子どもの本

東京新聞

           
         
         
         
         
         
         
    
「子どもの成長」の物語
 児童文学にとって最大の、そして永遠のテーマは「子どもの成長」ということになるのだろう。
 一口に「成長」といっても実にさまざまな展開があるのだが、あえて二つに分ければ、まずはなにかが「できるようになる」(一人で買い物に行くとか、逆上がりとか)といったタイプの成長、もう一つはそういうふうに必ずしも外から見える形ではないが、なにかを「理解できるようになる」とか「受け入れられるようになる」といった心の成長である。
 前者は外からも見える分、書きやすいようにも見えるが、やはりそこに至る心の奇跡がきちんと描かれなければ読者の共感は得られない。今回はそうしたそれぞれの成長のタイプを見事にとらえた二つの作品を紹介したい。

『つぶつぶさんはまほうつかい?』野本淳一・作、岡村好文・絵(小峰書店、九六二円)

 夏休みに父親の田舎の北海道に行くことをなによりの楽しみにしている<ぼく>。ところが父親の仕事の都合で取りやめとなり、抗議しても父親は取り合ってくれない。母親はもともとおばあちゃんと気が合わず、行っても気を使うだけだとかえって大喜びしている。「どうしてそんなに行きたいんだ」と聞かれてもおいしいトウモロコシやジャガイモのことしか言えず、「おまえは食べることだけだな」と笑われてしまう。悔しくて仕方がない<ぼく>の前に現れたのが、トウモロコシの精?という感じのつぶつぶさん。そのつぶつぶさんと話すうちに北海道で過ごしたさまざまな時間がよみがえり、<ぼく>は一人でおじいちゃんの家に行くことを決心する。
 特につぶつぶさんとの対話のあたり、主人公の動きが、青を基調にした素晴らしい色づかいの挿絵にも助けられてくっきりと浮かび上がり、読者は主人公の決心に拍手を送るだろう。家族の描かれ方にもさりげないリアリティーがあり、作品を支えている。

『ぼくのわく星かんらん車』山末やすえ・作、田代千津子・絵(大日本図書、一二〇〇円)

 のぞむの名前は天文台につとめていたおじいちゃんが、「望遠鏡」の一字をとってつけてくれた。この春に亡くなったおじいちゃんとのぞむは、近くの小さな遊園地にある観覧車に乗るのが楽しみだった。九つしかゴンドラのない観覧車でほとんど乗る人もないのだが、のぞむは一人になっても乗りにいく。その九つのゴンドラには水星から冥王星までの九つの惑星のマークが記されており、それは二人だけの秘密だった。そのゴンドラが取り壊されることになり、最後の日、閉園間際に遊園地についたのぞむは、いつも不機嫌な顔をしている係のおじいさんが自分を待っていたことに驚き、おじいさんと一緒に乗り込む。そして観覧車から降りたのぞむの耳に、「のぞむはいつもほんものの地球号にのってるんだぞ」というおじいちゃんの声が聞こえてくるのだ。
 観覧車のまわるゆっくりとした動きのように、おじいちゃんの死を受け入れるのぞむの心の動きがていねいに描かれ、ラストでののぞむへの励ましが胸に落ちる。惑星のマークといった<知>の面と<情>の面とが見事に溶け合った佳作。(東京新聞.1997.11.23)
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