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ついこの間まで住んでいた街にきれいな欅の並木がありました。並木は四季折々、とりどりの美しい表情をみせ、仕事でへとへと(?)のわたしの心を癒してくれました。「木はいいなあ」とわたしはいつも思います。引っ越した先には借景でありますが、また大きな欅が一本あります。ベランダからその冬木立を眺めては、やっぱり「木はいいなあ」と思うのです。 『木はいいなあ』(ユードリー作/シーモント絵/偕成社)という絵本があります。開いてみればそこにはいろいろな表情をした木が描かれています。そのまわりで集う人々、動物、遊ぶこどもたち、そして、最後のメッセージは「自分の木を植えること」。 都会には自然がないといいます。たしかに、「まとまった」自然はないし、コンクリートで固められた地面から生えている木々は可哀相でもあります。けれど、たった一本の木でも、そこにあるだけで、まわりが安らぐから不思議です。この絵本にもあるように、「たった 一本でも、木があるのは いいなあ。木には はっぱが ついている。はっぱは なつじゅう そよかぜの なかで、ひゅる ひゅる ひゅるーっと、くちぶえを ふいているよ。」と、わたしも思うのです。 この本には気取ったところや、わざとらしい作為はありません。ただ木のことをあたたかく見つめた文章と、ゆったりとした色彩の絵があるだけです。(蛇足ですが、この本は一見開きごとにカラーと白黒が交互になっています。これは、意識的に効果を狙う場合と、単に制作コストを押さえるための場合とのふたつの理由が考えられます。もちろん両方の場合もあるでしょう。カラーにすると、単純にいってしまえば、4倍もの費用がかかるのです。だから、紙の片面をカラーに、片面を白黒にすることによって、コストを押さえ、定価を低くするということが、以前はよく行われていたようです。逆に画家たちがこれを一つの効果として利用するという場合。白黒とカラーを交互に使えば、カラーの冴えが一段と増して見えることは確かです。印象的な場面をより際立たせることができるわけです。)この本をみて思い出したのが、福武からでている『ぼくのたんじょうび』という絵本です。もうすぐ一歳になる子猫の目から移り変わる自然と農場の様子がえがかれた、とてもゆったりとした本です。そこに描かれる自然はちょっと気を付けていれば、どこにでもあるような風景のひとこま。なにをみても 初めて、という子猫の新鮮な驚きがとてもよく表現されています。ところで、ここに紹介した2冊の本、どちらもアメリカの50年代に出版されています。前者が56年、後者が53年。当時のアメリカの絵本には今の絵本にないすがすがしいのびやかさがあるようです。わたしはときどき、いつから、こういったのびやかな絵本がなくなってしまったのかなあ、と悲しくなるのです。まあ、とにかく、今の時代にこそ、開いて見てほしい本だとおもいます。
福武書店「子どもの本通信」第11号 1990.2.20
テキストファイル化富田真珠子 |
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