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 嬉しくなる絵本を見つけた。田島征三げんき偕成社、八八〇円)だ。表紙は、Y字の木の上で男の子が両手をひろげ、体全体で大の字を表している絵で、その上にタイトルがかぶさる。そうか、元気な少年の話だなと予想したら、はずれてしまった。ストーリーはとくになく、デザインで勝負した絵本だったのだ。元気なおじいさんと平仮名の「げんき」の字が競い合うような頁もあれば、煮立った薬缶から湯気にまじって「げんき」という字が噴き出る頁、というようにどの頁も思い思いに絵と文字が元気を表現している。発想も面白いし、勢いのある絵筆の動きを感じるのも楽しい。ストレスや疲れがたまっている人もこれを見れば、元気になるのかな?
そういえばゴールデン・ウィークなのに、どこへも遊びに行けなかった。せめて海の話でもと、竹下文子の『ケンとミリ』『青いジョーカー』『ほのおをこえて』『金の波銀の風』『最後の手紙』(鈴木まもる絵、各1000円、偕成社)の五冊を読んだ。これは九四年四月から一二月にかけて出た「黒ねこサンゴロウ」シリーズ五冊の続編ねこサンゴロウ 旅のつづき」シリーズ。いずれも冒険物語として面白い最初の五冊では、一冊ごとに登場人物が増え、次々に違う島が舞台となり、物語世界が発展していった。そこで続編五冊では、逆に様々なストーリーラインが一点に収束することを期待したが、そうなっていない。なるほど、サンゴロウの過去も明らかになったし、主な登場人物の「その後」もわかった。各巻とも小学生が読むには長さもまあまあだし、猫の船乗りを主人公にした意外性のある物語として、出来も良いほうだとは思う。でも、シリーズとして、まるごと満足できたかというと?
理由はいろいろある。ひとつはシリーズ構成の問題だ。前回同様、今回も一冊目でケン少年を語り手とし、人間の側からサンゴロウとの再会を描いている。いままでのおさらいになっていることはわかるが、結局人間界と猫界のつながりが最後まで曖昧なままで終わった。そのためこの巻の存在そのものが中途半端に思える。さらに好みの問題かもしれないが、番外編が四冊目となっていて、そのあと五冊目に物語が続くことも順序が逆のような気がした。またこの最終巻では、やみねことの対決という大詰めで、作者に肩透かしをくらったような印象を受けた。もうひとつ気になったことは、海や航海のことを中心に書いている割には、海の匂いが(わたしには)あまり感じられなかったことだ。これは「うみねこ船」──太陽電池エネルギーを使い、うみねこにしか動かせないという設定──からもわかるように、船にしろ海にしろ、自然そのままではなく、人工としての空想が加わっていることが影響しているのだろう。
対照的に「自然」を充分に感じ、リアルさを堪能できたのが、ライアル・ワトソンモンスーン』(筑摩書房、一六〇〇円)だ。知識が上っ面でなく、作者の一言一言に深い英知が感じられるこんなエッセイは久しぶりだ。振り仮名がないため中学生以下には難しいと思うが、ノン・フィクション好きでなくても夢中になれる。わたしは、ワトソン博士があのデズモンド・モリスに学んだことにまず驚き、みずみずしい紀行文を楽しみ、彼の自在な思考に感銘を受けた。「アイリッシュ・シチューの味」ではユーモアあふれるアイルランドの一こまに笑いを誘われ、「忘却の杯」では思わずぞくっとした。またアフリカの章では、マルロ・モーガンの『ミュータント・メッセージ』を読んだときのように、「人」が自然の一部であることを教えられた。真のエコロジーについてや自然を読み解く方法についても、ヒントが得られることだろう。
読書人 1996/05/17
           
         
         
         
         
         
         
     

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