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ママが死んでからパパは書類に埋もれているばかりで、ちっともハンナをかまってくれない。仕方なく彼女は弟のルッチェ・マッテの世話をしたり料理を作ったりの日々。だから、「わたし、家出するわ! ママの庭に行く!」。こうして始まるのが絵本『ハンナのひみつの庭』(アネミー&マルフリート・ヘイマンス文絵 野坂悦子訳 岩波書店 1600円)。画面は常に、見開きの左にパパとルッチェ・マッテのいる家、右にハンナが家出をしたママの庭を配置している。ママが亡くなってから、ママの部屋は入室を禁じられ、庭はレンガで封鎖された。自分の部屋と、自分の庭。その二つは、ママが一番自分らしくあれた居場所であり、どちらもが必要であったはずなのだが、その往還の回路がパパによって切断されてしまっているわけだ。とすれば物語はどのような展開を見せればいいのだろう? 例えばハンナの家出に気づき、反省したパパは再び部屋と庭を解放し、ママが空白となったことを受け入れ、家族が再生する。おそらくそうした結末が最も安定した形だと、かつての児童書は述べただろう。が、この物語は違った方向へ進む。壁にできた穴から庭に入っ たハンナはここで快適に過ごそうと雑草を刈り、犬を伝令に立て、弟に頼んでママの部屋から次から次へと家財道具を運んでもらう。といっても家と庭の間には水路があり、危険だからとハンナは弟にその手前まで運ばせ、深夜こっそりそれを庭に運び入れるから、弟は彼女の居場所を知らない。つまり物語は、ママの部屋とママの庭(そのどちらにも「声だけのママ」がいて二人に話しかけてくる)との回路をパパに回復させるのではなく、ハンナに、二つのママの居場所を融合させるのだ。部屋の中に、本と時間が止まった時計と冷えたお茶の入ったポットがある書棚だけが残ったとき、「声だけのママ」が吹かせた風によって、弟とパパは、ハンナが完成したママの部屋+庭へと吹き飛ばされる。そこでさっそくパパは庭に屋根(家庭)を作り始めるのだが、ハンナはこんなことを思っている。「こんど家出したくなったら(略)家に行けばいい」。![]() 家族を再生や再構築するための触媒としての子ども。ハンナもジェーンもそんな子どもになる気はない。彼らは自身で彼らの居場所を造り始めている。(ひこ・田中)
週刊読書人1999,02,19
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