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今、子どもたちに本というものの魅力を再認識してもらう手だてがあれこれ論じられているが、その一つとして僕は物語の「情報性」ということにもっと注目したいと思っている。大人の読書を考えてみても、歴史小説やミステリー、SFなどが典型だが、まずはそこにある未知の情報にひかれて読みながら、知らず知らず物語の世界に引き込まれていくというのが、むしろ常道ではないか。そうした読者をつかむ質の高い情報というのが、どうも児童文学の作品では弱いのだ。 そうした情報の一つ一つは、ある意味では作品にとっての「おまけ」といえなくもないが、子どもという買い手にとっては、おまけの方が大切であることはよく知られている。無論中身が粗悪では困るが、児童文学に限っては「おまけ」に工夫があるくらいの作品は、中身もまちがいなしといって良さそうだ。 『チャリンコライダー』(浅野竜・作、前嶋昭人・絵、国土社、1998) 主人公の山本郡平は六年生。幼くして父を亡くし、母との二人暮し。勉強はできず乱暴で、つまはじき者。その郡平の唯一の取りえが自転車で、どんな坂道も苦にしない。プロローグの父の思い出に続く冒頭の場面は、彼がクラスの男子四人を集め、自転車のかけレースを始めようとするところである。ところが、そこにレース用の自転車に乗った私立小学校の六年生花丸が現れ、郡平は初めて自転車で人に負けるという屈辱を味わう。物語は、母親が賄いをやっている新聞販売店で働く元競輪選手にコーチしてもらった郡平が、最後に花丸を負かすという具合に展開する。自転車やロードレースについて豊富な情報が、最初は自己流で乗っていた郡平がついにはレースに出るまでになるというプロセスに沿った形で読者に提供されていくわけだから、おもしろくないはずがない。 巻末に「自転車レースあれこれ」という文字通りのおまけもついて、久々に男の子たちに自信をもって薦められる一冊である。 『あやとりひめ』(森山京・作、飯野和好・絵、理論社、1998) 「五色の糸の物語」と副題がついているこの本には、やはり巻末に「五つのあやとりのあそびかた」という図解による説明が十ページにわたってあるが、これはおまけというより、作品そのものの基底をなしている。 昔々、山里に母と暮らしていたアヤだったが、その母が、いつもあやとりを教えていた時に使っていた五色の糸を肌身離さず持っているように告げて死んでしまう。ここからは、孤児となったアヤの苦難の物語となるわけだが、絶体絶命の時、それぞれの糸で編まれたあやとりが本物(例えば、あやとりのはしごが本当のはしごにというように)に変じて、あやを救う。 つまり、そのパターンをのみこめば、危機の結末はある程度予想できるわけだが、そうした結末のためにどんな危機が用意されているのだろうという「期待」ゆえに、かえってハラハラさせられるようで、不思議な構造の作品といえる。飯野和好のさし絵が、そうした不思議さを表現して余すところがない。(東京新聞1998.11.22) 藤田のぼる テキストファイル化山本実千代 |
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