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言うまでもないことだが、児童文学に限らず文学作品はその作品世界を成り立たせている固有の場所を持っている。通常、舞台(背景)などと呼ばれるが、作品の中でのその舞台の占める役割の大小は作品は作品のタイプによって異なってくる。「坊ちゃん」は松山という土地と切り離し難いが、「吾輩は猫である」なら必ずしも町は限定されない。 さて、児童文学に目を転じると、意外に作品の舞台の印象が薄いことに気付かされる。都会っぽい所、農村っぽいところではあっても、クリアにその空間その空間を演出しているものは少ない。無論ある限定された地域が舞台となっているものはたくさんあるが、それはたまたま作者が住んでいる所、よく知っている所だからというだけで、作品のテーマと舞台とが本格的に結び合っているものは思い出しにくい。 「東京幽霊物語」の作者木暮正夫は、これまでも「待かどの夏休み」で東京・十条を、「日の出マーケットのマーチ」で同じく東京・田無を舞台にして、特にその商店街の子どもたちを登場させることで、舞台と人間たちの濃密なかかわりを描こうとしてきたが、この作品では”幽霊”の力を借りながら、東京・中野を中心にいくつかの土地の現代の様相を浮かび上がらせようとしている。 主人公の五年生の勇一は、祖父の所に将棋に来ていたタクシー運転手の岡本さんから、前の夜乗せた不気味な客の話を聞き、幽霊のことに興味を持ち始める。友達の伸太郎のマンションのエレベーターに出るという幽霊は、調べてみるとこのマンションが建った時に追い立てをくって自殺したおばあさんらしく、また勇一たちの学校で夜中に音楽室からピアノの音がしてくるという話の真相は、戦争中ここで空襲にあった若い女の先生の幽霊の仕業らしいことを突き止める。(しかも一般的な空襲としないで、当時中野に近い三鷹にあった大きな飛行機工場だったと限定している。 幽霊を題材にしながら、それぞれの土地の今と過去をあぶり出す一種の都市小説としても読めるであろう。 「とざんでんしゃとモンシロチョウ」の作者長崎源乃助には、横浜を舞台にした優れた作品が多いが、この作品は箱根の登山電車がある意味では主人公。横浜に住む男の子が、箱根に一人で暮らすおじいさんを度々訪れる小さな旅のありさまが詩情豊かに描かれている。ここでは舞台は土地そのものではなく、土地と土地、人と人とを結ぶ乗り物であることがユニークだ。 「雪の花前線」(角田光男)は、新潟県の新津が舞台。豪雪地帯の厳しい暮らしを背景に、東京の都心にかまくらが作れるほど大量の雪を送ろうとする子どもたちの奮闘ぶりが描かれる。 雪は一面では重い枷(かせ)だが一面ではロマンであり、そこがきちんと重ねられていることで、この作品を”ご当地ソング”から救っている。 さて、無論作品の舞台が印象的であることと実在の地名が出てくることは同義ではない。「夜の大男」(三田村信行)は都会(この場合は郊外)派幻想小説とでもいうか、大男であるわが身を隠しながら暮らさなければならないデエダラボッチの姿を描く中で、都会という無機質な空間のありように迫っている。(藤田 のぼる) 「本のリスト」 東京幽霊物語(木暮正夫:作 西村郁雄:画 旺文社) とざんでんしゃとモンシロチョウ(長崎源乃助:作 村上勉:画 あかね書房) 雪の花前線(角田光男;作 津田櫓冬:画 大日本図書) 夜の大男(三田村信行:作 スズキコ−ジ:画 佼成出版社)
テキストファイル化戸川明代
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