『現代児童文学論』(古田足日 くろしお出版 1959)

大地と子どものエネルギー・その他
――文学のなかの児童像――

 1

 もし、あなたが教師なら――A組のA男はいたずらっ子でこまるとか、B組のB子はおしゃれ好きだとか、毎日、毎日、職員室や帰りの道で友だちとあきもせずにくりかえしているにちがいない。
 おかあさんも同じことだ。どこそこのだれちやんはよく勉強するとか、おぎようぎがいいとか、いつも話しているはずだ。
 一般に、私たちはだれでも人間に関心を持っている。となりのおやじさんはなにわぶしが好きで、人のめいわくもかまわず毎晩ふろのなかでうなっているとか、向かいの奥さんはけちんぼで、いつもやお屋で値ぎっているとか、私たちの世間話のなかみは、たいてい人間と人間関係のことだ。
 だが、教師やおかあさんの、子どもに対する関心の質と、となりのおやじさんや向かいの奥さんに対する関心の質はちがっている。教師やおかあさんたちは、ふつう自分の子どもをりっばに(その内容はいろいろあるが)育てたいと思っている。その願いから生まれる関心は、なにわぶし好きのとなりのおやじさんに対する関心とはちがっているのだ。
 この子どもをりっぱに育てたいという気持はすぱらしい。しかし、この「りっぱに」という気持がせっかちになると、こまったこともおきてくる。そのひとつとして、児童文学への価値判断が狂ってくる。なぜなら、文学は、ことに近代文学は、となりのおやじさんへの興味を母胎とする人間への関心、人間はどういう存在であるかを知りたいという要求から生まれ、児童文学もその例外ではない。ところが「りっぱに」という気持は、ややもすると、児童文学のなかに学校教育と同じ教育性を求めるようになり、それをもっていない近代児童文学はやっつけられてしまうことになる。
 たとえぱ、善太と三平――。まじめな、しかもすぐれた教師のなかから、坪田譲治の創造したこの児童像に対する否定の気持が出てきている。十以上もある善太三平物語のなかでの傑作「魔法」を国語の時間で扱った教師は、この作品が「人生(ここでは善太と三平の生き方)に対する批判の弱さや社会性の乏しさによって、心を打たれ興味をもつに足らないもの」として子どもの心に映じているといい、「形象力の弱さということも見のがし得ない」といっているのである。(伊藤好一・「日本文学」一九五六・十月)
 批判の弱さ、社会性の乏しさということは、たしかにそのとおりだが、しかしこの作品の価値は別のところにある。もうひとりの教師は、同じ坪田譲治の「笛」について、つぎのようにいっている。
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 線路でひろった笛。ポケットに手を入れるとふきたくなる。そして、とうとう授業中笛を吹いてしまう善太の心理。その笛がもとでたたされたため、先生にきょうひっこしだということがどうしてもいえず、あげくには、その大事な笛をなげつけてしまう善太。(中略)私はこの場合、こうした子どもたちの興味を中心に、主人公善太の気持、考え、行動、いわゆる人間行状の型、性格といわれるものを、できるだけ具体的につかんでいくようにしている。そして「善太は作品の中だけで生きているのだろうか」という問題にとりくむとき、「善太はぼくたちの身近にいる。いや、みんなの中に生きている。だから面白いのだ」という具体的な自己発見、新しい性格の発見に至る。(竹本賢治・「日本文学」一九五七・八月)
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 ぼくは、この、善太はみんなのなかに生きている、自己発見ということに、善太三平物の価値があると思う。さきの伊藤好一さんの意見は、子どもの成長を願うあまりのせっかちさから来たものだ。というのは、伊藤さんは同じ論文のなかで、終戦直後の労働組合の闘争を背景にした少年工たちの物語「鉄の町の少年」(国分一太郎)にふれ、学級の子どもたちがこの作品によって「明かるく楽しい生活を送るために正しいことを話しあい、大ぜいの協力と団結で真実をかち取って行かなければならないことを実感でもって受けとめた」といい、「以後、学級の作業や掃除に子どもたちのうるわしい協調がみられ」「お互いがいたわり合って行こうとする気持が生まれて来た」と書いてあるからである。つまり、伊藤さんの意見では、「鉄の町の少年」は子どもを感動させ、すぐ彼らの人間形成のやくにたった、しかし「魔法」は形象力も弱く、なんのやくにもたたないということになる。
 ぼくは、ここで「鉄の町の少年」と「魔法」の優劣を論じようと思わない。いえることは、おのおのは異質の基盤の上に立った作品だということだ。伊藤さんは、それを、同じ次元に立ってくらぺてしまった。それはまちがっているということだ。
 ここで、もう一度、人間への関心ということにかえろう。伊藤さんの、自分の学級の子どもへの関心は、となりのおやじさんへの関心とはちがう、子どもをりっぱに育てたい気持から出たものだ。そして「りっぱに」ということの内容は「協調」「いたわりあう気持」「団結」などである。この関心のあり方で律していけぱ、「魔法」になんの価値もなくなるのは当然である。
 「魔法」の価値は、「笛」と同様に、善太、三平がみんなのなかに生きているということだ。つまり「鉄の町の少年」には、協力・団結・資本主義への批判など、新しい子どもの姿が描かれている。しかし、「魔法」や「笛」には、それがない。あるのは、市民の家庭の平凡な子どもの姿だ。だが、ぼくは、この平凡な子どもの姿にも非常な魅力を感じる。なぜなら、遊ぶ子どもの姿を通して、子どもという人間はこういう存在なのかとうなずかされるものが、この作品にはあるからだ。子どもをりっぱにという関心ではなく、いまそこにある子どものなかに人生の真実をとらえようとする関心によって、この作品はささえられている。
 「新しい児童像を」というが、その「新しさ」にだけ焦点をあわせて、文学のなかの子どもを見ていけば失望に終わることになろう。新しい児童像は新しい文学のなかでこそ生まれ、新しい児童文学や、新しい子どもを描いた文学は、それほど多く存在していないからてある。
 それよりも、私たちは、子どもという人間がどのような存在なのか、それを描いた文学のあとをたどってみよう。私たちが子どもについて知っていることは、ごくわずかでしかない。教師やおかあさんたちが自分は子どもをよく知っていると思ったら、それは大きなまちがいだ。私たちは人間と人生についてどれだけのことを知っているだろうか。
 そして、新しい児童像も、今までつきとめられてきた子どもの本質の上に立ってこそ考えられる。おとなにとっても児童文学が必要なのは、子どもの教材や読み物の選択のためではなく、児童文学によって子どもという人間とその人生を理解できるからである。
 つまり、おとなの小説を読むのと同じ態度で児童文学を読むことが必要なのだ。いいかえれぱ、子どもをりっぱに育てるという関心だけではなく、となりのおやじさんに対するような一般的な関心も子どもに注いでもらいたいということになる。



 フランス革命と産業革命ののちに近代小説は誕生する。この小説のなかで、子どもたちははじめて自分の地位を確立させる。人間として、社会的存在としての子どもが発見されたのである。ディケンズの小説では「オリヴァ・トウィスト」のように子どもが主人公となり、「戦争と平和」のさいごは未来を予想するニコールシカ少年によって結ばれる。
 そして十九世紀は市民の世紀だ。個人思想・好奇心・楽観主義――単純な、入間と科学への信頼が近代小説の基礎になっている。
 ユーゴーの「レ・ミゼラブル」のなかに登場する少年ガヴローシュは陽気でそうぞうしい。彼はパリの浮浪児で、バスティーユの広場のすみにあるナポレオンが作った大きいぞうの模型のなかに住んでいる。
 彼は自分を一人前の人間と心得ている。だから彼を笑うような人間にはがまんできない。
 ガヴローシュは、ある時、寝る所のないふたりの小さい子どもをみつけた。七歳と五歳のこの子どもたちは実ばガヴローシュの弟なのだが、ガヴローシュはそれとは知らず、彼らを自分の寝床に寝かせてやろうとする。そのとちゅう、ガヴローシュは三人のためにパンを買う。最初、三人の風体を見て黒いパンを出したパン屋はガヴローシュにどなられた。
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 「白いパンがいるんだ。焼き立てのようなやつだ。俺がごちそうするんだからな」
パン屋は思わす笑って、白パンを切りながら、三人をあわれむように眺めた。ガヴローシュはしゃくにさわった。
 「おい、でっち。なんだって、そうじろじろ見てるんだ」
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 ガヴローシュには人間としてのほこりがあるのだ。
 ガヴローシュは、こうしてふたりの子どもにパンをやり、泊めてやるのだが、この行為を愛情とかヒューマニズムとかいうことぱで表現できるかどうか、ぽくはためらう。彼には、この行動に対する自覚は何もない。彼はこじきの少女に自分の毛織の肩掛けをやってしまう。だが、その後彼はそのことを一度も思いだしもしない。なるほど、彼は、自分の実の弟にあたるふたりのちび公のことを思いだしはする、しかし、それは慈善をほどこしたとか、弱い者に同情してやったというような思いだし方ではない。動物がある日、鼻すりよせあったというような思いだし方なのだ。原始性といおうか、本能といおうか、人間存在の根元的なものを彼は持っている。
 ここで、私たちは同じロマン派文学としてのアンデルセンとユーゴーの関係を考えるべきであろう。アンデルセン童話を作りあげたものは、動植物に人間と共通の生命を認める原始心性(あるいは幼児性)である。自然と共通の基盤に立ちながら、自然と戦い分化していく人間発展の姿を、ガヴローシュは体現している。秘密の多いパリの都は、彼にとっては自然と同じ存在である。
 彼はだれからも保護されていない。治安を維持するおまわりは彼の敵であり、いわゆる善良な小市民たちは彼をけいべつしている。彼は常に自然の恐怖にさらされている原始人と同じなのだ。
 その自然と、彼は戦う。彼は、見すてられたぞうの模型を自分のねぐらにする。その模型のなかには、おびただしいねずみが住んでいる。彼はぞうの腹のなかに三本の柱を立て、その全体に金あみをかぶせ、金あみのすそを石でおさえて、そのなかで寝るようにする。彼がもちこんだねこまで食ってしまったねずみに対する防御なのだ。こうした生活のちえを働かせることによって、自然と分化していきながら、彼はやはり大地の子だ。
彼が大地の子、自然と共通の生命をもった子だというのは、一八三二年六月五日、市民王ルイ・フィリップに対する革命のなかで、彼は立ち上がった市民のがわに加わり、戦死していく、その時の様子にはっきり出ているからだ。
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 ガヴローシュは、彼のとじこもっているパリケードのなかの首領アンジョーラのことばを耳にした。
 「この防塞には十個ぱかりの弾薬しか残らない」
 そこで、ガヴローシュは人の知らない間に籠を持ってバリケードの外へ出る。敵の弾は雨あられだ。だが、そこには突撃してきた敵の死体が散らぱっている。死体がつけた弾薬盒から、彼は弾薬を取って籠のなかに入れる。やっと、バリケードのなかのひとりがガヴローシュに気がついた。
 「霰弾が見えないのか」
 ガヴローシュは答えた。
 「うん、雨のようだ。だから?」
 「もどってこい」
 「いますぐだ」
 ガヴローシュは、比較的安全なパリケードのそぱから街路にとびだした。街路には霧のように硝煙がたちこめている。その煙の下にかくれ、彼は平たく四つんぱいになって籠を口にくわえ、死体から、死体へとうつっていった。彼は前進しすぎた。硝煙が向こうから見すかせるところまでいったのだ。街路の端の敵は彼をねらった。彼は立ちあがり、髪の毛を風になびかせ、両手を腰にあてて、歌を歌う。
 そして弾にあたってひっくりかえされた籠を取りあげ、こぼれ落ちた弾薬をひとつ残らず拾い集め、なおも銃火の方へ進んで他の弾薬盒を掠奪しにいく、弾が来るごとに彼は歌で応じ、地に伏し、また立上がり、戸口の隅にかくれ、またとびだしては嘲弄で霰弾に応じ、しかもその間に自分の籠をいっぱいにしていった。「それは一の子供でもなく、一の大人でもなく、実に不思議な浮浪少年の精であった。」
 しかし、とうとう一発の弾が彼をとらえる。彼はよろめき、倒れた。だが、ユーゴーは次のように書く。「然し、この侏儒の中には、アンテウス(仆れて地面に触るるや再び息を吹き返すという巨人)がいた。浮浪少年にとっては、街路の鋪石の触れることは、巨人が地面に触れるのと同じである。カヴローシュは再び起き上がらんがために倒れたまでだった。」
 彼は上半身を起し、両腕を高くさしあげ、弾の来たほうを眺め、歌い始めた。
   地面の上に俺は転んだ
   罪はヴォルテール
   溝の中に顔つき込んだ
   罪は……………………。
 彼は歌い終えることができなかった。第二の弾が少年の魂を奪っていった。
・・・・・
 この大地の子のエネルギーを、いまの子どもたちも持っている。人間であるかぎり、だれもが、このエネルギーをもっているのだ。ことに、子どもの成長していく力はすさまじい。しかし、今日、残念ながら、そのエネルギーはスーパーマンや赤胴鈴之助のほうに吸収され、そのなかでしぼみ、 散らされ、再創造のエネルギーとなっていない場合が多い。
 まず、子どもの、このわきかえるエネルギーを、生命カの原形質をつかむぺきだ。「レ・ミゼラプル」のなかで、ジャン・ヴァルジャンがミリエル僧正の銀のしょく台を盗む話は、教科書のなかにも出ているが、しかし、子どもを奮いたたせ、さらに私たちに子どものエネルギーを認識させる、このガヴローシュ少年の物語は出てこない。そして、また子どもにもわかる文章でのガヴローシュ少年の物語の再話はあっても翻訳はない。だが、ぼくは、先生がた、おかあさんがたにお願いする。子どもは読まなくてもいいから、とりあえず、あなたがただけでも、「レ・ミゼラブル」の全訳を読んでくださることを。
 ところで、ガヴローシュに対する不満について。
 ガヴローシュは革命に参加した。しかし、彼は自覚して参加したのではない。動物的本能だ。彼はバリケードのもうひとりの首領マリウスからジャン・ヴァルジャンに手紙をとどけるように命令される。マリウスは、ガヴローシュが戻ってこないことを希望している。マウリスはガヴローシュを死なせたくないのだ。だが、ガヴローシュは帰ってくる。道のとちゅうにあった荷車を「フランス共和政府」のバリケードを作る役にたてようと思って、政府の兵隊とひともんちゃくおこしたりしながら、帰ってくる。ここにあるのは、あまりにも幼いちえとやじ馬根性だ。
 やじ馬根性、かならずしもけいべつすぺきではない。これは、よくいえば好奇心でもあり、その方向さえまちがわなければ、人は適当にあらゆるものに興味をいだくべきであろう。しかし・ガヴローシュは脱線した。むやみに危険に身をさらしただけのことだ。
 また、幼いちえ――そこに子どもらしさがあり、だから子どもはかわいいというような考え方は、あまり健康な考えではないだろう。これは、子どもをあまやかす考え方だ。
 ガヴローシュのこうした欠点は、ガヴローシュ個人の問題ではなく、時代の精神そのものの限界だと、ぼくは思う。
 つまり、ユーゴーは楽天的に過ぎたのだ。直観、本能みたいなものでガヴローシュは革命に加わる。もちろん、子どもにすべてを理解せよといっても、むりである。だが、問題は革命に加わっているあいだに、たとえ短い時間であれ、ガヴローシュには革命への理解が芽ばえるはずだということなのだ。
 さらには、なぜ浮浪児ガヴローシュに、浮浪児の友人たちがいないのであろうか。ガヴローシュには、おとなの悪党とのつきあいはあっても、同じ年ごろの友人はいないのだ。ガヴローシュは、あまりにも、個人的に描かれすぎている。だから、ガヴローシュにとってパリは社会ではなく、自然であったのだ。
 そして、個人的であるために、その像は実にあざやかなりんかくをもっている。ガヴローシュという個性を浮きぼりにしていって、浮浪児のタイプを描きだすこのやり方は、はたして今日にも通用するかどうか。十九世紀は個性を主張する。だが、現代は平均化され、解体させられていくなかから、ひとつの像を作りあげねばならぬ。
 この十九世紀的刻印は、ぼっ興する市民の顔に刻みつけられた刻印である。フランスから海峡を渡って英国へ行けば、ここには、オリヴァ・トウィスト、デヴィド・コパーフィルド(ともにディケンズの同名の著作)という子どもたちがいる。さらには、ふしぎの国を旅して、女王をただのトランブじゃないのとどなりつける楽天的な少女アリスがいる。そして、未知の世界に冒険を試みる「宝島」のジム・ホーキンズ。彼らは、たしかに十九世紀の産物である。
 私たちはまどわされてはならぬ。青い海、青い空、そそり立つ遠めがね山を背景に、流されていくスクーナー船の帆柱の上で、海賊とわたりあうジム・ホーキンズのきわだったイメージに。彼の冒険は実に個人的なのだ。
 一本足の料埋番、シルヴァーを中心とするむほん人たちが島に上陸する。シルヴァーたちは、むほんが発覚していることに、まだ気がついていない。船長たちはシルヴァーの上陸ののち、船を守って戦おうと考えている。その約束を破って、ジム・ホーキンズは島へこぎだしたボートに飛び乗るのだ。
 その上、こんどは、島で、とりでにたてこもり、シルヴァーたちと戦っているなかまのなかから、またジムは無断で抜けだして船へ行く。
 結果として、ジムの行動は人々を救うようになるのだが、結果はどうあれ、彼の行動の個人的に過ぎることは、実にはっきり現われている。
 そして、この個人的行動の肯定――これを、ぼくは十九世紀的と考えるのだ。現代は集団、組織の力がたいせつだから個人的なのはだめだという理由ではない。個人の勝利をささえている思想は個人の力に対する楽観的信頼であり、ジム・ホーキンズのかってな行動の底には、それがある。自我と個人に対するそぼくな信頼を、私たちは一応疑ってみてもよかろう。
 ジム・ホーキンズは、かぎられた世界、つまり宝島と船と、あるいは敵と味方と、それだけのなかで行動している。私たちは、同じかぎられた世界、いわゆる限界状況のなかで人間をとらえようとする今日の小説と対比しながら、「宝島」を考えてみるべきだろう。現代小説は「宝島」とちがった答えを提出する。人々は限界状況のなかで、あるいはうらぎり、あるいは発狂し、あてのない出口を求めてさまよう。それにくらべて、ジムはあまりにも楽観的なのだ。
 また彼の判断は実に合理的である。彼が船に残る約束を破ったのは次のように考えたからである。シルヴァーは船に六人の手下を残していく。とすれぱ、「見方が船を占領して、それにより戦うことができないのは、あきらかなことであった。またたった六人が残るのであってみれば、船室のなかまは現在のところ、私が加勢しなくてもいいのだということも、同じようにあきらかであった。」ここにもやはり、限界状況のなかで、これほど明確な判断を下すことのできる英雄が描かれているのだ。
 十九世紀は、このようにめいりょうなりんかくをもった人間の像を提出するが、今日の文学は、人間とは何かをたずねている。自我とか個性とかいわれるものの、もうひとつ奥にあるものが、今日の問題である。あかるさ、健康さの必要な児童文学でも、問題は同じことなのだ。
 だからといって、ぼくはジムから学ぶものは何もないというのではない。その自我とか個人とかいう十九世紀的ヴェールをはぎとって、なおかつ残るもの、それをジムという児童像から読みとりたい。その残るものは、やはり自分への信頼であり、さらに船長や地主や医者との緊密な連帯感である。
 それをはっきりさせるために、もうひとつの見落としてならないことから進んでいこう。それは、彼の行動の源泉が宝への欲望であるということだ。シルヴァーの手下たちは宝島を見ただけで、もう宝が手にはいったというような気持になり、しごとをしなくなる。あらゆる事件は宝をめぐっておこる。ジム・ホーキンズの味方である地主・医者・船長たちの紳士的態度の下には、宝に対するかぎりない望みがひそんでいるのだ。ジムを冒険へかりたてたのは、崇高な、あるいは冒険好きの子どもの心だけではなく、宝への欲望でもあったはずだ。というより、人間の冒険の原型は宝さがしであったのだ。
 私たちはジムを通じて、子どもに、人間はこのように宝を求めて行動してきたこと、宝への望みはけっしてけいぺつすべきことではなく、かえってそこには人間行動の原型があることを知らせるぺきであろう。
 つまり、ジム・ホーキンズはひとりの少年というより、少年の姿をかりて人間行動の原型を現わしたものといえよう。ぼくはさきにジムを「明確な判断を下すことのできる英雄」といった。「宝島」は英雄伝説、民話の再生なのである。児童文学のなかに描かれる子どもはかならずしも子どもではない。人間行動の原型、その亜流としての社会の一般的行動のタイプを現わす場合が多く、民話・伝説は小さい社会のなかでそのような役わりもはたしてきたのである。そして、すぐれた児童文学はみんなその行動の原型をもっているといってよかろう。トム・ソーヤーは子どもとしてのトムと、行動原型とふたつのものの調和である。
 ジム・ホーキンズの十九世紀的性格をはぎとっても、なお感しられる自分への自信は古代英雄の自信なのだ。ここでは、もう自信とか信頼とかいうことぱは使うべきではないかもしれない。ジムは船が自分ひとりで占領できるという自信をもって出かけるのではない。そこへ行ってみんなのためになされなけれぱならないしごとがあるという気持が、彼を船へ連れていくのだ。そして、なさなければならないことは、やりとげなければならないことなのだ。しかし、それは悲壮な決意でもなく、義務感でもない。ここに、ぽくは古代英雄を感し、みんなのためになされなければならないという本能に近い気持を、行動の原型と呼ぶのである。
 そして、ここにある「みんな」は、それぞれがいのちのつながりといってもよいようなもので結ばれている「みんな」である。地主・医者・船長とジムのつながりは、主人・家来のつながりではなく、血の通いあう原始的な小集団のなかのつながりである。だからジムはかってな行動もできるのだ。
 しかし、なぜそのような小集団が結成されたのか、それをこの作品は描いていない。また英雄伝説が人間の生命の原形質をとらえているのにくらべて、ジムをかりたてたものは明確に対象化されていない。そのために、ジムと地主たちのつながりはどこかそらぞらしく、基礎の弱い楽天性、合理的判断、個人への信頼のほうがくっきり出ていると、ぼくは思うのだ。
 そして、この自我と合理性、楽天性を内容とし、明確な個人像を作っていく方法は、今日もなお児童文学の大きな部分を占めている。たとえぼ「ヴイーチャと学校友だち」「ワショーク・トウルパチョフとそのなかまたち」などソヴェトの少年小説にぼくは感動しながら、そのそぼくな個人信頼に、あきたりなさ、そらぞらしさも感じるのだ。

 3

 日本の児童文学は、明確な児童像をほとんどもっていない。一般文学のなかでも、外国のように子どもは多く登場してこない。「たけくらぺ」の美登利、「銀のさじ」の主人公、「路傍の石」の吾一、「次郎物語」の次郎、そして善太と三平が目本近代の文学のなかで、ほぽめいりょうな形をそなえた子どもということになろうか。
 彼らに共通な要素は、あるいは外国文学の児童像との大きな差は、彼らが楽天的なイメージとして作られていない点である。
 最初にあげた坪田譲治の「魔法」だが、この作品は、まっくらな背景をもった一枚の絵として、ぼくの心に焼きつけられている。白いケシの花が中央にあり、その両がわに善太と三平が立っている。ケシの花と善太三平の上には太陽の光があかるく降っているのだが、その背景はまっくらなのだ。ひとふであやまれぱ、善太も三平も、そのまっくらななかに消えていく。そのくらやみを、ぼくは、死あるいは自然だと思う。
 西欧の子どもたちは、その生命力により自然とつながっているが、善太と三平は死によって自然とつながっているのだ。西欧が子どものたくましい生命力をとらえたとすれば、善太三平には、その逆の、もろくかぼそい子どものいのちがとらえられている。そして、善太三平はそのもろさを知らずに遊びかけまわっているのだ。
 私たちは子どもが自然に近いことを忘れてはならない。そして、ここでいう自然は――前に、「レ・ミゼラブル」のなかの少年ガヴローシュが自然と共通の生命力をもっているといった場合の自然も含めて静止している自然ではない。私たちは、ふつう自然を、そこにあるものとして考える。私たちにとって自然は、森や川や山や海の集合である。しかし、原始人にとって、自然は彼らを守り、あるいは彼らを襲う、生命力をもった存在である。私たちの自然は意志をもたないが、原始人の自然は意志をもっている。実はこの自然の意志の人間の心の反映でしかないのだが、原始人にとっては人間の外がわのものである。だから、原始人たちは、おのおの、自分のうちにひとつの小自然を持っていることになる。内がわの自然に対応して外がわの自然が、その様相をかえてくるのだ。
 そして、人間が成年に達するまでに過去の人類の発展経過をたどっていくとするなら、子どもが自分のうちに小自然をもっていて、外がわの自然と対応していることは容易にうなずけよう。
 善太三平はその小自然そのものであり、彼らの背後の暗さは大自然なのだ。彼らは、心の奥底に呪術に対する信頼のこん跡をとどめている。善太はいう。
 「まあ、聞きなさい。ぼくね、さっきここへやって来るとね。ケシの花がこんなにたくさんさいているだろう。これを見てると、なんだかこう魔法がつかえそうな気がして来たんだよ」
 このことばを子どもの心理をよく現わした表現ととらえることはあやまりではない。しかし、子どもの心理とは、いったいどのようなものなのか。この善太の気持は大自然に対応して動きだした小自然の発動である。そして、善太は続ける。
 「それでね、まず第一にちょうをここへよびよせることにしたんだよ。ね、目をつぶってさ、ちょうよ、こいって、口のうちでいったんだよ。それから、もういいかなあとおもって、目をあけたら、ちゃんとちょうが花の上をとんでんのさ」
 「ふうん」
と、三平は感心する。ことぱがものを呼びよせる呪術が、ここに働いているのだ。
 「魔法」の形象力が弱いというべきではなかろう。逆に、魔法にひかれていく子どもの心を善太三平のなかに読みとるべきであろう。今日の子どもにとって、善太たちの魔法はもう古いかもしれない。時代によって魔法の形はかわっていく。「ちょうよ、来い」という魔法はもう現代風俗ではないかもしれない。地域によっても魔法の形はちがうはずだ。しかし、それぞれの形はちがっても、自然に近い子どもそのものの姿にかわりはない。常に社会的なものだけを文学に求めることはない。人間としての子どもの真実が、ここにはいきいきと現われている。
 善太は魔法におぼれているのではない。彼は坊さんを黒アゲハのチョウに変え、チンドン屋をカマキリにし、三河屋のこぞうをイナゴにする。彼は環境―自分の内がわの自然に対応する大自然に向かって働きかけているのだ。その働きかけによって、彼は自然と分離していく。彼は三平にいうのだ。「三平ちゃん、ぼくきょう学校から魔法をつかって帰ってくるぞ」と。三平はその帰りを待って、チョウやイヌがもしかしたら善太ではないかとあやしんでつかまえるのだが、兄は玄関でくつをぬいでいる。
 「にいちゃん。魔法は」
 「あっ、魔法か。今、門まで風になってふいてきたんだけど、門から、もうやめてはいって来たんだよ」
 しかし、善太はくすぐったそうな顔をして、にこにこ笑っている。そこで、うそだということがわかり、ふたりはざしきですもうを取りはじめる。ふたりは魔法を卒業したのである。もちろん、ふたりはまた魔法遊びをやるかもしれない。しかし、その遊びをくりかえしながら、彼らは、しだいに魔法を離れていくのだ。子どもの成長の過程のひとこまが、ここにははっきりと現われている。
 しかし、善太三平の自然は暗い。「善太の四季」では、善太は川に落ちて死んでいく。死は自然に帰ることであり、子どもの成長は、ガヴローシュや、「魔法」で見るとおり、自然からの分離の過程である。その意味で、死は――ことに「土に帰る子」に描かれるように死が土に帰ることだとすれば――成長とは逆の過程である。「魔法」の背景が暗いのは、この死の予感のためである。
 輝く太陽に背を向けるのは、善太三平だけではない。新美南吉の描く子どもたちも、ともすれぱ暗い方向へ目をやろうとする。楽天性、個人へのかぎりない信頼などというものからは、文学に描かれた日本の子どもたちは縁遠い。彼らのまわりには、常に世の中の風が吹き荒れている。
 たとえぱ「庇」――石太郎のうちは貧しく、着物はくさい。その上、彼は屁の名人である。にわとりがときを作るような音、とうふ屋、くまンばち、かにのあわ等、注文に応じて彼はさまざまの種類の屁を放つことができる。その屁の名人であるために、みんなは彼を屁えこき虫としてけいべつする。彼は新任の藤井先生の最初の授業中に、いつものくせを出して屁を放つ。以来、石太郎の屁のたびごとに藤井先生はむちで石太郎の頭をこずくのだが、ある日のこと、春吉君が思わず屁を出した。しかし、その罪を負わされたのは石太郎であり、春吉君はおおいになやんだという話。
 子どもを描くということは、いいかえれば子どもの成長の過程を描くということだ。人間は日々変化し、発展していくが、その成長の速度は子どもの場合、おとなにくらべてずっと急である。そして、その成長の過程は水が湯になって沸とうする例のように、ゆるやかに成長していく場合と、飛躍転換して視界がぱっと開ける場合と、ふたつの様相がある。「魔法」はゆるやかな成長のプロセスのなかの一事件を描いたものであり、「屁」は急激な変化である。
 つまり、この事件は「春吉君にはこんな経験は生れて初めてといってもよい」ものであり、「この世に於ける最初の自分で処理せねぱならぬ煩悶であった。」
 どのような煩悶であったかということをくわしくいえば、春吉君は「今まで修身の教科書の教えている正しいすぐれた人間であると、自分を思っていた。」ところが罪は石太郎にきせられた。「今自分が沈黙を守って、石太郎に濡れ衣をきせておくことは正しいことではない。自分は堂々と言うべきである。今からでもよい。さあ今から、そう口の中で言いながら、どうしても立ちあがる勇気が出ない。」そこで、春吉君は「自分の正しさというものに汚点がついたのが癪だった。丁度買ったばかりの白いシャツに汗状の飛沫をひっかけられたように」ということになる。
 この煩悶はおかあさんにぶちまけるにしても、「複雑さが春吉の表現を超えている。屁をひった話などしたらまっさきにお母さんは笑い出してしまうだろう、とても真面目に取ってくれぬだろう。」いやおうなしに、春吉自身の判断と解決が迫られるのであり、このような立場に立たされて彼の自我は形成されていく。
 もしも、春吉君が今日の、すぐれた教師に育てられる子どもなら、口では表現できないこのなやみを作文に書いただろう。いや、それ以前に、屁えこき虫の石太郎や、修身の手本みたいな春吉の存在がなくなってしまい、このような物語の展開はできないかもしれない。
 だが、子どもを屁えこき虫として、おおげさに鼻をハンケチで押え、むちで子どもの頭をこずくような教師、またそのような教師に追従するような子どもたちというような社会のなかでは、春吉君は孤立してものを考えるよりほかないのだ。
 そして、「時が、春吉君の煩悶を解決してくれた。十日もすると、もう殆んど忘れてしまった」ということになる。「忘れてしまった」ということは、春吉君がこの事件の解決を積極的にやらなかったということだ。春吉君は煩悶するだけで、その解決の方法を考えなかったのだから、「忘れてしまった」ことは、当然の帰結でもある。
 しかし、心のいたみは忘れたところで、こん跡はあとまで残る。春吉君はこの経験を通しておとなになった。彼は一歩前進した。「春吉君はそれから後、屁騒動が教室で起って、例の通り石太郎が叱られる時、決して以前のように簡単に、それが石太郎の庇であると信じはしなかった」となっていくばかりか、「誰の屁か解らない、そして、みんなが、石だ石だといっている時に、そっと辺りの者を見廻し、あいつかも知れない、こいつかも知れない」とみんなを疑い、そして思うのである。「大人達が世智辛い世の中で、表面は涼しい顔をしながら、汚いことを平気でして生きてゆくのは、この少年達が濡れ衣を物言わぬ石太郎に着せて知らん顔しているのと、何か似通っている。自分もその一人だと反省して自己嫌悪の情が湧く。だがそれは強くない。心の何処かで、こういう種類のことが、人の生きてゆくためには、肯定されるのだ」と。
 春吉君は成長したのである。この成長には、ふたつの種類の成長が重なりあっている。ひとつは庇騒動がおこった時、それまでのように単純に石太郎の屁と思わなくなった点である。今まで平面的に見えていた世界が、立体的に見えだしたのである。
 そして、この立体的な世界へ飛躍する契機となったのは、春吉君の個人的・生理的な実感である。春吉君は、いわゆる青白きインテリのたまごと見てよい。彼は、新任の藤井先生が「君、読みなさい」といった、その「君」ということぱを「何と都会風の言葉だろう」と喜び、石太郎を「不潔な野卑な非文化的な下劣なもの」と考える。春吉君が修身の教えどおりに、屁をひったのは石太郎ではなく、自分だと踏みきれなかったのは「羞恥心」のためであったが、その羞恥心は自分を非文化人とすることのはずかしさである。この非常に個人的な実感によって、修身は敗北した。また、春吉君の踏んぎりのつかなさは「勇気が出ない」ためであったが、勇気が出ないということも、実に個人的・生理的なものである。
 春吉君の自我はこのように生理的なもの、自分自身の弱さによって目ざめたのである。だが、あるいは疑いを持つ人があるかもしれない。春吉君の成長、あるいは自我の目ざめは自分が放屁したということを告白できない正義や真実へのうらぎりによって成立したのではないか。正義や真実を切りすてて成長ということがいえるだろうかと。
 ここで、私たちは春吉君が真実を語る場合の動機を考えよう。その場合彼はけっして真実が無視されるのにあわてたり、こまったりして語るのではない。彼は修身の手本として誇っていた自分に汚点がつくのがいやなために語るのだ。黙っていては、彼の選民的自覚が傷つけられるためにしゃべるのだ。つまり、自己満足のために語るにすぎないのだ。春吉君は正義や真実を切りすてたのではなく、彼にははじめから正義や真実はなかったのである。あるのは、修身が教えた形式的、平面的な正義、真実でしかなかった。
 春吉君の生理的資質により、修身のこの平面論理はどこかへふっ飛ぱされてしまう。今まて春吉君を支配していた体系がくずれてしまったのである。なせなら、それは実生活とはかかわりのない形式論理にすぎなかったからだ。かわりに、春吉君の前には生活の技術が現われてくる。自分では責任をとらない、他人に責任を転嫁するという技術である。これが、春吉君の成長の第二の部分である。
 この生活技術は自由とか平等とかいう近代の理念とは無縁のものである。封建時代、あるいはそれ以前から、庶民たちが自分ひとりの身を守るために体得していたものである。
 ぼくは、幼時、四国の農村で育ったが、たとえぱちゃんばらごっこをしていて、ついお宮の境内のつつじを踏み折る。すると、いっしょにわいわいやっていた連中が「うら(おれ)知らんぞう」といって逃げだしていく姿に悲哀を感したことがあった。その結果、正直者はそんをするという不合理にしばしば涙をのんだのだが、いま、ふりかえってみると、彼らのずるさには先祖以来いじめぬかれてきた者の自己防衛の姿勢があったと思う。悲しい生活の技術であった。
 春吉君はせっかく自分を支配する既成のシステムをふっとばしながら、自己による新しい生活のシステムを作ることができず、いわぱ、土俗的な古い生活技術のなかに埋没してしまったのである。生理的資質だけによった自我の発見のためであったろうか。修身が春吉君に教えた正義も、古い生活技術も、共に非人間的てある点はかわりない。自分ひとりでものを考える世界では、自我はこのように芽ぱえながら伸び悩んだ。
 だが、同じ非人間的なものではあっても、ぼくは修身の天くだり的なものよりは、このずるい生活技術のほうに将来の発展があると思う。私たちが日本の庶民であるかぎり、この生活技術およびそれをささえる考え方は、よかれあしかれ私たちのものである。一挨の集団がからかさ連判をして、だれが一挨の主謀者かわからなくしてしまうやり方と、この生活技術は異質のものであろうか。からかさ連判へ発展・飛躍できる要素を、この生活技術は持っているのではなかろうか。
 春吉君は十九世紀西欧の児童像とは、まったく異質の存在である。彼には自分への信頼もなければ、きわだった個性としての描かれ方もない。かわりに「君」ということぱに文化を感じる末しょう的近代と、それにつながる個人の弱さ――生理的資質および、古い生活技術を肯定しながら自己けんおを感じる弱さ――があり、最後には前近代的な生活技術のなかに自己を埋没させてしまう。
 彼と比較して、ピーター・パン、トム・ソーヤー、ハイジなどを思いうかべてみよう。彼らはのびのびとした感受性を持ち、はつらつとして動き、その未来は約束されている。彼らは保護され、愛される市民の子どもたちなのだ。だが、春吉君は、ひねて、こすっからいおとなと子どもたちのなかに生きている。また、善太三平は自然の申し子だが、春吉君はいやらしさをそなえた小さいおとなである。子どものうちにあるいやらしさをいやらしさとして取り出していくこの方法は、十九世紀、または童心主義とは無縁の児童像形成の方法である。
 そして、その生理的資質の弱さによる自我の発見は、その到達点である古い生活技術のずるさがやがて新しいものに発展していく可能性を暗示しているともいえよう。弱さを踏み台にして跳躍することができるのだ。生活つづり方が日本的特殊性のなかで、その特殊性を踏み台にして西欧的近代を経ずに現代に至ろうとしていることを考えあわせよう。
 この作品は形象力弱く傑出した作品ではないが、春吉君という児童像はこのように豊かな問題を提供してくれる。そして、子どもを見たまえ。今日もまだなお春吉君的存在は多いのだ。

 4

 春吉君の到達した生活の技術は、近代とは無縁の、日本の社会に密着した技術であった。これをかりに土俗的な技術と名づけれぱ、「次郎物語」の次郎も土俗性の持ち主である。次郎は校番(学校の小使い兼番人)のお浜に育てられ、小学校へ行く前年、自分の家にひきとられる。家には兄と弟がおり、おばあさんはそのふたりをかわいがり、母親も次郎につらくあたる。次郎は元来内気なところがある。
 ある日のこと、村から離れた町で役人をやっている父親が帰ってくる。次郎は、家族のなかで父親がいちぱん親しみやすいのだが、父が帰ったときくと、妙に気おくれがして玄関に出て行けない。彼はひとりこっそり庭の植え込みにはいりこんでしまう。母が声をかけた。「次郎、また一人でそんな所にいるのかい。ほんとに、どうしたっていうんだね。早くこちらに来て、お父さんにご挨拶をするんですよ。」その母のことばは、彼がすなおに出て行くには、少し弱すぎた。彼は背を向けて出て行かない。でも、やがて父に呼ばれて座敷にあがる。次郎は、父のさらにたまごやきが残っているのを見た。祖母はときどき次郎をのけものにして、他のふたりの兄弟にたまごやきを作ってやっている。次郎は、母と兄弟が出ていったすきに、父のたまごやきを口のなかにほうりこむ。
 しばらくして母親が気がついた。「お前は、お前は、……こないだもあれほど言って聞かしておいたのに……。」次郎は白状しない。目をすえてまともに母を見かえした。以後、彼は「露見の恐れがないという自信さえつけば、しゃあしゃあと嘘もつき、思い切っていたずらもやる」ようになる。時としては、母や祖母の前で、ことさら殊勝なことを言ったり、したりしてみせる。「彼らを油断させる何かの足しにはなると思った」からである。
 「レ・ミゼラブル」の少年ガヴローシュも生活のちえを働かした。次郎のちえはそれにくらべて、弱者のちえである。この弱者のちえを私たちはたいせつにしよう。うそとかずるさとか、こうしたものをけいべつしてはならぬ。人は、ときにはうそをつかねばならず、ずるく立ちまわらなければならないのだ。
 しかし、次郎は常にずるいのではない。彼は敵に対しては、かなわないとわかっていながら立ち向かうことがある。彼はふたつ年上の喜太郎とけんかする。次郎と、お浜のむすめお鶴が校番室でにぎり飯を食っていると、喜太郎が窓からのぞいて、「おれにも一つくれ」と、手をつきだす。次郎はわたさない。喜太郎は土くれをへやのなかになげこみ、にぎり飯はどろだらけになる、次郎は立ちあがり、窓からとびおりると、喜太郎にむしゃぶりつく。
 喜太郎はさかなや兼料理屋の子どもで、背が高く腕力がある。次郎はたちまち地べたにおさえつけられ、彼のひざがしらで胸をしめつけられる。すると次郎はそのひざがしらにかみついて、そこの肉をくいちぎった。けんかはしないほうがいいとか、話しあいでかたづけるべきだという考え方はやめよう。あらゆる場合に「話しあい」という考え方を適用することはできない。次郎はその時、お鶴といっしょにいた。子どもとはいえ、女性との楽しい食事である。そのたべものに土をかけられた。喜太郎が話のわかるあいてであるにしろないにしろ、次郎はとびかかっていっただろう。感情にまかせすぎるということになるかもしれない。しかし、子どもは、前にもいったように「自然」に近い。自分の幸福をみだす者へのいかりが、口よりもからだの動きとなって出てくるのは当然だ。とびかかっていくことはその感情の表現であり、あいてとぶつかりあうという表現を通して、その感情はいっそう深く心に刻みつけられる。
 しかし、この感情がどのような感情なのか、それをはっきりさせ、次郎に方向を示す父は、このけんかを「正しい勇気」「自分より強い無法者に対して」の「命がけでやった反抗」としか考えない。正しいということの内容――お鶴とふたりの幸福に土をかけたことへのいかりを認め育ててやることよりも、次郎が行動したという現象のほうに重点を置く。「正しいと思ったら、どんな強い者にも負けるな」という訓戒を父は次郎に与えるが、「正しい」ということのなかみは説かないのである。この作品の最大の欠点は、このように行動の源泉となる人間性よりも、行動そのものを重くみるところにあり、作品全体として右翼的色彩が感じられるのである。
 この作品のなかで、次郎も右翼的少年として成長していく。次郎の成長の根本清神は士族主義とでもいおうか、父は「正しいと思ったら、どんな強い者にも負けるな」ということばに続いて、「しかし犬みたいに噛みつくのはもうこれからはよせ」といっている。
 だが、弱者が強者に勝つ方法は、いわぱ正当な方法では望めないのである。次郎はかつて母親のすきをねらって、たまごやきを取った。強敵に組み敷かれながら、彼はすきをねらう。
 ぼくは一寸法師の話を思いだすのである。一寸法師は、その小さいからだで針の刀をふりかざし、鬼に向かったとたん、ぱくりと口のなかにほうりこまれる。だが、一寸法師はそれであきらめたりしないのだ。彼が鬼の腹のなかで刀をふりまわすのと、次郎が喜太郎のひざにかみつくのとは、どこまでも敵に立ち向かう精神と、弱者の方法という二点で、根底に共通したものがあるのではなかろうか。この点、次郎は、かつて一寸法師に描かれた人間の行動の原型を再現している。次郎が少年たちの共感を博する原因は、その心理のこまやかな描き方と共に、人間行動の原型が彼に現われているからだと思う。
 次郎が一寸法師とちがうのは、死なぽもろともというような気持が強い点である。彼は、その後、また橋の上でふたりの年長者とけんかするが、その時、彼はふたりの着物のすそをつかんで、わざと川に落ちていく。源平の戦いで、平知盛が源氏の武者ふたりをこわきにかかえて入水するのと、同様である。次郎を特徴づける行動性は、父に教えられ、父の血を受けついだ武士の精神、葉がくれ精神とでもいうようなものの現われなのだ。彼は常に皮を切らして肉を切り、肉を切らして骨を切るというやり方で人生に立ち向かっていくのだ。
 春吉君とはちがって同じ弱者ではあっても、次郎は勇猛果敢であり、積極的である。そして、この勇気、行動性、その方法は、やはり近代とは無縁の葉がくれ精神――武士的土俗性に基礎を置いている。その土俗性がやはり現代への豊かな芽ばえであることも、私たちはみとめることができる。しかし、次郎のように右翼的に傾斜してしまっては、どうにもならない。
 一寸法師は自分の可能性を信じていた。彼は十九世紀の楽天性とはちがって、楽天的であった。次郎の土俗性は、この一寸法師的なものにまで高められなけれぱならないだろう。そのためには、いったいどうすればよいのか。あるいは、春吉君の土俗性をからかさ連判にまで高めるには、どうすればよいのか。この問題は、また浮浪児ガヴローシュが持っていたエネルギーをどう組繊づけていくかということにもなる。ガヴローシュは、パリを自然と見た。しかし、パリは社会である。その社会からはじき出されたガヴローシュが革命に参加して、バリケードのなかにはいった時、彼ははじめて社会のなかにはいり、周囲を社会として見る立場が芽ばえたといえよう。が、彼はついに社会のなかにとけこまない。彼はさいごまで大地の子であった。ガヴローシュのエネルギーを社会的なものに高めるためには、どうすれぱいいのか。

新しい児童像の追求は、ここから始まる。ここから向こうの問題は、作家たちだけの問題ではない。最初にいったように、教師も父母も、子どもたちが「りっぱに育つ」ことを望んでいる。その立場から、私たちは一歩後退して、子どもがどういう人間であるかを考えてきた。そして、子どもたちはそれぞれガヴローシュであり、春吉君であり、次郎であることを知った。ここで、私たちはもとの立場に前進すべきである。子どもの本質はここまで探究された。それを高めるためにはどうすれぱよいかという問題に、私たちはぶつかったのである。
 そして、児童文学作品の数は多く、一般文学のなかでももっと多く子どもは描かれている。また文学の読みとり方は各人各様である。ひとつの作品を読むたびに、他人の意見をきくたびに、私たちはさまざまな子どもの姿にふれていく。私たちは常に子どもはどういう人間であるかを考え、「りっぱに育つ」方法を考えるということになる。文学はそれを考えるためのひとつの手段でしかないが、重要な手段である。文学のなかで子どもの本質をつかむという、常にくりかえされる作業のために、今まで述べてきたことを整理しておこう。
 一、子どもをよりよく育てるためには、子どもという人間の本質を知ることが必要である。子どもを上から見おろすのではなく、同じ人間に対する関心を持とう。そのためには、一般小説を読むのと同じ関心で児童文学を読んでもらいたい。
 二、すぐれた作家たちは子どもという人間に肉迫し、その本質を具体的に私たちにしらせてくれた。ガヴローシュおよび善太三平にある自然と子どもの関係、ジム・ホーキンズの個人への信頼、春吉君や次郎にある日本的土俗性――これらはそれぞれに、ここのところまで子どもは発見され、探究されたということを示している。
 三、この文章のなかであげた児童像はそれぞれちがうタイプの児童像である。ひとつは、善太三平のように子どもらしさに照明をあてているもの、第二にはジム・ホーキンズのように人間行動の原型を現わすもの、三番めには春吉君のように小さいおとなを描くものである。次郎はその三つの、ミックスである。
 四、新しい児童像の追求は私たちみんなの問題である。なおつけ加えれぱ、児童像、子どもという人間への追求は文学でだけ行なわれるのではない。子どもの作文には子どもの意識しない新しい芽ばえがあり、すぐれた教師の実践記録にはかならずいきいきとした児童像が現われている。
(原題・子ども―その人間性としての存在―・「新しい児童像と教育」所収・一九五八・十月)
テキストファイル化富田真珠子