子どもの本

東京新聞

           
         
         
         
         
         
         
    


 「成長」というとプラスイメージが強いけれど、時に決別(けつべつ)や喪失といった要素がつきまとう。「となりのトトロ」で、トトロに会えるのが子どもたちだけであるように、ナルニア国に最初に足を踏み入れたのが、四人兄弟の末っ子であったように、ファンタジーでは年長であることはむしろ何かを失った者とされている場合が多い。また新美南吉の心理小説やアメリカの「クローディアの秘密」などでは、何かを獲得することと引き換えに何かを失う少年少女の「成長」の瞬間が見事にとらえられている。それは確かに悲しいことではあるが、しかし避けられることではなく、むしろその「喪失」のありようが、成長した後の人間の深みのようなものを形作るといっても良いかもしれない。言い換えれば、人はそうした体験を通してようやく「自分」に到達するのだ。そうしたことをあらためて感じとらせてくれる二つの良質の物語と出合った。

『ちなの小さな白い羽』
岡信子・作、岡本順・絵
(リーブル、一二〇〇円)

 ちなには、生まれた時から背中にかげろうのように透き通った小さな羽があった。三歳になったちなが、高い所から飛び降りては喜ぶ姿にハッとした母親は、「人間は高い所からは飛べないものだ」と言い聞かせる。ところがちなの家が火事になり、二階に取り残されたちなは、いくら呼びかけられても下に飛び降りることができない。助け出されたちなは、「人は飛べない」という母親の言いつけと、火事の時の「さあ、飛んで」という二つの言葉の間で混乱し、入院した両親に会おうとしない。そして、物語のクライマックス、丘の上から病院を見下ろすちなが服をぬぐと、背中の羽が広がっていき、ちなは両親のもとに飛んでいく。そしてちなが目を覚ますと、背中の羽はなくなっており、ちなは二度と飛べなくなるのだ。
 すぐれて象徴的なメルヘンともいうべきこの物語の世界の魅力を、見事にレイアウトされた絵がさらに引き立てており、幼年向けの体裁ではあるが、それぞれの年齢に応じて心に深いものを残してくれるだろう。

『蝶々、とんだ』
河原潤子・作、石丸千里・絵
(講談社、一二〇〇円)

 不思議な雰囲気の物語で、ストーリーの紹介が難しい。主人公のユキは六年生で、発育の悪い自分が初潮を迎えたことがしっくりこない。なにやらアンバランスを抱えた感じの少女である。
 学校からの帰り道に寄った貸本屋で、一冊のマンガ本を借りる。それは男の子が目を覚ますと虫になっており、親がその虫を飼うという奇妙なストーリーだった。家に帰ったユキは、祖父にこのマンガの話をする。マンガの続きは、その虫が死んでしまい、川に流されてしまうというものだった。祖父は「そら、蝶々(ちょうちょう)になったんや」という。虫は死んだのではなく、サナギになったのだ、というのだ。
 そして、その後に続く「そやけど、蝶々かて、いつまでもとんでられんわなあ」という祖父の台詞(せりふ)に、思わずうなった。
 さまざまな未確定要素のはざまで生きる子どもの姿が独特の手法でとらえられていると同時に、それを励ますことの大切さと怖さともいうべき作者の心情がみてとられ、これこそ子どもに向けて書くことの本領だろうと思った。
(ふじた・のぼる=児童文学評論家)(東京新聞1999.05.23)
テキストファイル化日巻尚子