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「病気」の話がつらい物語になるのは当然ともいえるが、これが子どもの病気、特に重い病気が素材となれば、そのつらさは何倍増しにもなる。子どもの「難病もの」といった作品は結構多く、その大半は病気に負けまいとする子どもの健気(けなげ)さを強調する話になっている。確かにそれらはある「感動」を呼びはするけれども、子ども読者にとっては「重い病気を抱えてもこんなにがんばっているのだから、ましてやあなたがたは……」というような説教としてしか読めない場合が少なくない。それが例えば死に至る病だとしても、そのことだけでは説明しきれない人間というものの厚みをどう表現できるのか。今回は、そうした課題に挑んでいる二つの作品を紹介したい。 『ぼくらのパジャマ教室』(長崎源之介・作、狩野富貴子・絵 ポプラ社、一○○○円) タイトルから推測されるように、物語の舞台は小児病棟、そして彼らが学ぶ院内学級である。四年生で多重骨折という難病ののため、ほとんどがベッドの中で過ごすジュン、ジュンのわがままに振り回される糖尿病のガク。短期入院のため院内学級に入る資格のない子たちまで迎えてあげる先生に複雑な思いを抱くジュンの姿など、小人数の中でもさまざまな思いが錯綜(さくそう)する子どもたちが描かれる。 そして、この物語の奥行きをさらに確かなものにしているのが大人の患者の野山さんの人物像で、彼は病院内の老人たちの間を有料老人ホームの勧誘をしてまわり、その紹介料をあてにしているというあまり立派とはいいがたい中年男である。院内学級のことを知り、「なんでこんな子たちにまで勉強させるのか」と思ったような彼が、むしろジュンたちにとってかけがえのない「友人」になっていくプロセスが、人間の奥深さを伝えてくれるようで、「庶民」をリアルに描く書き手として定評のある作者の、真骨頂を見る思いである。 『はいけい女王様、弟を助けてください』(モーリス=グライツマン・作、横山ふさ子・絵 徳間書店、一三五〇円) オーストラリアに住むコリンの一家。弟のルークはよきライバルにして相棒だが、クリスマス(もちろん真夏)の日、急に倒れてしまう。食べ過ぎかなにかと思ったコリンの思いとは裏腹に、検査の結果治る見込みのないガンと判定される。両親がルークに付き添うため、ロンドンの親戚(せき)に預けられることになるコリン。実はコリンには、弟の病気を治すための「秘策」があり、それは宮殿に行って女王の主治医を紹介してもらおうというものだった。そして、秘策実現のために獅子(しし)奮迅の働きをするコリンは、ガンの名医のいる病院で、テッドという若者と知り合い、彼の「恋人」も不治の病で入院中であることを知る。実はその恋人は男性で、エイズの患者だった。この病院の医者から、あらためて自分の弟が助かる見込みのないことを知らされ、弟と最期の時間を共にしようとオーストラリアに戻るラストまで、息をつかせぬというか、時にドタバタといった趣の展開ながら、人と人のつながりのすばらしさ、人が人を思いやることのかけがえなさが、全編にあふれている。(ふじた・のぼる=児童文学評論家。) 東京新聞 1998.04.26 テキストファイル化あらいあきら |
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