチンカンさ加減も、変人の式場のキャラクターと相まって、この作品全体にゆき渡ったイノセントな感受性を演出するのに大いに役立っているということができる。
 やわらかな心を持つ少年・少女が、地球と出会う。また、やわらかな心を持つミュージシャン式場(かれは〈脱大人〉という意味で〈子ども〉である)が、地球外からの視点と出会う。という、このイノセントさを鍵に展開される物語は、そんなわけで、正しく児童文学的な作品なのである。(甲木善久)
読書人 93/09/06
テキストファイル化 妹尾良子