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「いじめ」を素材にした作品は数多く書かれてきたが、正直あまり読む気がしない場合が多かった。いじめが起こり、その原因や背景が描かれ、解決への道が示される。子ども読者の方は「それは結構でした」と思うしかなく、ストーリーはタテマエとして彼らの心を素通りしていく。 しかし、最近になって、そうした十把一からげの評価は、むしろこちら側の読み方の貧しさの問題ではないか、と思うようになってきた。ていねいに読んでいけば、こうした素材の作品の中にもパターンではくくれないさまざまな魅力を備えた作品がある。今回はそうした中から二点を紹介したい。 「2000年いじめ伝説」浜野卓也著 民俗・怪奇・心理ミステリーとでもいうか、実にいろいろな要素に満ちた物語だ。都会の学校から、父の生家のある田舎に引越ししてきた五年生の一郎が主人公で、彼は森の中の橋を一人の少年が渡ってくる夢を、幼いころから繰り返し見てきた。 田舎にきて、その場面が父の生家の屋根裏部屋から見える風景であることを発見する。ここから、一郎が他の男の子たちから受けるいじめや、村のタブーとなっている言い伝えのことなどがさまざまにからみ、一郎はいとこのみどりや、村出身の大学生の高志とともに、村の隠された歴史を知るために行動を開始する。 一郎のルーツを掘り起こす試みと、彼自身の中の無意識を探し当てる試みとが重なっていくわけで、それらのさまざまな破片がピタリとかみ合うラストの場面から、いじめを乗り越えようとする一郎の姿が見事に浮かび上がる仕掛けになっている。 「スーパーガールいちごちゃん」 上條さなえ著 転校初日の教室で、自己紹介をという先生に向かって「その前に、先生の教育方針をお聞きしたいな」と言ってのけるいちごちゃんとの出会いによって、「声なき良識派」から徐々に脱皮していく六年生のかおりの姿が描かれる。 このクラスでは、もともと女の子たちの間でいじめがあり、いちごちゃんの出現で今度は彼女がいじめのターゲットになるのだが、なにしろ学校に携帯電話を持ち込んで株の売買をするといういちごちゃんのスーパーぶりには、やわないじめは通用しない。こう書くと、いちごちゃんという少女像がいかにも作りものめいて受けとられるだろうが、この作者のこの種の子ども像の造型は実にさえており、逆にわれわれの側が、いかに「子どもがしちゃいけないこと」「かかわらない方がいいこと」といった常識にしばられているかを痛感させられる。 さらにこの物語は、阪神大震災のこと、ベトナム戦争のこと、さらにはマルセル・マルソーのこと等々、さまざまな情報に満ちているが、恐らくそのことは現代の子ども読者にとってはあまり違和感のないことなので、現実の子どもに追いつけない児童文学作品が多い中、この作品は「子どもの上をいく」数少ない作品といえよう。(藤田のぼる) 本のリスト ・ 「2000年いじめ伝説」浜野卓也著(絵・こぐれけんじろう、ポプラ社、980円) ・ 「スーパーガールいちごちゃん」上條さなえ著(絵・岡本順、学研、1200円) 東京新聞1996.10.27 テキストファイル化山本祐子 |
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