子どもの本を読む

夕刊えひめ 1989.01.09

           
         
         
         
         
         
         
    
    
 十二月、一月というのは、大人から子どもに本を贈る機会が多い時期だと思うが、かつてのように本が文化≠サのものを体現していた時代と違って、これはなかなか難しい。せっかく買ってやった本が見向きもされず、無理やり読ませるなどというのも身近な光景だ。本好きな子なら話は簡単だが、問題は本になじみの薄い(恐らく)多数派の子どもたちの方だろう。僕は本になじみがないというのは、実は物語というものになじみがないのではないかと考えている。言い換えれば虚構の世界に遊ぶ訓練ができていないのだ。
 僕らは、言葉の意味さえ理解していれば、お話を面白がるのも当然と思いがちだが、物語というのは実にさまざまな約束事に満ちている。「むかし、ある所に」が、何年何月でどの場所かなどとせんさくしたらどうしようもないわけだが、聞き手がそうしたせんさくをやめて物語の世界に身をゆだねるのは、やがてその先に日常の論理を超えた面白さ、感動があることを知っているからで、それを知らないとしたら、むしろ「何年何月どの場所で」でつまずいてしまう方が普通だろう。
 そして今、そうした子どもたちが増えているのではないか。このことの文化論的考察はおくとして、本との出合いについて対症療法的に言えば、二つ方法があると思う。一つは、物語をごく原型に近い形でぶつけること、もう一つは、単純に物語以外の本にしてしまうことである。
 前者の場合では、絵本が有効だろう。従って、絵本は低学年までのものという考え方はやめたい。「がたたんたん」は、始めから終わりまで電車の中が舞台。乗り合わせた八人(プラス一匹)の客が、最初のページではみな白黒で描かれているが、めくるごとに一人ずつ色が付いていき、最後はみんなに色が付く。さて、その間のドラマは? という構成。いかにもありそうなことが重ねられながら、意外性に満ちている。見事な絵本だ。
 「ゆきだるまのさがしもの」は、雪景色の中をゆきだるまが花を探しに出かける話だが、ゆきだるまと花という本来両立できないものが最初に提示されていて、最後には解決されるという、ストーリーとしては初歩的なモチーフ。つまり未熟な読者でも、どこに焦点を絞って(あるいは何を期待して)呼んだらいいのかがすぐに見て取れるのだ。パステルカラーの絵が青と白を基調にしながらも実に暖かく、素晴らしい。
 さて、物語以外≠フ本では、まず「世界の動物園めぐり(全三巻)」「世界のお天気めぐり(上・下)」がそれぞれに楽しい。前者は選び抜かれたという感じの写真が動物と動物園との魅力を余すところなく伝えており、写真集としてもまたガイドブックとしても使える。後者は、世界各地の天候の話を窓口に、地理、歴史、文化を縦横に語る読み物になっており、両者とも読者を本の世界へ十分に引きずり込んでくれるだろう。
 「親と子の包み方教室」は、さらに物語≠ゥらは離れるが、そこに書かれてあることは、ページを飛び越えて読者を説得する。折り紙の本に似ているが、包むという実践的な行為が、折り紙などにあるごっこ%Iあいまいさを一掃している。本の通りにすれば、それまでと違う何かが開ける。それもまた十分物語≠ヨの第一歩となり得るのではないか。(藤田のぼる

「本のリスト」
がたたんたん(やすいすえこ:作 福田岩緒:絵 ひさかたチャイルド)
ゆきだるまのさがしもの(シャイドル:作 ウィルコン:絵 いずみちほこ:訳 セーラー出版)
世界の動物園めぐり(全三巻)(大高成元:写真・文 文一総合出版)
世界のお天気めぐり(上・下)(清水教高:著 アリス館)
親と子の包み方教室(武内元代:編 池田書店)
テキストファイル化中島晴美