子どもの本

東京新聞 1998.03.22

           
         
         
         
         
         
         
    


 この欄では日本の創作児童文学を中心に、翻訳作品、絵本、ノンフィクションなど、さまざまなジャンルの本を紹介してきたけれど、これまで唯一紹介できなかったのが詩の分野だ。日本の少年詩(児童詩というと子どもの書いた詩になってしまうので、大人の詩人が子どもに向けて書いた詩を一般にそう呼んでいる)は、まどみちお、谷川俊太郎などをはじめとしてなかなかの水準にあるが、目にふれる機会は多くないだろう。そこで今回はそうした少年詩の詩集を一冊と、もう一冊は詩というよりことば遊びの本を紹介したい。これまでの本のようにストーリーがあるということではないので、うまくその魅力を伝えられるかどうか自信がないが、ともかく始めよう。

『太陽へ』(小泉周二・詩、佐藤平八・絵 教育出版センター、一ニ○○円)

 まずは収録されている詩を一編。タイトルは「朝の歌」。

おはよう まつ毛
おはよう あくび
おはよう 手のひら
おはよう からだ
きょう また ぼくは 生まれた

おはよう タオル
おはよう じゃぐち
おはよう 水おと
おはよう こころ
きょう また ぼくは 生まれた

おはよう ひかり
おはよう ことり
おはよう みどり
おはよう みんな
きょう また ぼくは 生まれた

 この詩集は全体が四部に分かれていて、各パート九もしくは十篇の詩から成っている。この詩集の全体的な印象をことばにすれば、「寂しさ味のついた幸せ」というか、または<自分>と<自分を見ているなにか>との三角形の対話ということになろうか。それは詩集の後書きで明かされているように、この詩人が進行性の目の病のために視力をほとんど失いつつあるという事実に引かれての印象という面もあるだろうけれど、この詩集はことばというものが人間にとってどんなにかけがえのない友人なのかということを、確かにわたしたちに教えてくれる。

『お江戸はやくちことば』(杉山亮・文、藤枝リュウジ・絵 カワイ出版、一四○○円)

 この本を紹介するのはさらに難しい。本のタイトルの通り、「お綾や親におあやまり」に始まる江戸期からの早口ことばが十五並べられて、一部はややアレンジされている。例えば、「隣の柿はよく客食う柿だ」という具合で、それにはある柿の木のある家では、秋の柿の季節になると、行った客が時々戻らないことがあったそうだというふうな「解説」が付され、そしてたわわになった柿の木と体のない着物とぞうりに絵が書かれているというような仕掛けになっている時にそうしたシュールは味付けも加えながら、全体として一人よがりでないほどよい笑いに満ちている。それは古来の早口言葉が備えたユーモアと、著者・画家のセンスの幸せな融合ということだろう。
 これもまた、ことばそのものとそれを作った人間という存在へのほのかな「愛」を思い出させてくれるすぐれものの一冊である。(ふじた・のぼる=児童文学評論家。)

東京新聞 1998.03.22
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