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子どもの本を読む ★中国新聞 1989.11.14 今更言うまでもないことだが、子どもの本には動物を素材とした作品が実に多い。大別すると、まず動物を擬人化したもの(ウサギのピョン子、キツネのツネ太という具合に)、二つ目に子どもたちの生活の中での動物たちとのかかわりを描いたもの、三つ目が椋鳩十などに代表される本格的な動物文学ということになろう。ここでは、二つ目のタイプの最近作を幾つか紹介しよう。 命の存在を見事に このタイプの作品は、どうしても犬とか猫を飼う話になってしまう場合が多いが、「さようならポチ」(那須正幹)は、子どもたちが公園で見掛ける野良犬が道端で死んでいるのを見つけ、この犬の葬式をやってあげるという話。 この犬と子どもたちとの結び付きがそんなに強かったわけではなく、やや面白半分だった彼らが、いろいろと準備をし、公園の隅にろうそくや線香を立てたり、門前の小僧で習い覚えたお経をよむ子がいたりと、次第に子どもたちがそれらしい気持ちになっていくプロセスはさすがにうまい。この素材を妙に深刻ぶることなく、普通の子どもたちが”命”の存在に出合う瞬間を見事にとらえている。 新作落語風の物語 「ゴロちゃんのウンチ大作戦」(原のぶ子)は飼い犬の話だが、なかなかにユニークだ。飼い主の一家は、知人から義理で引き受けたものの、一向に面倒を見ない。あげくは、ウンチのにおいにたまりかねて、保健所行きにもしかねない始末。身の危険を感じたゴロちゃんが、野良犬のじいさんから、においのしないウンチの仕方を教わり、実行してみると…。犬と人とのなかなかにシビアな駆け引きをユーモラスに描いて、ちょっとした新作落語風な趣の物語。 「ようきゅうするライオン」(山中恒)は、ちょっとファンタジー。幼稚園児のたつやはお父さんと二人暮らし。そのお父さんは動物園に勤めているので、たつやは動物たちとは大の仲良しだが、幼稚園では泣き虫。 幼稚園の動物遊びの時、たつやの演じるライオンはリアルすぎて、ほかの子や先生らはライオンらしく見えない。「あれが本当のライオン」という若い先生に、「子どもたちの遊びに、そこまで要求することはない」というベテランの先生。それを聞きつけたたつやはライオンを呼びに動物園に走る。大人の側の身勝手をチラッと皮肉りながら、泣き虫たつやの自立を描く。 中国山地の村舞台 犬、犬、ライオンときたところで、今度は牛と馬の話。牛や馬を飼うということになれば、どうしても一昔前の話になりがちだが、「おどる牛」(川重茂子)と「恋と虹のファンファーレ」(上條さなえ)はいずれも現代の話。前者は、中国山地の過疎の村を舞台に、子牛の世話をしながら、今の農村の抱えるさまざまな問題に目を開いていく少年の姿を力を込めて描く。 「恋と虹のファンファーレ」は、ドイツからやって来たというかわいい”魔女”との交流を織り交ぜながら、最後は女性ジョッキーを目指そうと決意する、競馬の調教師の娘の毎日をユーモラスに描く。対照的な作風ながら、牛・馬の生態、これを世話する人間側の大変さ、喜びはしっかりと書き込まれている。 以上の作品に比べるとかなりアダルトだが、「奇妙な動物の物語」は幻想文学館の第三巻で、ポーの「黒猫」など八編を収録。「動物たちの霊力」(中村禎里)は、日本人と動物とのかかわりを民俗学的な視野からとらえたもの。(藤田のぼる) 本のリスト さようならポチ(那須正幹:作 ふりやかよこ:絵 PHP研究所) ゴロちゃんのウンチ大作戦(原のぶ子:作 渡辺あきお:絵 アリス館) ようきゅうするライオン(山中恒:作 山口みねやす:絵 福音館書店) おどる牛(川重茂子:作 菊池日出夫:絵 文研出版) 恋と虹のファンファーレ(上條さなえ:作 小林冨紗子:絵 国土社) 奇妙な動物の話(江河徹:編 くもん出版) 動物たちの霊力(中村禎里:作 筑摩書房) テキストファイル化岩本 みづ穂 |
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