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 「崩壊」の二字が目立つ本が巷にあふれている。「崩壊かあ」と一方で実感しながらも、次世紀に向けての動きも少しずつ出ているような気がするのは甘いかな。でも、社会が大きく変わろうとしているんだと思う。それも、変えるのは国のえらい人ではなくわれわれなのだと思うようになった。ことが起きる度に、学校が悪い、社会が悪いと、その背景に原因を求めるだけではだれもなにもしてくれない。自分の人生に不満足なのを、社会のせいにしても、親の虐待のせいにしてもどうしようもない。自分の行動に自分で責任をとることの重要性がやっと地表に浮かんできた。
 『教育再生宣言! 子どもはもう待てない』(くもん子ども研究所、くもん出版)の最後に出てくるたとえば、「官から民へ」はそうしたあり方を示している。国が指針を出して国民が従うという人生から、国民が自律的に人生選択して生きる道への転換である。こうした方向は、実は八〇年代から地下では進んでいた。それが具体化してきた一例が、職業実習、ボランティア体験、総合学習などなどの試みである。これからは学校選択の自由化も進むだろうし、学校に行かないで生きる道さえ選択できる。働いてからまた学校に戻ることもできるしと、要するに「なんでもあり」に近づいている。
 でも、と思う。自由選択ってほんとにすばらしいのだけれど、それには「責任」がくっついていることを忘れてはいけない。成功も失敗も自分が引き受けるということだから。
 そしてもうひとつだいじなことは、人は「社会」なしでは生きられない動物だということだ。「人に迷惑かけなきゃなんだって自由じゃん」という発想に真正面から考え、答えている『今どきの教育を考えるヒント』(清水義範著、講談社)は、自分たちが社会を作るのだという当たり前のことを新鮮なことばでやさしく語ってくれる。某テレビ番組で一人の若者が「どうして人を殺してはいけないんですか」と質問したら、その場にいたおとながだれも答えられなかったというのが話題になった。その話を取りあげた著者は、「法律に違反するからいけない」と明解に答えている。それを聞くと、多くの人は「なあんだ」と思うかもしれない。しかし、その「なあんだ」と思う気持ちをきちんと解明しているのが魅力だ。そのほかにも、いろいろな教育問題をちょっと広くとらえて明かしてくれる。
 さて、私の大好きな作家の一人、スウェーデンのウルフ・スタルクがまた品のいい愉快な小冊子を届けてくれた。『恋のダンスステップ』(菱木晃子訳、小峰書店)がそれ。ダンスパーティーで憧れの少女と踊るためにダンスの特訓を受ける。本番でうまく彼女を誘ったのに、踊ってみると足は踏む、体はぶつかるでめちゃくちゃ。なんのことはない、仕込まれたのは女性役だった……。失恋も仲間はずれも親の苦悩もスタルクが描くとなんでこんなにゆかいに仕上がってしまうのだろう。で、ついつい新刊が出ると手を出してしまう。また、はたこうしろうの絵は原書についている絵だと何人もの人が思い込んでいるほどピッタリなじんでいる。これまた私の大のお気にいり。
 『自分にあてた手紙』(フローランス・セイヴォス作、末松氷海子訳、偕成社)は愛する夫を突然事故で失った妻がどうやって立ち直るか……という話ではあるけれど、細い線の風景をバックに旅に出る主人公カメの図はどこかゆったりしていて自然の営みを感じてさわやか。絵童話風で中高生やおとなねらいでもありそう。
 低学年向きの物語では『おじいちゃんの目、ぼくの目』(P・マクラクラン作、若林千鶴訳、文研出版)がイチ押し。目が見えないと、見えないものが見える。さわる、聞く、嗅ぐ、感じるといった別の感覚にみがきがかかる、ということが実感できる話だ。そうなんだよね、ほんのちょっとした助けで普通に暮らせるんだよね、と。逆に目が見える自分は見えるものしか見ていないのかもしれない。見えないものを見ることは心しないとできないと
反省する。ベテラン作家マクラクランのさすがと思う一冊。二〇〇〇年、いい年、いい時代にしよう。(平湯克子
ブックトーク・新刊Review(くもん出版)1999年12月号