半魚人あらわる
逃げろ!ウルトラマン
ゴジラが出そうな夕焼けだった

花形みつる

河出書房新社 1991-1992

           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    
 花形みつるの『半魚人あらわる』(二一○○円・以下いずれも河出書房新社)がようやく出版された。昨年でた『ゴジラが出そうな夕焼けだった』(一○○○円)『逃げろ!ウルトラマン』(一○○○円)につづく爆笑痛快少年物語の第三弾だ。出版された順番は『ゴジラ』『ウルトラマン』『半魚人』になるけど、主人公たちの体験 。時間に並べかえると、順番は『ウルトラマン』『半魚人』『ゴジラ』となる。ちなみに『ウルトラマン』は四、五月、『半魚人』は六、七月、そして『ゴジラ』は夏休みの出来事だ。
 『ウルトラマン』の巻頭には、ファミコンをパロった人物紹介がある。「桜谷原住民」を名乗る主人公の小学生たちは、知的水準の高いニュートラルなキャラで、日常・非日常、おとな・こども、あほ・りこうなど相対するワールドを自在にワ-プするマイナー・メジャー間往復切符を武器にするシュン(六年生)を中心に、三白眼光線を武器に、ずばぬけた最大HP(生命力) をもつブッチ(六年生)、ルックスが武器の、攻撃力、守備力、ついでに性格のよさまで兼ねそなえたみっちゃん (六年生)、その弟で、マニアックなわさを駆使し、あくたれピームという防具をもつ夕イジ(五年生)、レべルは低いが保身のテクはピカイチ、防具はおぽんちバリアというケーバン(五年生)、超能力がつかえると、本人がいっているだけの幻の武器「オカルトパワー」に、体重九○キロのその肉体を天性の防具とするオシメ(六年生)など、なかなかの個性派ぞろいだ。
 そしてこの入物紹介でもうひとつ大事なのが「仲間にしたときの君の変化」という項。主人公たちのキャラクターはこの人物紹介で一目瞭然、その実際を読むおもしろさもさることながら、彼らによってアイデンティティを解体(つまり変化ね)されるわき役にも、けっこう読ませるものがある。
 『ウルトラマン』と『半魚人』を通して徹底的にアイデンティティを解体されるわき役は、桜谷原住民に「ノビ太」と呼ばれる東大生だ。母の呪縛からのがれるため、かつて叔父が住んでいた通称「お化け屋敷」に逃避したノビ太。桜谷原住民のオーラをあび、自分の人生を六年生の夏休みからやり直そうと、東大を中退してしまう。なんの能もないノピ太が、ウルトラマンに変身するのはそれからだ。ノピ太を自分のところにつなぎとめようとするウルトラの母と決別、そして「お化け屋敷」に不良少年がたむろしていると抗議しにきた近所のおばさん連中を、スぺシウム光線「東大合格」で堂々の撃退。
 一方『半魚人』では、中学受験準備でノイローゼになった、シュンの同級生メリー(男子だよ)が加わって新たな変化がおこる。ノピ太が自分の分身のようなメリーに刺激され、ほんとうの教育にめざめてしまうのだ。うっとうしくなった桜谷原住民は、ノピ太に幼稚園のアルバイトを世話してやっかい払い。当のノピ太はアメーバ集団と化した園児たちの人気をとって、いつのまにか自分をウルトラキングだと思いこんでしまう。「宇宙の平和のためにウルトラ兄弟を助け、宇宙のことはなんでも知っていて、必ずどこかにいるといわれながら、いままで一度も姿をみせたことがないという伝説の英雄」でもそんなメッキはインディ・ジョーンズばりの洞窟遭難事件でドジをふみ、あっさりはがれてしまう。
 こうしてノピ太はいやおうもなく等身大の自分を発見しなおすわけだけど、桜谷原住民たちはその間も好敵手キン坊軍団や隣町のイーグルス、あるいは中学生の不良グループとの抗争で着々と腕を磨いていた。そして夏休み、桜谷原住民が他流試合に挑むときがきた。『ゴジラ』の舞台は信州の山奥、「体験。夏合宿」。相手は、中学部の偏差値が県下で最高という有名私立秀英学院の小学部六年生八人組。最大のライバルは、スポーツ少年風の体格のわりには色白で、醒めた目つきのひややかなリーダー格のキリガミネ。でもその冷静なキリガミネも桜谷原住民のオーラをあぴてバグってしまう。母親の望みどおり「世界最強のこども」をやっていたキリガミネだけど、「明るく、元気に、笑って、ケンカして、泣いて、遊んで、素直に感動して」という「こどもらしさっていう数値」をあげるために合宿におくりこまれたという矛盾としかいいようのない弱点を露呈してしまうのだ。
 桜谷原住民はどうかというと、母親たちが町内旅行するためのやっかいばらい。と、いうのは表面上の理由で、こと語り手のシュンに関しでは。別に裏があった。シュンの家、じつは親が離婚して母子家庭になっていた。負い目を感じる母親は無理にフツーの家を演じようとし、優等生をやっていた兄貴はたまりかねて反乱をおこし、肝心のシュンはみそっかすの次男を任じていた。そして三人三様に過ごすことになった一週間、兄貴にいわせれば「ボクたちが別々の人問だということを知るためのきっかけ」で、「ボクたちは、家族のしがらみを切断する訓練をしなくちゃいけない」というのだ。
 シュンの救いは桜谷原住民の仲間たちだ。隙さえあれば仲間でも平気でコケにする気のおけない連中、でもその濃密な人間関係が、孤独をいやす最良のリハビリだったりする。ノビ太の場合しかり、シュンの場合も例外じゃない。キリガミネは、桜谷原住民をゴジラみたいだという。アナーキーで、気の向こままに暴れるところにあこがれる、と。でも、原作のゴジラには水爆実験でめさめるという暗い部分がついてまわっている。シュンの表面上のアナーキーと内面の葛藤、もしかしたら、これこそ二重の意味でのゴジラなのかもしれない。ファミコンやマンガのノリで笑わせながら、家族の事情というジャブをきかせる『ゴジラ』は、三作の中でもとくに緩急自在の読ませる作品にしあがっている。 (酒寄進一
読書人 1992/09/28

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