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 時評をしていれば、ぴんと来る本がなくて嘆きたい月も来るだろうと思っていたら、どうやら今月がそうだったらしい。もっとも、なんとなく面白い本がなかったわけではない。欠けていたのは、腹の底から笑ったり、頭の芯をずんと突かれる手応え・・。いや、実はそんな手応えが感じられた本はあるにはあった。山中恒の『くたばれかあちゃん!』である。でも、元々は一九六九年に雑誌に連載され、七七年に単行本になったものなのだ。それが一番面白いというのは、いったいどういうことなんだろう!?
いえいえ、ご心配なく。錯乱したとか、タイムスリップしてしまったわけではない。実は理論社が「山中恒よみもの文庫」というシリーズを始めたのである。『くたばれかあちゃん!』(一三〇〇円)と『この船じごく行き』(一二〇〇円)はそのうちの二冊で、ほかに八冊が予定されている。シリーズの編集委員、神宮輝夫・野上暁・日比野茂樹という顔ぶれをみて、はたと思い当たったことがある。これは一九九三年七月から九四年五月にかけて計六回行われた「神宮輝夫vs.山中恒連続対談」の仕掛け人たちではないか。このときの対談は「児童よみもの作家」を標榜する山中恒の作品と人生を語る、というのがひとつの狙いで、同時に戦後の児童文学界の一断面を伝える意味もあったようだ。でも困ったのは、話題にあがった作品の多くをわたしたちの世代は読んでいないこと、そしていざ読もうとしてもなかなか手に入らないということだった。理論社はわたしたちの困惑にたいする回答としてこのシリーズを出したのだろう。そして『くたばれか あちゃん』は、どれも小六の主人公が口喧しい母親と衝突し、最後に母親を題名の通り罵って終わるという構成。本音でぶつかりあう母子の駆け引きが型破りの面白さに満ちているし、このシリーズには「よみもの新聞」という付録がついているのも、彼らのサービス精神として評価できる。(なお付録には神宮輝夫の解説も。)だから、このシリーズにたいして直接不満はないのだが・・。これからのことを考えると、山中恒をぶっ飛ばすような作家の登場を切に切に望むものだ。さもないと時評子としては遠からずまた嘆くことになろう。
さて、気になる絵本がたまったのでまとめて紹介したい。宮沢賢治作品から題材をとった絵本には力作が多いが、伊勢英子の『水仙月の四日』(偕成社、一六〇〇円)もそんな一冊。冬景色の捉え方が巧みなのは北海道出身だからか。とくに雪の結晶を鋭角の線で描写した場面を好ましく思った。井上直久『イバラードの旅』(架空社、一七〇〇円)はひょっとしたら『銀河鉄道の夜』を下敷きしたのかもしれない。レトロな風物と未来風の乗り物、異国情緒、しつこすぎない色彩がいい。こんな夢なら絶対見たことがあるぞ、そんな気がする。ウエイン・アンダースン作『ドラゴン』(岡田淳訳、ブックローン出版、一四〇〇円)は海底で生まれたドラゴンの子が自分は何者か探求する物語で、絵の柔らかさが素敵。『森の王さまはだれ?』(デービッド・デイ文、ケン・ブラウン絵、たなかまや訳、評論社、一二〇〇円)は、か弱いミソサザイが一番強いはずのオオツノシカをやっつけるまでの一連の流れが面白い。水彩のシルエットの中に次に登場する動物が隠れているのだが、何匹見つけられるかな?そし て菊地清の絵本が二冊。『いちねんのりんご』(冨山房、一二〇〇円)では歳時記風に、りんごをいろいろな形に切り抜き、雪だるまから鯉のぼり、サンタクロースにいたる絵を知恵の板のように組み合わせてみせる。『消えてしまったことばたち』(木馬書館、一三〇〇円)では、デザイン化した文字にまつわる説明がミニミニ事典という趣。「臼」では漢字が象形文字であることがよくわかるし、「ふんどし」「おぼけ」のデザインもユーモラス。こういうアイデアは大歓迎である。
読書人 1995/11/17
           
         
         
         
         
         
    

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