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 まずは、昨年十月に出た日本の昔話」全五巻(おざわとしお再話、福音館、各二二〇〇円)を見落としていた、というおわびから。こんな大きなセットを?と思われるだろうが、友だちに指摘されるまで気づかなかった。面目ない。あとがきで小澤は「共通語による再話」という表現を使っているが、各地に伝わる類話の決定版というべきものを選択し、それを標準語で書き直したものと受け取ればよいのではないか。標準語と言っても、呼びかけの「じさま」「犬っこ」、擬音の「じゃーっ」「じゃんこ」、結びの「どんどはれ」「まっかひとむかし」などを加えることで味気なさをやわらげ、話にリズムを与えている。この中には、活字を通して多くの昔話に接してきたつもりのわたしが知らない話がたくさんある。(忘れていただけかな?) 
昔話には、自国の風土がはぐくんだ文化──その土地ごとの習慣や風俗、昔の人々の祈りや願いを反映しているもの──が詰まっている。ドイツ民話の研究者でもある著者が日本の民話にこだわっているのは、外国文化を知る前にまず自国文化を知るべきだという考えがあってのことではないだろうか。どうか「はなさかじい」を「ももたろう」を知っているからと安心せず、もっと読んでほしい。ところで、ある土地固有の風土から生まれたはずの昔話や民話なのに、複数の民話でモチーフが同一という場合がある。その理由については、いさぎよく研究者に任せることとして、実地検証だけでもやってみてはどうだろう? まず昨年一一月刊のなぞとき名人のお姫さま』(山口智子編・訳、福音館、一二五〇円)は、一九世紀後半から今世紀初頭にかけて採集されたフランスの民話一一編を訳したもの。で、このなかの「かぜひきたちが聖ゲルリシュションさまへおまいりにいく」を読めば、ドイツの「ブレーメンの音楽師」との類似が気になるし、「プチジャンとかえる」なら、同じく「カエルの王女」が連 想されるはずだ。
そういえば、ロシアにも同じような話がある。そのことは、ロシア民話集カエルの王女』(佐藤靖彦訳、新読書社、三二〇〇円)を見てもらえばわかる。これは同名の話を含め、五つの話を収めた絵本。ロシア民話ではヤガー婆さんは定番キャラクターのひとりだと思うが、興味深いのは、恐ろしい魔女として登場する話と、知恵のある老女として登場する話のふたとおりが混じっていることだ。「ヤガー婆さん」という名のもと、農民たちが普遍的人物像を作ったことがうかがえる。挿絵はイワン・ビリービンという高名な画家だとか。中世の手書き彩色本などでおなじみの技法を用いてあり、装飾模様が額縁のように画面を取り囲んでいる。ときには額縁をさらに分割し、それぞれ違う模様をはめこんだ個所もある。半人半獣や骸骨、魔物をはじめ、人物、建物に至るまで、装飾や色使いもきれいだ。それでいて全体から力強さが伝わってくる。ただ残念なことに、色ずれやぼやけのある頁が混じっている。(これは原版が傷んでいたせいなのか?)
 さて昨年一一月末出版だが、紹介しておきたいのが、次良丸忍(じろまる・しのぶ)の『銀色の日々』(小峰書店、一三八〇円)である。四人の主人公の日常を描いた短編を四つ収めただけの地味な本。そのなかで「銀色の手錠」と「くろいとりとんだ」を推したい。前者はあまり親しくない級友に新品の時計を貸した主人公が、時計を取り戻して心の闇を知るという話。後者は、学芸会の大道具係りに推薦されて張り切っていた主人公が、裏の事情を知って衝撃をうける話。むろん物語の構成やサスペンスの盛り上げ方がうまいのだが、過剰な説明をさけ、時計が「銀色の手錠のようにみえた」といった描写だけで主人公の心の襞をうかがわせる節制ぶりに好感を覚えた。今後に期待したい新人作家だ。
読書人 1996/02/23
           
         
         
         
         
         
         
     

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