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子どもの本を読んでいていつも感じているのは、小学校中級(二年から四年生あたり)向けのいい作品が少ないことだ。この年齢は、本を読む楽しさを知るには一番大事な時期でもある。僕はこのグレードの読み物こそ、児童文学の作家としての「プロの技」が要求される分野だと思っている。上級向けなら、多少生硬でも素材が良ければ読まれるし、幼年向けなら文章のセンスとか本の造りとかでひきつけることもできる。しかし中級向けの場合は、作者の一人よがりや表面的な技巧ではどうにもならない。そこで求められるのは読者との「対話」である。今回は、そうした対話の可能性を感じさせる二つの作品に出合った。 『ノートにかいたながれ星』 岡田なおこ作 (絵・久住卓也、講談社、1200円) 二年生の男の子が主人公で、一人称でストーリーが語られていく。主人公のひでと友達のさとしの二人は、海で遭難して救助された人が「貴重な体験でした」と語るのをテレビで見て、自分たちも「貴重な体験ノート」を書いて、見せ合おうと約束する。 今の子どもたちが出合える出来事の中で、どんなことが「貴重な体験」たりうるか、そしてそれを彼らはどんな風に記録するのか、そのあたりが作者の技の見せ所で、ユーモラスなタッチで読ませていく。作品の後半は、難聴の障害をもつさとしの妹の、るりちゃんをめぐる物語になっていくが、そこでも前半の軽快さは失われておらず、現代の子どもの精神生活の明るさの面が、無理なく描きだされている。 これまでヤングアダルトの作品を書いてきた新鋭の作者の、新境地を示した作品でもある。 『キコロちゃんとみどりのくつ』 たかどのほうこ作・絵 (あかね書房、1200円) 「ノートにかいたながれ星」とは対照的な持ち味の作品で、前者が小説的な作品としたら、こちらは物語的、オーソドックスな「語り」の骨格を備えた作品である。言い方を変えれば「ながれ星」は一人で読む作品、こちらは読んであげたりもらったりが似合う作品といえる。 目がキロッとしているのでキロコちゃんと呼ばれている主人公が、町中をまわってやっと気に入った靴を探し当てるが、それは二つの大きな目玉と、真っ赤なベロのついた緑の靴だった。ところがこの靴は、自分の行きたい方に勝手に歩いたり、音楽を聞くと踊り出したりという「魔法の」靴だった。 この靴のおかげで、キロコちゃんはさまざまなスリルあふれる体験をするのだが、そうした中で両者は次第に良きパートナーになっていく。もともとキロコちゃんが緑の靴を探していたのは、学校のクラブで踊るダンスのためだったのだが、最初は靴のおかげで大活躍のキロコちゃんが最後の発表会では靴の力を借りないで踊りきるシーンは読者の共感を誘うだろう。 一見突出したキャラクターのように見えるが、キロコちゃんはどの子にもある好奇心や、いたずら心の代弁者なのであり、正統派のストーリーテラーとしての作者の技を示す一冊といえよう。(東京新聞 1996.11.24) テキストファイル化秋山ゆり |
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