子どもの本

藤田のぼる

           
         
         
         
         
         
         
    
 児童文学(この場合は童話と言い換えた方が適切かもしれないが)の中でもいかにも児童文学らしいキャラクターといえば、僕は「ぼっこ」にとどめを刺すように思う。「ぼっこ」は「(小)法師」からきているのだろうか、座敷わらしのように場所についているものもあれば、影法師のように人やものについてくる場合もある。妖精(ようせい)とか魔女とか小人といったそれなりに明確なイメージを持った存在に比べて、その像のあいまいさ、変幻自在さが魅力であり、特にファンタジーの書き手にとっては一度は扱ってみたい題材だろう。なんとなく日本特有のキャラクターという気がしていたが、今月読んだ外国作品でかなり共通する感じのキャラクターがあり、日本の作品とあわせて紹介したい。

『ぼっこ』
富安陽子・作、瓜南直子・絵
(偕成社、一二〇〇円)
 そのものずばりのタイトルに、かえって作者の思い入れを感じる。このぼっこはキャラクターとしてはほぼ座敷わらしで、主人公の繁との出会いは、大阪の奥地の家に住んでいた繁のおばあちゃんの葬式の日である。繁の前に現れた坊主頭の男の子は、「おまえな、もうじき、ここに住むようになるぞ」という予言を残して姿を消す。そして、宅地開発の会社に勤める繁の父親は大阪のニュータウンの仕事をすることになり、一家で父親の故郷に移ることになる。物語は、ぼっこに導かれての不思議な体験をタテ糸に、東京弁をからかわれながらの地元の学校生活をヨコ糸に進行していく。この物語の魅力の第一は、繁の両親、繁の一家を迎えるおばさんの家族たち、そして繁のクラスメートなど、人物造形がきわめてしっかりしていることで、ワキ役の一人ひとりにいたるまでリアリティーに満ちている。次が、大阪の奥地という舞台設定のうまさで、過去と現代をつなぐぼっこという存在が無理なく舞台に溶け込んでいる。物語の結末がやや調和的に過ぎる気がしないでもないが、この作品を読んだ読者の少なくない部分が、文学との出会いの幸せを確実に心の中に住まわせ続けるだろう。

『ふわりん』
カルメン=クルツ・作、オディール=クルツ・絵、柿本好美・訳 
(徳間書店、一四〇〇円)
 作者のカルメン=クルツはスペインの作家で、オリジナルは八一年刊。「ふわりん」とは生まれることのできなかった子どもたちのことで、彼らは「楽園」に住み、時期がくると自分の両親の住んでいる家にやってくるという設定になっている。こうしたキャラクターは、宗教的、文化的背景が違うのでどうかとも思うが、僕には日本の「ぼっこ」ととても近しい存在に思えた。主人公のふわりんが探し当てた両親の家には、五歳の弟のコリンがおり、コリンは体を自由に動かすことができない障害をもっている。「ぼくは弟になにもしてあげられない」と悩むふわりんの姿は、人と人とがかかわっていくありようそのものを象徴しているようだ。ストーリーとしてはシンプルだが、人間の持つ本来的な「愛」といったものへ心を向けさせてくれる、なんというか格調の高さを備えた作品である。
(東京新聞 1998.6.28.)
テキストファイル化四村記久子