児童文学クロニクル97
09

子どもは子どもとタメなのだ
子どもにとって好ましい作品の条件とは


           
         
         
         
         
         
         
         
    
 この夏の『ズッコケ三人組ハワイに行く』(那須正幹、ポプラ社)で、ズッコケ三人組シリーズは、全35冊になった。1978年の第一作刊行から二十年近くになる。そのとき生まれた赤ん坊が大学生にもなろうという時間を考えると、その間ずっと作品を書き続けてきた作者の気力と体力と粘力(?)に驚くかぎりである。
 今回も、ハチベエ、ハカセ、モーちゃんの三人がスリースターなるガムの景品抽選に当たって、はじめての海外旅行でハワイに行くという珍道中。が、ただのお笑いではない。途中、パールハーバーの記念館に立ち寄ることもさることながら、ハチベエを婿養子にほしいというホテルの経営者一族が登場するくだりで、日本からハワイへの移民の歴史− そしてサトウキビ畑での労働の苦しさや戦争による生活の浮沈の歴史 − が絡んでくる。とくに、これが「お説教」や落語にいう「いもつなぎ」なのではなく、すわ、ハチベエが美女と結婚してホテル王か!?という、どうしようもない平俗さの極み(最上級の褒め言葉のつもり)にとけこんでいるからいいのだ。
 まあ、あのハチベエが大富豪になれるはずなどなかろうと、高を括っていると、はたせるかな、本当に人違いであった……。と、この展開もそうだけれど、作者は、ハチベエだけでなく三人組の一人一人にかなり辛辣であって、決してやさしくなんかない。これは、意外と「ズッコケ三人組」のいくつもの作品に共通の特長といっていいかもしれない。
 そういえば、チャップリンの映画の中で、子どもは、いつも、いじめられ、からかわれているのだそうだ。むろん、チャップリンが極悪人だからではなく、子ども自身のまなざしに象徴的同一化をはたしているからだ(とスラヴォイ・ジジェクは解説している)。大人は子どもを保護しようとする。だが、子どもは子どもとタメなのだ。子どもと真実にタメ(50−50)でありうることが、子どもにとって好ましい作品の条件なのだろうか。(石井直人) 
(「図書新聞」第2359号,1997.9.27)