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ある写真週刊誌で、この本のことは知っていたし、そこには写真も一部のっていました。帰りの電車の中で、あきもせず見ていたことを覚えています。けれども、本屋さんで、実際にこの本を開いて見た時の驚きは、その比ではありませんでした。 『月光浴―Moonlight Blue―』(石川賢治作/小学館/定価3200円)帯には「満月の光だけで撮影された地球の夜のドラマ。』「気持ちが開く写真絵本」とあります。 そう、これは写真集ですが絵本と呼ぶことができるのではないかと思います。数ある絵本論の中で「絵本とは何か」という絵本の定義にまつわる議論はよく聞きますが、そういった本の中で大むね全員が認めているのは、写真集も画集も広義では絵本であるということです。けれども私がここで意図しているのはそんな古い議論をむしかえすことではなく、この本が、人の心をつかんではなさないということ、写真の配列の中にリズムがあり意図があり、そえられた言葉と写真の組みあわせがドラマを生み出しているということです。 表紙にかけられた銀色の帯をはずし、波の音に耳をすますところからはじめてみましょう。右上に印刷された書名と作者名は月光色にぬかれています。表紙をあけると、闇の中に青く浮かびあがる地球の姿が見えます。これが前見返しです。「これは、地球の見えない光に目を凝らし、聞こえない音に耳を澄まし、読めない言葉に心を開くための本ですよ…」とでも言っているようです。 「月は地球のただ一つの自然の衛星。地球にもっとも近い天体である。」という言葉とともに、ヒマラヤの山と大空に輝く星を見つめます。次に、近くの木に目を移しつつゆっくりと歩を進めます。月光に浮かびあがる水、花、草…。妖精の輪が草原にできるのはこんな日かもしれない…とか、日中に見なれているものたちも、夜になると自らの意志を持ち自ら発光しエネルギーを発散しているかもしれないという考えがよぎります。 ページを開く毎に広がる世界にひたってみると、日常では決して体験できないことが経験できます。…とここまで書いてきて、突然、モーリス・センダックの『かいじゅうたちのいるところ』(冨山房)を思い出しました。 月の光が見せてくれる不思議な世界。しかられて、自分の部屋にいると、部屋が森に変わってゆき、かいじゅうたちがあらわれる……あまりに違う二冊の本ではありますが、そこにひそむ不思議さのリアリティーには共通したものがあるように思えるのです。『月光浴』では、現実には確かに存在しているものが月の光によって、不思議の世界へと通じ、『かいじゅうたちのいるところ』では不思議の世界の住人が月の光によって現実のものになる……。 写真とイラスト、現実と非現実、本来なら対極にある二つの世界が時にこんなに近くなる…そんな事がとりとめもなく頭にうかんできました。 絵本の可能性を考える時、絵本の世界だけを見ていてはだめだなと思うことがあります。絵本をより豊かなものに、私たち作り手の側は、常に様々なものに接し、吸収して絵本の世界に生かしていきたい、と思うのです。
福武書店「子どもの本通信」第19号 1991.6.10
テキストファイル化富田真珠子 |
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