日本児童文学1978年10月号
翻訳時評

アンネの伝記をよんで、ふつうの人間とは、どんな人間かを考える

           
         
         
         
         
         
         
         
         
    
 強烈に暑い。ここ一ヵ月ほど連日室温30度を越す奈良盆地の夏は読書欲を大幅に減退させる。せめて、夏休みにはくつろいで本を読みたいというささやかな願いは、あえぎながら冷蔵庫に麦茶を求めに通う運動に転化している。

1 絵本

 点数は多いけれど、これという出会いがない。絵がかわっていくけどストーリーが陳腐とか、発想は斬新だけれどそれだけとか。ページごとに、絵の中の窓を切ってあけるのは(『まどをあけて!』ヘレナ=ベフロレバさく・ハンナ=チャイコフスカえ・うちだりさこやく・偕成社・ポーランドの絵本)それなりに楽しい。読者が参加できる絵本として出版されているものには切り抜き二ページがついていて(『いっしょにあそぼうよ』フリードリヒ=カール=ヴェヒターぶん・え・尾崎賢治やく・アリス館)、しばしやってみる。どちらも思いつきの域を越えることはない。こういうものを自分でも作ってみたい気には誘うかもしれない。

2 『ものぐさドラゴン』

 のぐさドラゴン』(K=グレーアム作・亀山龍樹訳・金の星社)は、かつて、学研から『おひとよしのりゅう』(石井桃子訳)というタイトルで出ていたものと同じ作品で『楽しい川べ』を書いたグレーアムの中篇である。エッセイ集『夢見る時代』一八九八年刊)の中にもとは入っていて、大人のよみものであった。
 空想にふけり、何よりも詩をつくることが好きなドラゴンが地中から久しぶりに出てきて海のように広い草原の眺めが気にいって住みつく。ひつじ飼いがそれを発見して息子に様子を見にやらせる。おかみさんのいう「この子がいうように、ドラゴンは、この子の専門で、わたしたちのかかりじゃないからね。この子は、だれもみとめてるとおりに、本に出てくるけだもののことは、びっくりするほど知ってるんだから。」(28頁)というわけである。二人の会見はうまくいき、「わしが地下におったころ、かるい気持ちで、ちょいとひねったつまらん詩だが、それについての、きみの、ざっくばらんな意見がききたいね。」といった仲になる。そのうち、村の居酒屋でドラゴンのことが話のたねになり、セント・ジョージが退治にくることになり村中大さわぎ。困った男の子は、セントジョージに「だれだって、あのドラゴンを一ぺん知ったら、すきにならない人はいません。あいつは、とてもみりょくがあって、とても信用できて、子どものように、むじゃきです。」(56頁)と事情を説明してドラゴンに会わせ、村人の前では、決戦のしばいをすることに取り決める。しばいは見事成功し、セント・ ジョージは、ドラゴンにかわって村人に「村の人たちがよくしてくれるなら、ここに住みつきたいといっている。だから、みなも、かれを友だちにして、かれについて、かたよった見方はせぬようにし、わしらはなんでもわかっておるという考えをしてはならぬ。なにごとも、そんなにわかってはいないのだ。」(89頁)と説教し、めでたしめでたしでストーリーは閉じる。
 ドラゴンと男の子の対話、息子と両親の対話、セント・ジョージと男の子の対話、セント・ジョージとドラゴンの対話は、それぞれにユーモラスで優しさにあふれていて気持がよい。性格描写が的確なので、その晴れの舞台の役者ぶりが申し分なく伝わってくる。楽しい一冊である。
 ただし、さしえがあまりにもマンガ的で、作品の解釈を著しく傷つけているのは、残念である。学研版の寺島竜一氏のドラゴンと比較してみてほしい。有史以前から存在しているドラゴンの重み、対するにドラゴン退治の名人としてその名も高きセント・ジョージの伝説上のイメージを全く無視してしまっている。大真面目に、古典的に絵をつければつけるほど作品のユーモアが浮かび上がってきて効果的になったのではないかと思う。

3 父子家庭を舞台に

 くらは世界一の名コンビ! ダニィと父さんの物語』(ロアルド=ダール作・小野章訳・評論社)は、ダールの他の作品とは全く趣きの異なる作品である。母親に死別した九歳のダニィ少年は、「本当に掛値なしに、どの男の子の父さんよりも、すばらしくて、わくわくしてくるほど素敵な」(17頁)田舎の給油所をしている父さんと、ジプシーの箱馬車で生活している。ダニィの父さんは、お話も上手だし、遊びの工夫が抜群で仕事(自動車の修理)にも卓越している。その父さんが、密猟に熱中し、ダニィと工夫をこらして年に一度いやらしいヘイズル氏が開くキジ撃ち祝賀パーティの前夜、森中のキジを捕えるという愉快な話である。
先祖代々伝わっているスポーツとしての密猟、村中が公然の秘密で、医師をはじめとして、駐在さんから牧師さんまで加わり楽しみをわけ合うという不文律は、おもしろい。何一つ深刻な問題をつけくわえることなく楽しませてくれる作品でありながら、電気もひいていない箱馬車での父子の生活を通して、学校、村人のくらしぶり、人生の楽しみ方が伝わってくる。
 母親がいないということをそのまま受け入れて、父親から伝授される技術を学んでいくダニィ。五歳の誕生日に父さんはいう。「おまえには、本当に良い教育が必要だ。だけど、わたしはおまえをまだ学校にはやりたくないんだよ。もう二年は、この修理工場で、わたしといっしょに勉強することがたくさんあるからだよ。二年したら、エンジンの部分をみんなばらばらにして、それを元通りに組立てることができるようになると思うな。それも、一人でだ。学校へ行くのは、そのあとでもいいと思うんだよ。」(27頁)そしてその通りになるのである。
 もともと、大人のよみものとして書かれた短篇で、登場人物も大人であったものを、子どもを主人公とした長編に改作した作品であるので、父子関係はあとからのセッティングといえるかと思うが、単に、一夜でキジ一二〇羽を生捕りにするという着想のおもしろさでもっているコメディに、別の魅力が加わったことはたしかである。

4 『シベリアの馬 ジャンパー』

 馬の一生の物語といえば、アンナ=シーウェルの『黒馬物語』(一八七七年刊)を思い出す向きもあると思うが、現代という時代を考えに入れて読むと、かなりセンチメンタルでやりきれない部分をもっており、いまさらの観があった。
ベリアの馬 ジャンパー』(N=カラーシニコフ作・田嶋陽子訳・ぬぷん児童図書出版)は一九四四年の出版であるから、決して新しいタイプの作品ではないが、貴族的なアプローチのブラック・ビューティに比較すると、エリートの馬であるとはいえ、共感をもってよむことができる。カラーシニコフは、一九五〇年に出版された『極北の犬トヨン』(高杉一郎訳・学研・七一年)があって既に日本に紹介されている。ツングース人グランの語る名犬トヨンの物語で、「犬のいるところには、きっと人間がいる。」(13頁)という北極圏を背景に、人と犬が一体化し信頼関係をもって生活している情景がきびしく美しく描かれ、トヨンという犬の一生を感動的に伝えている。
 『ジャンパー』は、飼い主が数人変わるので、トヨンとグランとの関係のような崇高なものは描かれないが、シベリアで生まれ、愛情深く子馬時代をおくったジャンパーが戦争のため徴発されて従軍していき、数々の体験のあと、ふるさとに帰ってくるまでのストーリーである。
 まえがきに「ジャンパーは、シベリアうまれの馬で、わたくしの友だちでした。/ジャンパーは、めったに見られないほどやさしくて、かしこくて、勇敢で、誠実で、人間の気持がよくわかる馬でした。」とあって、生まれる直前から話がはじまる。ゲラシムは、出産予定日が過ぎても生まれる気配のないめす馬ダワジャーに気をもんでいる。末息子で片足の悪いデニス(十歳)も子馬を持っている。待望の誕生。子馬は、この父子の愛情をたっぷりうけて成長していく。
 ジャンパーの育て方で、むちを使う方がいいのかというデニスの質問に答えて、ゲラシムはいう。「わしは、子どもたちにはひとり残らず、体罰をくわえた――おまえだけはべつだった。おまえに手をあげたことはない。その結果、どうだ。子どものなかでも、おまえがいちばんいい子になった。馬も同じだ。やさしくしてやれば、よく育つ。」(82頁)馬と人間に共通していえる真理がゲラシムの素朴な体験を通して語られると非常に説得力がある。
 ジャンパーは老馬の死を体験し、様々の学習を終え、母親から自立する時がやってくる。「ジャンパーは、その群れのなかで、母親に再会した。だが、それは、母親と息子としての再会ではなかった。母親はジャンパーのにおいをかいだが、ただそれだけだった。ジャンパーのほうもほんのちょっとそばにいただけで、ほかの子馬たちとたち去った。」(120頁)
 一九一四年、戦争が布告され、平和なくらしから軍馬として徴発され、みんな同じようにしか見えない制服の男たちに情けようしゃなくむちでたたかれる毎日がはじまる。そうした中で、特に可愛がってくれた軍曹がジャンパーの従軍日記をはじめ、「ジャンパーは、人間におとらないほどりっぱな兵士です。戦いのなかで生きぬいてくれることをなによりも望みます。」と書きつける。従軍日記は、受けつがれ、さまざまな戦いをへて革命戦争に連れ出され、部隊がバイカル湖に辿りついたとき、生まれた家に生還し、獣医を目標にしているデニスにその日記は渡される。余生を種馬として村で静かに送る。
 ジャンパーの一生を描きながら、作者の戦争体験をふまえて平和への痛いような願いがひびいてくる。愛と信頼があればあくまで主人に忠実であるジャンパーであったが、最後の一行「ここは、ジャンパーの愛するほんとうの家だった。」(330頁)と終わるあたり、単純に人間にとって価値があるから名馬だというような一面的な描写にならず、馬の側にも視点がおかれていて完成度の高い作品になっている。

5 『少女アンネ―その足跡』

 昨年の九月、アムステルダムで少女アンネが二十五か月かくれていた家を訪問する機会があった。世界の平和運動の拠点にもなっているらしく、観光客も含めて訪れる人絶えることなしといった状況であった。例の本棚をおしてかくれ家に入ると、意外に広く本格的な部屋だったので驚き、閉じこめられているというと、身動きもできない程せまい異常な空間、という固定観念を持っていたことを知った。屋根裏からわずかに見える外の風景を眺め、西教会の鐘の音をきいていると不思議なアンネとの共感関係がおしよせてきて、「こうして、アンネの声は沈黙させられた数百万の人からはなれて、のちの世までのこされた。その声は子どものささやきほども大きくなかった。しかし、この声は、数百万という人びとがいかに生き、話し、食べねむったかをものがたり、殺人者の叫びよりも長く生きのびて、同じ時代に生きた人のさまざまな声のなかでも、ひときわ高くひびいているのである。」(310頁)というアンネの声をきいた一人として実感されたのであった。
 女アンネ―その足跡』(シュナーベル著・久米穣訳・偕成社文庫)は一九五八年に西ドイツで出版されて以来、『アンネの日記』とともに、アンネを理解する基本図書といってもいいものになっている。著者シュナーベルは、アンネの残した足跡をおって、彼女の短い生涯でかかわりあった七十六人の人びとをリスト・アップし、内四十二人の証人と面接して、当時の記録及びアンネ・フランクの残したメモや童話を通して、アンネの実像を浮かび上がらせようとしている。作者は、アンネの名をこれほどまでに世界中にひろめた力の源がいったいなんであったのかと問う。「この本では、ほかの無数の子どもと同じ子ども、ひとりの子どもとしてのアンネについて、わたしは話そうと思う。そうでなければならないのだ。ほんとのところ、彼女は、ほかの子どもたちとちっともかわったところはなかったのだから。アンネはふつうの子どもであって、証人のうち、ただのひとりも、アンネを非凡であったとか、どこかなみはずれていたとかいった人はいなかった。」(11頁)ふつうの子どもというとらえ方はまた、ふつうの大人へも適用されている。
 秘密のかくれ家にふみこんだゲシュタポ(秘密警察官)のジルバーターラーに面談しないことを説明している文章(241―243頁)がある。「毎日、罪のないユダヤ人たちをひっぱってきたが、彼と同じような任務をもったものは何百万人もいたのだ。」「事実は、彼は命令をうけ、命令どおりに行動したのだ。だからこそ、わたしは彼をさがしだす努力をしなかった。あらたまってたずねることもないではないか。将軍でさえ戦後、質問されると、わたしは上からの命令にしたがったまでですと答えた。それなら地位のひくいふつうの人間はいったいなんと答えられようか。」「ジルバーターラーの証言など必要ではない。わたしたちと同じように彼はまったくふつうの人であった。しかし、ミープ、エリ、コーフュイス、ヘンク、そして角のやお屋(=すべて、フランク一家をかくまうのに助力した側の人たち)までが口をそろえて、わたしたちはまったくふつうの人間だと、いいきったことによって、事情が、やや複雑になった。そこできゅうにつぎの質問がうかんでくる。では、ふつうの人間とは、いったいどんな人間なのか?」第七章の“かくれ家をまもった人たち”をよむと、八人のくらしを 守るための持続した努力がどんなに大変なものだったかわかる。そして、そのくらしを密告するふつうの人間もいたのであった。
 この著の中での問いかけの中でもっともきびしく、また真摯なところでもある。
 ウェステルボルク収容所時代のアンネを証人は、「つらく苦しいことばかりの収容所では信じられないことですが、彼女はウェステルボルクではしあわせだったのです。」(251頁)と述べ、かわいらしくまばゆいほど輝いていたアンネを記憶している。それは、つかのまのかがやきであったそこでは、かくれ家と違って新しい人にあえ、話ができ、大声で笑うことができるからと説明している。次にうつされたベルゼンの収容所でアンネは、衰弱のため死んだのだろうと推測されている。
「アウシュビッツでは、目に見える敵がありました。それはガス室であり、SSであり、残虐行為でした。けれどベルゼンでは、わたしたちは見すれられ、ほうりだされていたのです。あそこには、わたしたちが元気をとりもどすための気つけ薬となる増悪さえもありませんでした。わたしたちは自分と自分のきたならしい肉体しかもっていませんでした。ただ、のどのかわきがあり、飢えがあり、死があり、そこらじゅうに死体があり、そしてその死体が人間の命とはなんとちっぽけなものかということをわたしたちに教えていたのです。あそこで生きのびるには超人的な努力が必要でした。」(300頁)
 ごくふつうの少女の足跡を辿ることによって、ごくふつうの人びとの生き方、証言にふれることのできるスリルあふれた伝記であった。ごくふつうの少女の生涯を忘れないでいること、ごくふつうの人びとが何をしたのか忘れないでいること、その大切なゆえに、アンネフランクの名は世界中にひろがり、少女のかくれ家が平和を守ろうとするふつうの人びとにとってシンボルともなりえるのだろう。
戦争と差別を絶対悪としてとらえないかぎり、ふつうの人が今後もゲシュタポにもなりうるのだということが、ふつうの少女であったアンネの伝記をよんで痛いほど認識される。

6 ぼくは12歳――もう一人の自己との統合まで

 『ぼ
くと<ジョージ>』(E=L=カニグズバーグ作・松永ふみ子訳・岩波書店)が出版された。カニグズバーグの作品の中でも、「ある意味では子どもはおとなの世界全体にとってのアウトサイダーなのです。私は十二歳くらいの子どもに特に興味があります。この年令になると、外からの圧力――社会的な状況からくる圧力とか、両親の期待という圧力など――が強くのしかかるようになります。同時に内面のエゴも拡張してきます。かれらは“おののいて”おり不安です。」(『子どもの館』’75年10月号24頁)と語る彼女のテーマをもっとも深化して描ききっているだけに翻訳が待たれていた作品である。
 <ジョージ>は、ベンジャミン・ディキンスン・カーの内に住むもう一人の自己で、二人は同時に存在し、話しあい、人生をともにしている。弟のハワードもそれを知っている。六年生になってその共存関係が危機にさらされることになった。ベンは、英才教育の実験校アストラ校に通い理科で群をぬいていた。ジョージは暗記が得意で生物学ではベンを助けたりしていた。ところが有機化学の実験室でベンが、ズルをすることを頼む上級生のウィリアムに蒸留したベンゼンを渡してやったことからケンカ状態に入り、有機化学のテストの時には、歌をうたったり演説したりしてベンをさまたげるようになっていった。実験室からさまざまの器具が紛失するようになり、ベンは先生とママから疑われる。父母が離婚しているので休暇を過しに父親の新しい相手マリリンが二人の激しいやりとりをきき、(「ジョージはまるで夜ごとの発熱だった。」93頁)精神分裂症と判断し、精神分析医のところにいかされることになる。診断は、ベンには現実との接触があり、ジョージも部分的に現実とつながっているから分裂症ではないと出る。ジョージはベンに話しかけなくなってしまう。土曜日の実験室で上級生の ウィリアムとチュリルが紛失した器具を使ってLSDを製造しているのを知ったベンに、ジョージは三か月半の沈黙を破って話しかける。ハワードの運転する車で実験室にいき、売買される前のLSDを持ち出す。帰途、巡査につかまった二人は、警察につれていかれる。ママとベンの化学の先生、バーコウィッツ先生(二人は結婚することになっている)がひきとりに来てくれて、ベンは母親の管理下におかれることで処分がすみ、ウィリアムは落第する。ベンの内的成長につれて二人は一人に統合される。
 この作品には、離婚、英才教育の裏面、マリリンに代表されるような知識偏重教育のこわさ、身近なLSDの問題等々、七〇年のアメリカでふき出していた様々の要素がおりこまれている。ベンは不安な時代の中にあって内面の葛藤というもっとも苦しい体験をせねばならなかったのである。二つの自己というテーマは、特に目新しいものではないとはいえ、明確に語ることはむつかしいところだが作者は、はっきりと<ジョージ>とベンという二人にして、会話を組み立てながらドラマにしていく。
 カニグズバーグのどの作品についてもいえることだが、まわりの登場人物づくりが非常にくっきりとしていておもしろい。カー夫人とマリリンのコントラスト、弟ハワードのタフさ、エリート校の落ちこぼれウィリアム、バーコウィッツ先生の寛大さ、化学の教師をしていた作者の面目が発揮される実験の細部、それぞれにくっきりとした印象を残す。うまい。
 ベンの問題を、それほど深刻ぶらず、さらっと出しながら、書くべきところはきちんと書いている作者の技術に脱帽する。「すべての芸術作品には重さとその底にあるものへの洞察力がなければいけないし、あたうかぎりの技術を熟練を要求するような質。なにげなく、気易く、軽く見せるというそういう質。そのような練達を、ルネサンスの人たちはスプレッツァトウラと呼びました。」(『子どもの館』’75年10月号16頁)というのはこの作品にもぴったり当てはまるうまい説明である。作者自身によるさしえがまた、作品の内容とよくあっている。(三宅興子)
「日本児童文学」1978年10月号
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