子どもの本

東京新聞

           
         
         
         
         
         
         
    
子どもの心理を描く妙味 藤田のぼる
言うまでもないことながら、児童文学は大人の作家が子どもの読者に向けて書くわけだが、主人公はじめ主要な登場人物も大半は子どもだから、大人が子どもに向けて子どもの心理を描いてみせる文学だ、と言い換えることもできる。繰り返すような言い方になるが、子どもの心の動きを、当事者ではない大人が言葉で表現して、子どもたち本人に読んでもらおうというのだから、考えてみればそもそも無謀なようなことなのだ。
かといって、子どもが自分自身で十分に自分の心の動きを表現することはできにくい。しかし、大人が書いたものを読んでうそと本当を見分けることはできる。そうした子どもの「めがね」にかなうには、子ども自身が言葉にできないところに少しずつ形を与えながらも、しかし過剰に言葉にしないように……。ここのあたりは児童文学としての妙味というべきか。今回、そうした点で確かなセンスを感じさせる、二人の新人の作品に出会った。

『天のシーソー』 安東みきえ・作(理論社、1300円)
五年生のミオと妹のヒナコを軸とした六編の連作。まず冒頭の「ひとしずくの海」がいい。妹とのやりとりを母にとがめられ、心がささくれだったまま外に出たミオ。幼いころから遊んでもらっている五歳上のサチエに会い、「目かくし道」で家に送ってくれるように頼む。それは二人だけのゲームで、目をつぶったままでいけば、違う世界の自分の家に帰れるというルールだった。
何年かぶりの目かくし道がミオにどんな魔法をおこすのか、作者はミオの心につかず離れず言葉を紡いでいくが、その距離の保ち方が独特の緊張をはらんでいて、読者はミオを他者として、一方ではいつのまにか自分自身として、息をつめて見つめていることに気づかされるだろう。僕には五編目の「ラッキーデー」も良かった。六編でややばらつきがあるし、このタイプの作品は多少訓練を積んだ読者でないと歯が立たないという点はあるが、児童文学の世界に確かな才能が現れたと実感できる一冊だ。

『おけちゅう』 ミキオ・E・作、狩野富貴子・絵 (NTT出版、1200円)
父の死によって、母親の実家に同居するため、転校してきた四年生の少年なおみ。空洞をかかえたなおみの心に妙に入り込んでくるのは、クラスでよく話題となる「おけちゅう」のことだった。酒に酔って自転車に乗っている姿が時々見かけられ、子どもたちには恐れられているが、その正体はクラスのだれも知らない。ある日、おけちゅうのあとをつけたなおみは、その住まいをつきとめ、彼が妻子を事故でなくしたおけ屋であることを祖母から聞く。やがておけちゅうと口をきくようになるなおみ。異人ともいえる一人の大人の姿に触れるうちに、なおみは父を失った自分の心情と和解していく。
前述で述べた問題意識からいえば、なおみの心が言葉にされすぎている面はあるが、全体として作者が読者に語りかける形式になっているため、それはあまり気にならず、おけちゅうという人物造形に心引かれた。東京新聞4 / 23 / 2000
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