96/06

           
         
         
         
         
     
 河出書房が創業一一〇周年記念事業として、「ものがたりうむ」シリーズの刊行をはじめた。四月が三田誠広キャロラインの星』(八八〇円)、五月が増田みず子『うちの庭に船が来た』(九八〇円)で、二冊とも装丁はとても素敵で、価格も手頃。だが、中身についてはおおいに異議あり。
シリーズの一冊目に女性天文学者についての伝記的物語をぶつけたことは、なかなか面白い。この欄で扱うジャンルもフィクションに偏りがちだが、本来子どもの本の領域はもっと広いからである。さて、物語仕立ての伝記では、作者が被伝者の人物像に解釈を加え、生き生きと浮かび上がらせることが求められるだろう。では『キャロラインの星』の場合はというと、事実の伝達はさておき、物語と呼ぶにはあまりにひよわで、人物描写が類型的だ。それに、作者は子どもに語りかけるという手法について、あまりご存知でないようだ。ナレーターが夜空について基本的な知識を伝え、その上できょうの話題に誘導する──このあたりは、プラネタリウムでナレーションを聞いているようで心地よい。だがその後ウィリアム・ハーシェルの子ども時代の話になってから、違和感が出始める。「ウィリアムは胸のうちでつぶやきます」という文章と、「みなさんは魚座を見たことがありますか」という語りかけが地続きで混じりあっているときの、あの違和感である。こういう手法ははっきりいってむずかしいし、今の流行でもない。読者がナレ ーターを胡散臭く感じ、しらけるからだ。そのうえ途中の出来事がはしょりすぎ。たとえばウィリアムが楽器の練習を始めると、三行後には「名手になりました」と書かれる。二十年ぶりに再会した妹が、兄と望遠鏡作りに青春をかけたとあるが、それに至る背景・心情が書きこまれていないから、「物語」を読んだという手応えがない。
ほぼ同じ時期に出た、ハリー・ブルース『モンゴメリ:「赤毛のアン」への遥かな道』(橘高弓枝訳、偕成社、二五〇〇円)と比べてみてほしい。片や天文学者、片や文学者という違いはあれ、伝記を「物語る」ことがどういうものか、理解してもらえるはずだ。いや、アインシュタインの特殊相対性理論を紹介するためにSF冒険ファンタジーを使った、ラッセル・スタナードが『アルバートおじさんの時間と空間の旅』(岡田好恵訳、くもん出版、一二〇〇円)だって、物語を使ってわかりやすく説明することに成功している。「ものがたりうむ」シリーズをこの本だけで判断するのは早計だが、名の通った作家イコール切り札とはならないことは言っておきたい。かつてアメリカのロバーツ・ブラザース社は、一八七〇年代当時の有名作家(ルイザ・メイ・オルコットもそのひとり)に匿名で作品を書かせ、「無名シリーズ」を出したという。この企画は読者の好奇心を呼んだこともあって成功したそうだが、記念事業というからには、そのぐらいの意外性で、わたしたちを驚かせてほしかった!
暗い気持ちになったので、気分を変えるのに役立ちそうな本を二冊。『かちんこちんのムニア』(アスン・バルソラ作・絵、宇野和美訳、徳間書店、一四〇〇円)と、オーシマ・タエコ『タマミちゃん ハーイ!』(童心社、九三〇円)だ。前者は、一日中不機嫌だった少女が、家族に嫌われたかと心配になり、第三者の「振り」をして自分の居場所がまだあることを確かめる話。少女の思いつきに付き合う家族がすてきだ。後者は、オタマジャクシと少女の友情という、途方もないナンセンスを、どことなく長谷川町子風の絵が支える。すとーんと突き抜けた物語の展開が楽しい。
読書人 1996/06/21
           
         
         
         
         
     

back