絵本ってオモシロイ

12.庭を作る
米田佳代子

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 今の日本では、悲しいかな、たとえマンションであろうとも、自分の持ち家をもつことはとても難しくなってしまいました。まして、一戸建てとなると夢のまた夢。たとえ、大きな街から遠く離れたところに一戸建てをたてたとしても、ほとんどの家は、庭と呼べるようなスペースなんてないような、猫の額のようなところにおしくらまんじゅうをしながら建っているのではないでしょうか。
 『ぼくの庭ができたよ』(ゲルダ・ミュラー作/ささきたづこ訳/文化出版局)は、「庭があったらいいなあ」といつもため息ついている方へ特におすすめです。
 主人公の「ぼく」たち一家は大きな庭のある古い家に引っ越してきます。庭はあるけれど、荒れ放題。これからみんなで庭をつくらなければなりません。お母さん、お父さん、ぼくに妹、それぞれこんな庭がいい、という夢があります。羨ましいことに、この庭はみんなの願いをかなえるほど広いのです。ぼくはお花を植えたいな、妹は野菜を植えたいな、そんな意見を聞きながらお父さんが庭の絵をかきます。そして……、雑草をぬき、土を耕し、用意ができたところで、種を買い……。
 となりの家に住むルーカスが、「ぼく」と妹を見て声をかけます。「おーい、ぼくんちへおいでよ。種のまき方を、教えてあげるよ。」ルーカスは車椅子の少年です。(ハンディキャップをもった子どもがお話の中に自然に登場して、大切な役割をになうという設定は、日本の子どもの本にはまだまだ見られない、すばらしいことです。いかにもドイツの本だなあ、と編集者の立場からとても感心してしまいます。)子どもたちは助け合いながら、庭をつくっていきます。理解のある大人も登場します。けれど、これもわざとらしい「理解」のしかたではなく、日常の中で自然に生まれる理解です。要所要所に、庭づくりをしらない子どもと大人のために、道具の説明や種の説明が入ります。それも、知識の絵本的な扱いではなく、あくまで、ストーリーの中で欠くことの出来ない要素として、織りこんであるのです。そして、また、この古い家の歴史を物語る場面も自然に挿入されています。
 季節毎の庭の全景が大きな画面で描かれる中、子どもたちの行動がコマわりの手法で表現されています。それによって、読み手のほうは、ぐいぐいとこの絵本の世界に入っていけるのです。
 読者も、本の中の子どもたちと一緒に、この「庭」という小宇宙を作る楽しみを分けてもらっている、とでもいえましょうか。
 翻訳の絵本を読むと、どうも翻訳のまずさが気になることが多いのですが、この本の文章は翻訳であることに気が付かないぐらいとてもよく出来ています。文章が長い絵本の場合、普通はなんとなく説明調になってしまいがちなのですが、この本ではそういったことはまったくありません。
 この短いコラムで全部を語り尽くすのはむずかしいのですが、とにかく、何度読んでも「いい本だな」と思える絵本です。
福武書店「子どもの本通信」第14号 1990.8.20
テキストファイル化富田真珠子