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 本を読んで久々に泣いてしまった。
『ひみつの友だち』(エリザベス・レアード作、香山千加子訳、徳間書店)である。ぼんやりした暗い表紙、平凡なタイトル、話は中学生の入学式から始まるらしいというのに大きな活字……。期待しないで読み出したら、ぐいぐい引き込まれ、あっというまに読んでしまった。
 入学式で出会った女の子、ラファエラは茶色の肌で、コウモリのような大きな耳をしていた。とっさに言った。
「カタツムリって呼ぼうかな。つの出せ、耳出せ、カタツムリ」
 それからわたしの苦悩が始まった。もちろん、ラファエラも……。
 やってしまった自分のミスに気づいたとき、それにどう対峙したらいいか。とかく他人のせいにしたくなるけれど、自分で撒いた種は自分で刈り取るしかないのだ。主人公の葛藤は日本の子どもたちが日々体験していることとダブり、悲しいけれどもさわやかな読後感が残った。小学校高学年でも充分読める。
 さて、何よりも友だちとのコミュニケーションに心をくだき疲れはてている今の子どもたちが、これはおもしろいと楽しんでいるのが「にんきものの本」シリーズ。『にんきもののひけつ』と『にんきもののねがい』(森絵都作、武田美穂絵、童心社)の二冊が出ている。大胆で迫力ある絵がピッタリ合った旬の作家と画家の絵童話。
 人気者をうらやむ側から描いた第一作と人気者であるがゆえの悩みを人気者の側から描いた第二作は、どちらもゆかいなどんでん返しがあって、どよーんとした今の社会をすかっとさわやかにしてくれる元気の出る本だ。この嘘っぽいホントが小さい子から大人まで惹きつけている源だろう。
 『友情をこめて、ハンナより』(ミンディ・ウォーショウ・スコルスキー作、唐沢則幸訳、くもん出版)は、一九三〇年代、不景気風の吹くアメリカというちょっと古い時代だが、親友が引っ越したあとの空虚さをうめるために手紙を出しまくった女の子の話。
 全文手紙のやりとりで構成されているが、一つの友だち発見の物語になっていてさわやかな余韻を残す。今の子、手紙なんて……と思うかもしれないが、インターネットのメールのやりとりと思えばどうってことはない。そういえばこの文章もどこかメールっぽく、思いつくままどんどん書いている。おばあちゃんやおばちゃんという知り合いだけでなく、文通友だちやルーズベルト大統領(!)やその夫人、秘書とのやりとりもある。中でも文通なんかほんとはしたくないと初めは二行しか書かなかった男の子が、どんどん書いていくその変化が楽しい。友だちの作り方もかかわり方もいろいろだ。
 ところで、これらの物語はいずれも生きることを正面から楽しみ、あるいは苦しみから逃れずに向き合っていて、そうした生き方にわたしたちは元気をもらう。しかし、目の前の子どもたちの多くが(おとなもだが)、生きる目標を持てずにいる。だから、早く大人になりたいとも思わず、できるだけ子ども時代を引き延ばそうとしている。大人のための評論『13歳論』(洋泉社)の村瀬学はそうしたムードに危機感を抱き、子どもと大人の境界をしっかり定め、意識する必要があると提案する。
 これはかなり刺激的な提案だ。だって、「だんだん大人になる」というのが一般的な見方ではなかったの? と思うからだ。しかし、15歳? まだ子ども。18歳? まだまだ学生だから。フリーターだからまだ……とやっているうちに、ではいつかはなるはずの大人にいつなるのかわからなくなってしまった。世間は「ありのままでいいんだよ」「ゆっくり大きくなろう」という風潮なのだし……。
 主旨は大人になるということは、「家の人」から「法の人」になることで、法の言葉を理解し、使えるようになるのが13歳だという。それを前半、小説で作家たちが13歳をどうとらえたかを取り出し、実証し、後半はいじめの問題や酒鬼薔薇聖斗事件などを読みといていく。読み進めるうちに、私自身が「大人」をどうとらえているのか問われていると思った。分厚いが興味あるところから読めるので是非。(平湯克子
ブックトーク・新刊Review(くもん出版)
1999年8月号