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 今年の干支はネズミ。そこでミス・ビアンカやリーピチープなどのネズミたちにインタビューをと思って交渉したが、にべもなく断られてしまった(なんてことはない!)
 幕開けはジョーン・エイキン月のしかえし』(猪熊葉子訳、徳間書店、一四〇〇円)から。エイキンはストーリー・テラーの名手。この絵本は伝承を取入れた短編で、バイオリンを上手に弾きたいと月に願った少年が、音楽の才能と引き換えに厳しい代償を払わされるというファンタジー。アラン・リーの表現力豊かな挿絵が物語を引き立てている。わたしはファンタジーという語から、美しいもの・遥かなものへの憧れと、怖いものみたさの欲求を連想する。そしてきれいで繊細なだけのイメージより、グロテスクさに通じる妖しさを歓迎する。その意味ではリーの絵は理想に近く、中世の風物はリアルで美しいが王様の幽霊や怪物は妖しく怖い。圧巻は海辺の絵で、超自然力のパワーが伝わってくる。
 エイキン同様西洋の伝承を使っていても、O・R・メリング歌う石』(井辻朱美訳、講談社、一五〇〇円)は言葉だけで超自然力あふれるイメージを喚起している。これは紀元前のアイルランドが舞台。主人公は現代人だがタイム・スリップして同地へ行き、宝を探してトゥアハ・デ・ダナーン族の滅亡を救おうとするその時代の娘に同行する。主人公にも自分の身元探しという動機があり、同じ作者の『妖精王の月』に比べて設定に無理が少ない。ダナーン族の滅亡が予言されているなかで悲劇を避けようとする試み、恋愛が絡んでいること、随所で彩り豊かなイメージがタペストリーのように展開することなど、ロマンチシスト向きの(というより、わたし好みの)ファンタジー作品である。
 さて、今回言葉の力を圧倒的に感じさせた作品がロバート・ウェストールの戦争』(原田勝訳、徳間書店、一二〇〇円)だった。これは主人公の兄が語り手をつとめ、小さいときから少し変わっていた弟アンディに起きる憑依事件の一部始終を、次のように聞かせる。<弟は昔から他人の気持ちに同化する能力があった。何かトリックがあると冷ややかだったぼくも、湾岸戦争以降、弟は他人に取りつかれていると信じるようになった。というのも弟はトランス状態のときに急にアラビア語を話しだしたからだ。ぼくはアラブ人の精神科医の力を借り、弟を助けようと苦心する。> この本の凄さは、訳者の言葉を借りれば、「まるでスポーツの実況中継のように連日テレビに映し出された」一九九〇年の湾岸戦争を、一気にわたしたちの側に引き寄せていることだ。ウェストールは八一年の『かかし』でも「憑依」を物語の推進力として利用し、主人公の悪意と憎しみが不吉なパワーを発揮するさ まを描いた。九二年に出版されたこの本は、鋭敏で他人の苦しみにたいする想像力をもつ子どもが、現実の厳しさと残酷さに苦しめられ、破壊されそうになる物語で、それだけに読み手に迫るものがある。また憑依の当事者のほかに語り手を置いたことで、ほかの人の言い分がより多角的に伝わることになった。これを読めば今までメディア報道を鵜呑みにし「正義」だと信じていた諸事件も、あまり信じられなくなることだろう。
 ウェストールと手法はちがうが、現代の学校を舞台に、芝居の稽古中に一九世紀の子どもたちの怨念が幽霊となって登場するジリアン・クロス『幽霊があらわれた』(安藤紀子訳、ぬぷん児童図書出版、一四〇〇円)も怖い本だ。クロスは歴史性をもたせることで鬼気迫る幽霊を出現させたが、劇に出演する子ども同士のいじめも、幽霊に負けず劣らず怖いからだ。そのほか、シルヴィア・ウォー『ブロックルハースト・グローブの謎の屋敷』(こだまともこ訳、講談社、一六〇〇円)、スー・ハリソン『母なる大地父なる空』(河島弘美訳、晶文社、上下各一六〇〇円)など、読みでのある本が目白押しだ。
読書人 1996/01/26
           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
     
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