子どもの本

東京新聞

           
         
         
         
         
         
         
    



かつて七〇年代から八〇年代初めごろまでは、児童文学作品でもっとも目立つ素材は学校、教室の物語だった。宮川ひろ、古田足日、大石真、灰谷健次郎といった書き手たちをはじめとして、さまざまなドラマが描かれた。テレビでも、金八先生や水谷豊の「熱中時代」など見ごたえのある学園ものが少なくなかった。
 無論今もないことはないのだが、現在の子どもたちの日常における学校生活の占める圧倒的な割合を映すには、少なすぎるといっていいだろう。
 そしてその間隙(かんげき)をぬうように、学校の怪談ばかりがヒットする。もはや学校や教室は、友情とか成長の場としてのリアリティーを持ち得なくなったのか、今回はそうした試みに挑んでいる二つの作品を紹介したい。

 『ふしぎな絵かき歌』
小倉明・作、太田大八・絵(教育画劇、一一〇〇円)
 三年生の幸太は、国語の時間になってまた教科書がだれかに隠されているのに気づく。この出だしはよくある「いじめもの」のパターンを予想させ、そうしたテーマも確かに含んではいるが、ここからの展開にオリジナリティーがある。昼休み、幸太が一人で校庭にいると、見知らぬ上級生がやってきて、幸太にカッパの絵の絵かき歌を教えるのである。その絵かき歌をマスターするうちに、幸太は十年前の小学校、二十年前の小学校にワープして、その絵かき歌が上級生から下級生へと、何年にもわたってリレーしながら受け継がれてきたことを知る。
 学校という場の時空的なおもしろさを、絵かき歌のリレーというプロットに仕立てた想像力に感心し、共感した。ファンタジーとして処理されきれてない面もあるが、子どもたちが学校における自分という存在の意味を相対化できる深さを持った作品と感じた。
 
 『ケンちゃん、まって!』
岸本進一・作、味戸ケイコ・絵(学研、一二〇〇円)
 四年生になって急に気難しくなったケンをめぐっての出来事を、幼稚園時代からの友だちのかなの視点から描いたもの。この学校は陸上競技、特にリレー競争に力を注いでおり、大会に選手を送り込むだけでなく、全員参加のクラス対抗のリレー大会を催している。ケンたちの担任はリレー大会優勝をクラスの至上目標とし、指導を繰り返す。クラスで一番足が早く、期待の星であるはずのケンは、しかしそうした担任に反発し、反抗的な言動に出る。リレー大会だけがストーリーの軸というわけではないので紹介が難しいが、作者は単純にケンを善、担任を悪とするのではなく、教室を教師と生徒の利害や思惑のひしめきあう場としてとらえ、その錯綜(さくそう)する思いの一つひとつに存在理由を認めようとしているように思えた。
 この種の物語は主人公が、またはその周囲が「変わること」によって解決が図られていくケースが多いが、この作品はむしろそのままの自分を、そのままの他者を認めることの大切さを訴えているようでもあり、その分ややしんどい物語ではあるけれど、さまざまな読み方のできる一冊と言えよう。

(東京新聞1997.09.28)
テキストファイル化山本京子