子どもの本

藤田のぼる

           
         
         
         
         
         
         
    
 ファンタジーというのは、方法というか作品の「仕掛け」というものが問題にされるジャンルなわけだが、しかしそうした方法もしくは仕掛けは作品のメッセージを伝える、またはストーリーを展開させていくための「手段」というレベルのものではないはずだ。作品の中身と方法はどちらが先ということではなく、分かち難く結びついているはずのものだし、妙に方法のみが浮き上がってしまえばファンタジーとしてはいかにもわざとらしい作品になりかねない。今回紹介する二つの作品は、テーマをことばにすれば「自分探し」「自分との出会い」といったことになろうが、それが方法としてのオリジナリティーと見事に結びついて心に迫る作品となっている。言い換えれば、ファンタジーのだいご味を十分に満喫させてくれる作品といえるだろう。

『雨ニモマケチャウカモシレナイ』
 芝田勝茂・作、青井芳美・絵
(小峰書店、一三〇〇円)
 タイトルから予想できるように、この作品は宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を文字通りのモチーフとした、一種のパロディーというかパスティッシュというか、あるいは賢治ワールドへのオマージュというか批評というか、いずれにしても意図としては大胆というしかない。ゆりとアミの二人は、夕暮れの公園で不思議な少年から一枚の案内状を手渡される。それはイーハトーヴという劇団による「雨ニモマケチャウカモシレナイ」という公園の案内であり、同時にこれに参加する団員のオーディションの案内でもあった。
 女優志望のアミは、ゆりの助けを借りながらこのオーディションに応じ、二人の少女がその心と体を総動員して「雨ニモマケズ」に挑むのである。舞台(物語)と現実、俳優と観客がいつのまにか区別を失っていく手法、また結構笑わせてくれるやりとりを含め、井上ひさしの戯曲を思わせる魅力もあり、「快作」といいたい仕上がりになっている。

『カラフル』
 森 絵都・作
(理論社、一五〇〇円)
 「死んだはずのぼくの魂」が漂っていると、突然現れた天使が「おめでとうございます、抽選に当たりました!」と告げる。抽選とは輪廻(りんね)のサイクルから外れてしまうほどの過ちを犯した魂に、再挑戦の機会を与え、それに成功すればあらためて昇天して輪廻のサイクルに戻ることができる、つまり生まれ変わることができるというものだった。半信半疑の<ぼく>は、天使に押し切られ、自殺を企てた中学三年生小林真の体に乗り移る。真の体を借りて真として生きながら、自分の前世の記憶を取り戻し、その過ちが自覚できれば合格というわけだが、次第に真の悩みや喜びが「ひとごと」ではなくなってくる。そしてまた、周囲の人々を再発見していく中で、真自身にその人生のやり直しをしてほしいと切望するようになっていく<ぼく>。
 作品の仕掛けが割に見えてしまいやすいきらいはあるが、「自分と向き合うこと」への恐れにさりげなく寄り添う独特の語り口は、思春期の読者の共感を呼び覚ますだろう。
(東京新聞 1998.8.23.)
テキストファイル化四村記久子