子どもの本

藤田のぼる

           
         
         
         
         
         
         
    
「子どもの本」の二十一世紀は、ノンフィクションから始めたいと思う。フィクションというのは、ある約束事にのっとっていかないと作品世界に入り込めないようなところがあるが、ノンフィクションの場合は、素材とさえ折り合えば、本を読み慣れない子どもでも興味を持って読み進めることができる。その点、児童書の中でノンフィクションの割合が増えているようであることは、喜ばしい。
ただ、子ども向けのノンフィクションというのは、ある種の道徳臭を感じさせるものが少なくない。子どもに事実を提示する前に、大人の側の思いが前面に出過ぎてしまうのだ。その点、今回紹介する二冊は、著者が一人の大人として素材に真摯に向かい合い、格闘している姿勢が感じられて、読者が素材と向き合いつつ、著者と対話していける回路が開かれているように思った。

『ナージャ 希望の村』 (本橋成一・文/写真、学研、1200円)
舞台はチェルノブイリ原発のあるウクライナ共和国の隣国ベラルーシのドゥヂチ村。隣国とはいえ、村は放射能に汚染され、村民は退去を命じられる。しかし、お年寄りなどがどうしても村を離れられず、六家族十三人が村に残る。中で子どもがいるのは、ナージャの家だけで、彼女は事故後に生まれたため、村に多くの人が住んでいたころのことを直接は知らない。
たくさんの写真とともに、この村での暮らしがナージャの語りで紹介されていくのだが、これがなんとものどかで楽しげなのだ。しかし、ナージャの一家も、ついに村を離れる時がやってくる。人間の造った原発のために、人間の暮らしが根こそぎ奪われてしまった現実。タイトルを「希望の村」とした著者の思いがひしひしと伝わってくる。

『国境をこえた子どもたち』 (今西乃子・著、浜田一男・写真、風川恭子・絵、あかね書房、1300円)
ヘルシンキ空港で見かけた、フィンランド人夫婦と黒人の赤ちゃん。これが著者と「国際養子縁組」との出合いだった。その後、妊娠、流産という体験を経た著者は、子どもを産むこと、育てることの意味を求めながら、写真家の夫とフィンランドへ向かう。そこで紹介されたのは、自分たちの実の娘一人と、インドからの二人の養子、中国からの養子一人を加えた、五人の子どもたちを育てているリスティマキ夫妻だった。
なぜ外国から養子を迎えるのか、その子たちは地域社会の中でどのように受け入れられているのか。そうした問いの中から、家族の在り方や子どもの権利の問題、翻って日本の社会の状況など、新たな問いがさまざまに浮かび上がってくる、エキサイティングな一冊である。2001年(平成13年)1月28日(日曜日)
テキストファイル化 矢可部尚実