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 『ペルソナ2・罪』(アトラス)は、ジョーカーを名乗る者が組織する仮面党から世界を救うRPG。
 この人気シリーズ、舞台は西洋中世風ではなく日本の現代都市だから、常にこの国の子ども状況が反映するのが魅力の一つ。また、敵の悪魔と交渉ができ、成立するとその種は仲間(仲魔)となる。彼らは種ごとに性格を異にしているから、成立のためならプレーヤーは主人公たちに悪魔が喜ぶ嘘をつかせもするのやね。
 ここでは嘘=悪ではない。
 そして今回は「噂」が重要な鍵となる。街では様々な噂が流れ、それはある程度広まると実現してしまう。
 例えば主人公の一人リサをおびき寄せるためにジョーカーが流した噂、覆面のニューアイドルはリサだ、によって彼女は本当にアイドル歌手にされてしまう。こうして、噂と真実が未決定のまま物語は展開する。
 従って、「ジョーカーから世界を救う」との主人公たちのアイデンティティもまた噂によるものである可能性が次第に明らかになってくる。ことの起こりは彼ら自身の中に隠されているのではないかと。物語は前を見つめるより過去を模索する。タイトルも含め、このゲームは子どもの「今」の気分を巧くつかんでいる。
 さて、児童文学。
 梨屋アリエ『でりばりぃAge』(講談社)は表紙にピザ1ピースが描かれているが、仮面にも見える。主人公は中学二年の真名子。受験予定の私立高校の夏季講習に通っている。試験日、息苦しさと不安感に襲われる。それは四階の窓から飛び降りてしまいたい程の重さ。校舎の隣の民家の庭、彼女を救いに来た船の帆のようにはためくシーツ。が、雨が降り始めたのにシーツが取り込まれる気配はない。真名子は教室を飛び出す。シーツを救うために。
 魅力的な導入部であると同時に、真名子という名前、象徴としての庭など、これが過去の幾つかのテクストを参照しているのは明らかで、テクスト自身もそれを隠そうとはしていないのがいい。
 真名子が飛びこんだ家では浪人生らしき男がいて、真名子が以前見たことがある「じじい」は留守。その後、毎回講習をフケた彼女をここに通わすことで物語は、前だけを見つめて進むストーリーを回避し、彼女の抱えている重い気分をたどりなおしていく。弟が生まれたときの祖父母の喜び様から、女である自分は求められた子どもではなかったと思っていること。カルチャーセンターから仕入れてくる情報で子育てしようとする教育マニアの母が、本当の自分をさらけ出さないことへの不信。大人になっても女の未来は決まっているという苛立ち。家では母親のいい子になっている弟が学校へ行くとき必ず変身のポーズをすること。不況で家に早く帰ってくる父親はTVゲームの『電車でGO!』ばかりしていること。つまり、ジェンダー状況と、家族が仮面を被り家族を演じている様。
 と、並べてみればさしたる新しい素材でも視点でもない。が、十年前に戻ってみればそれらはこの国の児童文学にとっては新しかったものであり、先の過去のテクストの参照と合わせて考えれば、『でりばりぃAge』は、自身もまた「過去を模索」しているといえるだろう。
 ストーリーは、浪人生らしき男の抱える問題素(出来過ぎのエピソードだ)の導入によってズラされ、庭による癒しといった過去のテクストの強い磁場にあっさりと回収されてしまい残念(それはおそらく、「大切なだれかをふわっと包みこめるような(略)、ひろびろとした存在になりたい」といった言葉が最後に現れてしまう生真面目さに起因する)。だが、ここに提出された素材や視点を、つまりはこの『でりばりぃAge』を参照し、書き換えられた次作を期待するに十分な勢いは感じさせるデビュー作である。梨屋が生まれる前に作られた歌のタイトルを記しておけば、『古い船を動かせるのは古い水夫ばかりではないだろう』(吉田拓郎)。
 なお、今回の話しとリンクするのは『星兎』(寮美千子 パロル社)。「ぼくは『ぼく』というぬいぐるみをかぶっている。そうやって、ずうっとママやパパとうまいことやってきたんだ」。