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 阪神大震災のような大規模な災害が起きると、わたしを含めてまっさきに心配するのは人間のことだ。それはあたりまえの反応だと思う。だが、たとえ都会といえども、住んでいたのは人間だけではない。ほかの生物はいったいどうなったのだろう?
 柄にもないことを言い出したのは、アメリカのウィリアム・シ゜ョーダンカモメの離婚』(相原真理子・堀内静子訳、白水社、二三00円)というエッセイを読んでいたからだ。これは、ゴキブリや恐竜の話から進化全般を、またカモメやへびの話から人間の離婚を論じており、科学と真理、人間と動物についての示唆に富んだ書物である。フィクション嫌いの高校生や大学生にも勧めたい動物行動学の本だが、いま取り上げたいのは〈ニッチ〉、つまり住む場所に合わせた生き方を考察した部分。一般に動物は環境に適するように習性を変えることができるが、逆にあまり特殊な環境に適応すると、滅びる確率も高まるという。こういう指摘をされると背筋が寒くなる。でも人間も動物であることや、ほかの生物にも生きる権利があることは、わかっているつもりで忘れがちなことではあるまいか。
 ところでわたしにもっとも身近に生物となると、やはり猫だ。ジョーダンの本でも猫には二重の性質(ペットにも完全な野生動物にもなりうる)と書かれていた。いわばふたつの文化をもつわけだが、そのせいなのか、児童文学では猫が活躍する話が目立つ。だって、猫には化ける力もあるし、それに「猫の手も借り」たいと思ったのはあなたでしょ? あ、これは矢玉四郎の新シリーズの話である。一冊目『ねこの手もかりんとひとつ』(偕成社、一000円)は主人公道草巡(みちくさ・じゅん)の家が「家出」をし、それを探すために猫の助力をえる話。同じ作者の『はれときどきぶた』シリーズは「嘘からでた真」をネタにしたナンセンスで、二回目からはパターンがわかってしまった。今回は言葉のしゃれ・だじゃれがいっぱいで、あらかじめ筋の展開が予測できないところがおもしろい。二冊目『ねこの手もかりんとふたつー鬼切城の鍵太郎』(一000円)も同時発売。
 話は変わるが、八八年に翻訳がでたリザ・テツナーの『黒い兄弟』が、一月一五日からの一年間のアニメ放映を機に文庫化された(酒寄進一訳、福武文庫、上下各七00円)。これは、百年以上前に労働力として売り買いされた貧しい子どもたちが、悲惨な環境にめげず仲間どうし助け合うという物語。「黒い兄弟」とは、煙突掃除人の子どもたちの作った組織をさす。ところがフジテレビ系のアニメではタイトルが『ロミオの青い空』だし、主人公の名前もジョルジョではなくロミオになっている。
 なぜ名前を変えたのかと首をかしげていた矢先、雑誌『アニメージュ』(一九九五年二月号)に関連記事を見つけた。それによると「イタリア語圏のスイス人」だから、日本に比較的良く知られているイタリア語の名前として、また悲劇的なイメージをもつ名前として、知名度のあるロミオに変えたという。なお名前の変更には前例があり、パレアナをポリアンナにしたこともある、というのがその言い分。まず、前例とされているケースは、ある綴りをどう読むかという「発音」の問題で、それをここに持ち出すのは筋違いであろう。また原作者はイタリア語圏のスイス人としてジョルジョという名前を選んだはず。それを無視して変えてしまうのも変な話だ。(明治時代には珍しくなかったようだが・・・)知名度という説明も、原作者が有名でないから、死んでいるからと聞こえてしまった。
 最後に絵本を二冊。『おさる日記』(和田誠文、村上康生絵、偕成社、一二00円)のブラックユーモアを含む結末が、また『夢の旅人』(ギー・ビルー絵、井上陽水詩、新潮社、一八00円)ではだまし絵のような不思議な絵が、それぞれ印象深かった。(西村醇子)
読書人 1995/02/17
           
         
         
         
         
         
         
         
    

テキストファイル化 妹尾良子

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