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書店の店頭にはずらりとクリスマス絵本が並んでいるが、「秋よ、まだ行かないで!」と言いたくなるのは成田雅子作・絵いちょうやしきの三郎猫』(講談社、一二〇〇円)のせいだ。表紙は黄色い銀杏と黒い屋敷を背景に、黒いエプロンをした立ち姿の黒猫。スフィンクスの頭の部分のような、すっきりした猫の顔が印象的で、一目惚れしてしまった。物語は麻美という女の子が、いなくなった猫の三郎を探して歩くうちに、立派な銀杏のある屋敷で三郎をみつける、だが三郎は麻美の猫に戻ることを拒み、絵を描いて暮らしたいと主張する。麻美は三郎が独自の世界をもつことを受入れ、連れ帰るのをあきらめるという内容。飼い主が自分の身勝手さを反省する話とまとめると教訓的に聞こえるが、そんな臭さはみじんも感じさせない。神秘的で風変わりな猫を活躍させる場として、銀杏屋敷が手応えのあるファンタジー空間になっているからだろう。とりわけ猫が麻美にほお擦りして別れる場面とか、最初と最後では微妙に色の違う午後の草原などに味わいがある。全体に版画のようにも見えるが、油 絵の具を重ね、表面をひっかいているとか。情緒もあり現代性もある出色の絵本。立ち姿の猫の三郎は、ほのかな色気さえ感じさせる。
海外の絵本からは、まったくタイプのちがう三冊を選んでみた。ママったらわたしのなまえをしらないの』(石井睦美訳、ブックローン出版、一三〇〇円)は、母親に「ひよこちゃん」とか「かぼちゃちゃん」「かいじゅうね」と言われるたびに、ハンナという名前を忘れているのでは、と不安になる女の子の心理を描いている。見方を変えれば、刻一刻といろいろなものに変身する子どもと、その世話におわれる親の大変さを描いたともいえる。イラストレーターのシャケットは、子どもが描いた絵のようでアンバランスな女の子──頭が体の倍もあり、その体にくっつけたような体から、やけに小さな手足が突き出ている──を登場させ、そのつど、体の一部をひよこやかぼちゃ、わになどに変化させた。グロテスクになりそうな絵を、シャケットはクレヨンらしいやわらかなタッチとあたたかな色使い、それぞれの大小の比率をわざと狂わせることで、うまく回避したのだと思う。
 子育ての苦労というより、孫のかわいさ、かけがえのなさを、祖母の立場から発見したと思われるのがジル・ペイトン・ウォルシュ文、ソフィー・ウィリアムズ絵おばあちゃんがいったのよ』(遠藤育枝訳、ブックローン出版、一三〇〇円)だ。実際には子どもが共感しやすいようにと、孫がおばあちゃんに言われた言葉を伝える設定。孫が生まれ、ぐんぐん成長していく様子を見て、祖母が「アメリカで見た鯨よりも」「北極の熊よりも」「あなたのほうがすばらしい」「元気だ」というように、世界各地の風景と比べて感嘆していく。動物のいる風景と、祖母と孫の情景を交互に繰り返す単純な構成だが、同時に子どもの成長を伝えているところが、豊かさとなり、面白味ともなっている。
成長といえばつるつるしわしわ』(バベット・コール作、金原瑞人訳、ほるぷ出版、一五〇〇円)は年をとるということをユニークに表現した絵本。シャーリー・ヒューズのようなコミック風の絵にナンセンスな筋の組み合せ、といえば少しはイメージが伝わるだろうか。随所に怪獣も特別出演している。老夫婦が孫たちに、赤ん坊のときからスピード狂で映画のスタントやアクロバットをしたりと、波瀾万丈の自分たちの生涯を話す。死後はリサイクルしてくれ、と死をブラックユーモアの対象にしている点も凄いと思った。
今月で二年続いたわたしの担当も終わる。来年は作家のひこ田中さんにバトンタッチ。わたしも一読者に戻って、関西から吹く風に期待したい。ひこさん、どうぞよろしく。
読書人 1996/12/13
           
         
         
         
         
         
     

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