94年回顧

           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    
 児童文学の年末回顧を書くにあたり、今年はネタを決めるのに大変苦労した。そう、昨年から今年に掛け、これといった大きな波が見当たらないのである。
 作品ひとつひとつを見ていけば、読むに価するものは確かにあった。が、それは毎月の時評の中でほぼ取り上げてきたつもりである。また、それらに感じられる流れは、新しさに向かうというより、スタンダードへの回帰といった感があり、回顧として語るにはあまりにその焦点がぼやけることになる。取り上げなかった作品について考えてみても、不況への警戒感と、同時に、一九五十年代後半から一九六十年あたりに成立した戦後の子どもの本のインフレーションを起こしつつあることから、各出版社とも、小ぶりで保守的な本ばかりを作っていたような印象を持つ。  このように概観した時、徳間書店の参入(これも既に月評で触れている)を除けば、今年の児童文学・子どもの本の動向には、不況がその影を色濃く落としていたと、総括することができる。
 そんなわけで、この不況の影響で起きたひとつの事件−雑誌ぶ教室」(光村図書)の廃刊について語ることで、今年の年末回顧に代えたいと思う。
 ところで、話は飛ぶが、NHK連続テレビ小説「ぴあの」である。今年の春から秋口にかけて放映されたこのドラマは、「童話作家」を目指すヒロイン゛ぴあの゛をめぐって展開するもので、当然、そこでは「童話」に関する話題が数多く盛り込まれることとなった。僕にとってみれば、それは見る度に笑わせてくれる大変面白い見せ物であったのだが、真面目な児童文学者(および関係者)たちの中には、そのステレオタイプな描き方に対し怒り心頭に発してした人たちがかなりいたようだ。昔話も、童話も、児童文学も、メルヘンも、そして挙げ句は絵本まで、なんとなく、その辺にあるものを引っくるめ、まあこんなのが「童話ね」というカンジで描き出されたイメージは、おそらく、そんな人々にとってみれば実に強烈なものに映ったに違いない。
 しかしながら、善かれ悪しかれ、あれが世間様の「童話」のに対するコンセンサスなのである。児童文学が童話を克服し、小説的リアリズムの手法をもって子どもを描き出すようになってから、はや三十余年。その間、いくつもの名作が生み出され、さらなる変化も遂げてきた。にもかかわらず、一般的な認知はかくのごときなのである。それを嘆くのは簡単だ。そして、嘆くばかりの児童文学者が多過ぎる。三十余年の時間を経てなお、児童文学という呼称は定着すら完全には果たせていない現状は、彼らの表現者としての自覚が足りなさすぎたことにも原因する。にもかかわらず、自戒もせず、行動を起こすでもなく、相変わらずの嘆き節の合唱は、不愉快きわまりない。一部の才能ある作家たちが、その作品の力によって子どもの本の普及拡大に努めていた時、児童文学者を名乗るその他大勢の作家たちは、自足的な〈児童文学〉作品を生みだし続けることに執心し、互いに賞を与え合い、学校図書館へのセット販売という方法で生き延びていた。これは、明らかに怠慢である。
 だが、彼らに罪の意識はない。たかだか数冊の本を出したくらいでは、もちろん到底それで食べていけるわけもなく、ゆえに兼業作家の比率が大変に多い児童文学の世界には、悪い意味でのアマチュアリズムが蔓延している。そのため、彼らは言論人としての責任感に欠けたところがあり、また、当事者意識も薄いのである。
 と、こんな状況にあって、「飛ぶ教室」は大変貴重な雑誌だったのである。一九八一年十二月に、作家であり、また、きわめて優れたコーディネーターとしての才能を持つ今江祥智を中心として創刊されたこの雑誌には、読者に読んでもらう、読ませていくという、プロフェッショナルな意識に満ちていた。「児童文学の冒険」なるコピーを掲げ、それにふさわしい児童文学という表現の拡大を図った創作、評論、コラムなどを掲載し、かつ、特集記事によって戦後児童文学の検証や子どもの本に対する実験的なアプローチなどをきめ細やかに行ってきた。池澤夏樹や石牟礼道子、池内紀など他の領域で活躍する作家を引き込み、江國香織や川島誠、石井睦美のようなボーダーレスの作家を育て、牧野節子や梨木香歩などの新人を発掘し、また、河合隼雄の児童文学に対する心理学的な考察を連載することで、この雑誌は間違いなく児童文学の地平を拡げ、世間でのコンセンサスを変えていく一助を担ってきたのである。
 こうした希少にして貴重な雑誌が、その役割を終えて消えていくのでなく、バブル経済のツケを払う形で不況下に廃刊となるのは、実に残念である。もともとメディアそのものが少ない児童文学の世界で、この雑誌の抜けた穴は大きいのだ。(そんなわけで僕は、今、新しい雑誌を作るべく画策している・・・)  (甲木善久
読書人1994/12/23
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