乗り越えて旅立つ

くもん出版 新刊Review
2000年4月号 平湯克子

           
         
         
         
         
         
         
     
 四月ってとってもいい。花が咲くばかりじゃない。電車でも、ああ新入生だってわかる真新しい制服やカバン、あるいは新社会人とわかる表情に元気をもらえるから。といっても、昔ほどではないみたいだ。某都立高校は進学も就職もしない卒業生が半数いるというし、「親のお金で暮らして何が悪い」なんて堂々と言ってしまう二十代どころか、三十代にもなった人たちまで現われるようになったのだからなんともはや。巣立ちはどうなっちゃっているんだろう。だからではないけれど、厳しく巣立っていく物語が目についた。
 『ゴンドナワの子どもたち』(アレクシス・クーロス作、大倉純一郎訳、岩崎書店)のゴンドナワとは「仮想大陸」のこと。その子どもたちだから、つまり大地の子どもたちというような意味の物語。この話はたいしたページ数でもないのに、いろいろなエピソードが複雑にからんでできあがっている。簡単に言えば、ペンギンなのに人間の研究員がまちがってアホウドリの巣に卵をもどしてしまったのが原因で、親のように飛び立てず、つまりはアイデンティティを失ってしまった子の乗り越え物語。寓話で物語はやさしく読めるけれど、どうしてどうして内容は深く、読めば読むほどいろいろと発見できる。語られることばが哲学的で、それがみんな意味をもっているからおもしろい。イランに生まれ、イラン・イラク戦争を逃れてハンガリーに渡って医学を学んだ後、フィンランドに住んでいるという作者の特異な経歴が背景にありそうだ。小学校高学年くらいから。もちろんおとなにもおすすめ。
さて、八丈島の向こう、鳥島に生息する実際のアホウドリはもうまもなく巣立つ。一事は絶滅宣言されたアホウドリを復活させようと頑張る長谷川博さんの絵本をかなり前に読んだことがある。この大鳥は数歩助走してから飛び立つために簡単に捕まえられる。だから羽毛にするために、大量に捕獲され、絶滅への道を歩んだという悲しい歴史が忘れられなかった。
 ノンフィクションの『アホウドリが復活する日』(国松俊英作、くもん出版)は、いったんは絶滅宣言されたこのアホウドリを千羽以上に戻した長谷川さんやそのほか復活にかかわった多くの人たちの活動が立体的によくわかる。写真もたくさんあって、両方の翼を広げると約二メートル四〇センチにもなり、約七キログラムもあるといううアホウドリに無性に会いたくなった。長谷川さんは今年三月、日本学士院エジンバラ公賞を受賞した。おめでとう!
 これまでの自分を変えて新しく生まれ変わることが巣立ちだなあ、と感じ入ったのが『ジョージア旅立ちの予感』(ブライアン・キーニー作、定松正訳、さ・え・ら書房)。盗みのぬれぎぬを着せられたり、いじめられたりしたが打ち勝った、あるいは実は……という物語は多い。でもこれは自分が盗んでしまう。それをどう決着つけるかだ。お父さんの仕事がうまくいかなくて貧しい、お母さんがいない、という背景によりかからず、自分の弱さといかに向き合うかである。ありのままでいいなんてとんでもない。子どもたちはみんな今の自分に満足しているわけじゃない。なんとか変身したいと願っている。自分でしでかしたことのオトシマエをつけるのは自分である。さわやかなラストがいい。
 最後に文句なく楽しい絵本を一冊。『あと10ぷんでねるじかん』(ペギー・ラスマン作・絵、ひがしはるみ訳、徳間書店)は幼児の日常のひとこまを想像の世界にむすんだもの。「あと十分で寝る時間よ!」「あと九分よ!」「あと五分よ!」というその間にハムスターが次々にやってきて、寝る仕度をしている男の子のそばで好き勝手に遊んでいく。本当の寝る時間になったときどうなるか……はお楽しみ。寝る前に親子で見たら最高。「寝なさい!」と怒鳴るだけで、いつまでもぐずぐず起きているのを容認してしまう日本の子育てとはちがうなあと思ってしまった。