絵本ってオモシロイ

19.絵を読む
米田佳代子

           
         
         
         
         
         
         
     
 「絵を読む」ことについてちょっと。『きょうりゅう きょうりゅう』(バートン作/中川千尋訳/福武書店刊)を例にとってみましょう。この絵本、一見単純な形ときれいな色で描かれた恐竜のオンパレードと見えますが、よーく絵を読んでみると…。
 1場目、真っ赤な夕日の中、トリケラトプスが卵を産んでいます。(言葉は、なし)2場目、白い玉が3つ、輝く満月の下、地面にころがっています。(言葉「おおむかし」)3場目、朝。太陽は1場と同じように輝いていますが、空の色にご注目。トリケラトプスの赤ちゃんが卵の殻をやぶって誕生しました。(言葉「きょうりゅうがいた」)4場目、親トリケラトプスと5匹の子ども。(言葉「つののはえたきょうりゅう」)5場目から14場目までは主人公がトリケラトプスから他の恐竜たちにかわります。けれど、絵のあちこちにトリケラトプスが登場しています。終盤15場目、空が赤くそまり始め、トリケラトプスの親子が草をはんでいます。さっきの親子にちがいありません。子どもが5匹いますから。(言葉「きょうりゅうもやっぱりおなかがすいた」)16場目、三日月輝く星空のもと、(2場では満月でしたから、時がたったことがわかります)恐竜たちは眠ります。親のトリケラトプスは立ったまま。こどもは横になって。(言葉「つかれるとやっぱりねむくなった」)17場目、ラストの場面。絵は前場面と同じ三日月。さっきより少し遠景です。木や草が小さくかいてあることからわかりま す。(言葉「きょうりゅう きょうりゅう おおむかし」)さて、ここでまた1場目にもどってください。言葉がないとついついこのページをすっとばしがちですが、この場面をとばしてしまうと、次のページへとつづいて絵で物語が展開されていることに気がつかないかもしれません。1場目で親が産んでいる場面を見逃した人には、2場目の白い玉が卵だということがすぐわかるでしょうか?ここだけとって考えても、絵を読むことにちょっと注意をはらえば絵本の世界が広がり深まっていくことがわかります。細部まで読み込んでいけば、もっと色々なことがわかり、その世界も広がるのです。
 子どもは案外絵を読みます。大人が見逃してしまうようなこともちゃんと見つけて、あ、ここに蛙がいる、とか、あ、ここにてんとう虫がいる、とか、といったことに気づきます。(ペッチのだいぼうけんシリーズで、せりふのまったくないカメのカロリーヌに子どもたちの人気が集まるのも、その証拠といえましょう。)けれども読んであげる時、やはりそこにはおとなの助けも必要です。とくに子どもが小さいときには、大人が文しか読まず絵を読まないということは、ページをさっとめくるという行動と直結し、子どもは絵を読むチャンスを知らないうちに失ってしまうのです。
 絵を読むことは文を読むのと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に楽しいことです。「絵は読める」ということに気づきさえすれば…。この本は字が少ないからつまらない、という人に出会うたび、絵を読む楽しさをもっと知っもらいたいなあ、と思う今日このごろです。
福武書店「子どもの本通信」第21号 1991.10.10
テキストファイル化富田真珠子