子どもへの関心・異質の児童文学
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一九五七年の正月、東映時代劇映画「七つの誓い」を見ようとして出かけたぼくは、映画館をとりまく子どもの行列にぶつかって断念した。通りのかどにある映画館の入り口の前から始まり、次の通りのかどをまがっても、なお続く子どもの行列である。ぼくは異様な感じを受けた。
ぼくは、この灰色の空の下の灰色の行列に圧倒されてしまった。この行列は、なんとも言い現しにくい、すさまじいふんい気を持っていたのである。ひと口にいえば、噴出する子どものエネルギーとでもいおうか。
だが、このエネルギーは、ぼくたちが伸びていく子どもの生命の発散として受け取っているものとはちがう。たとえば、ぼくの間借り先にいる中学一年生は、ある日セメントを買ってきた。彼は物置から竹の棒を探しだし、その両端にセメントをまるめてくっつけた。できあがったものは代用バーベルである。ここにもエネルギーのひとつの型があるわけだが、「七つの誓い」の行列のエネルギーは、より強力で、暗い。
「七つの誓い」は、いうまでもなく、新諸国物語・北村寿夫原作・中村錦之助・東千代之介主演の映画である。おそらく、俗悪として攻撃されるもののうちにはいるだろう。そのきらびやかなふん装、どぎつい表情は、「ご家族づれ」の宣伝とは逆に、子どもの感覚をマヒさせるものを持っているからだ。
児童文学も、あるいは「子どもを守る」運動の一環として、その批判・是正に一役買ったかもしれない。だが、錦之助にあこがれ、そこにすさまじいエネルギーを発散させる子どもの姿を、だれがとらえたろうか。作家だけではない。評論かも含めてだ。ぼく自身も含めてだ。
だが、だれもとらえはしないと答える前に、くわしい検証が必要なことはいうまでもない。それに近いものとして、ぼくは佐藤義美のいくつかの作品を思い浮かべた。「ひゃくまんにんのゆきにんぎょう」、それから「日本児童文学」一九五六年三月号の「紙ねん土」。「七つの誓い」の行列は、ある意味で、子どもの、おとなに対する復しゅうだ。「紙ねん土」は作られてはすてられていくてるてるぼうずのこどもへの復しゅうである。「七つの誓い」の子どもたちも、やがては、世の中の雨にうたれ、とけてくずれて、「紙ねん土」のかたまりになるかもしれない。力のない、てるてるぼうずたちの行列が、この作品では、恐怖というようなことばでは言い現せないおそろしさを持って登場する。ぼくが感じた「七つの誓い」の行列の持つエネルギーは、それなのではなかろうか。
だが、ぼくは、行列する「子ども」をとらえたかという問いから出発した。「紙ねん土」は行列のふんい気はとらえた。しかし、「子ども」そのものはとらえていない。機械に復しゅうされる人間、あるいは、もっと奥深い原罪とさえ結びつく象徴だ。「紙ねん土」がとらえたものは、人間一般である。
そして、また、おとなであるぼくたちは、その人間一般の中に子どもを発見しても、こども自身はどうだろうか。おそらく「紙ねん土」を読んだ彼らの意識の深層には深い感銘がよびおこされるであろう。だが、感銘はあっても、それを自分自身のこととして理解できるかどうか。
文学は、感覚だけで読むものではない。意識の深層から、その表層に至るもののすべて、読者の全体験、全知識に訴えるものである。「おもしろい」ということは、作品のとらえた深さにもよるが、同時に、読者の全体験、全知識をゆり動かすところが、「おもしろい」と感じられるものと思う。「紙ねん土」は「あるいたゆきだるま」「ひゃくまんにんのゆきにんぎょう」の作者のものとしてはマンネリズムだが、成人文学として見た時、毎月の文芸雑誌に現れるガラクタ小説は、この作品の足元にも及ばない。
しかし、かえって、子どもの全経験、全知識もゆすぶり動かすものとはちがう。ここでは逆に、元来が、おとなのものである「次郎物語」や、翻訳ではあるが「高玉宝」「蝦球物語」のほうが、子どもに強く働きかけるのではなかろうか。
2
「紙ねん土」は、子どもの心の奥深く沈潜して、彼らがおとなになった時、ああそうかと思いおこす作品ではある。一九五六年の新人賞を受けた今西裕行の「一つの花」もそうである。戦争を知らない子どもたちには、この作品は理解できない。だが、その印象は、けっして弱いものではなかろう。
しかし、ぼくが、もし創作を書くとするならば、ぼくは「一つの花」のように将来に生きる作品を書こうとは思わない。今日に生き、つまり今日、こどもの全体験、全知識をゆすぶり、そして将来にも生きる作品を、ぼくは求めている。未明、広介から、与田準一、佐藤義美、今西裕行に至るメルヘンは、ぼくにとっては未分化の児童文学である。おとなと子どもに共通の児童性に訴える作品ではなく子どもにだけ訴える作品を望むわけだ。ということは、なにも成人文学との断絶を主張しているのではない。こどもの成長の各段階にふさわしい文学を望むことである。子どもに理解あるおとなは、それによって子どもという存在を深く知る。児童文学は、こどもにこども自身をしらせ、おとなに子どもをしらせるというふたつの役割を持っていると思う。
つまり、ぼくにとって児童文学とは、こどもの立場からこどもという人間はなんであるかを追求する文学である。人間は、自ら知っているものに興味を持つというのが、リアリズムの根本原則ではなかろうか。もちろん、これは、児童文学の主流の行くえであり、「一つの花」の価値を認めないということではない。
児童文学の大道を、子どもの追求と考える時、当然、ぼくたちは、性格を持ったこどもの造型という問題にぶつかる。人間の好奇心はありのままリアリズムでは満足しない。既知のものを深くさぐりあてることは、同時に未知への欲求を満足させるものだと思う。今ある子どもを描くのではなくありうべき子どもを描くために造型が必要となってくるのだ。そして、さまざまな人間存在の中で、こどもという特殊を追求するという論理は、多くの子どもの中の特殊、あるひとりの子どもの追求というところに、自然に進んでくる。
こうした立場に立つ時、ひとつの現象は非常に重大な意味を持ってくる。「七つの誓い」に行列する子どもをゆすぶろうとすれば、「七つの誓い」に行列しているという状況の中で、子どもをとらえなければならぬ。錦之助に行列するという、特殊な状況のなかでとらえられてこそ、子どもは自分が描かれていることを理解するのだ。そして描かれた自分自身を通して、錦之助への行列ということの意味も理解することができるだろう。これでこそ、文学は社会批評であり、文明批評となりうると思う。ぼくたちには、現象の造型―ひとつの事象もありのままリアリズムでは文学にならないことはいうまでもない―が必要なのだ。ここでいう現象は、子どもと、子どもをとりまく状況のことである。
このように児童文学のあり方を想定するのは無意味なことだろうか。また、このようなあり方の想定は、主観的にすぎるものだろうか。
ぼくはそうとは思わない。作品成立の契機となるものはモティーフだとすれば、児童文学の現在の停滞の原因のひとつは、作家がモティーフを失ったということにある。これは生活に疲れた児童文学者が、感動し、けんおし、好奇心を燃やすという主体を失ってしまったということになるのだろうか。あるいは、数人の作家はそうかもしれない。だが、数人の有能な作家も書かないのはなぜなのだろうか。また書かれたものが、どうしても食い足りないのは、なぜなのか。この原因のひとつは児童文学のあり方が姿をくらましてしまったことだと思う。
モティーフは具体的なものだ。おとなむきに書いてもいい。子どもむきに書いてもいいというような抽象的なものではない。ひとつの衝動はモティーフになるものとならないものがある。ひとつの衝動があり、それが作家の心のなかで燃焼し続け、どうしても、外へ出なければならないまでに成長する。この過程を含むものがモティーフだろう。最初に受けた衝動は、すでに形のあるものであり、その形は、内容とともに成長していく。児童文学のあり方は、この成長過程に関与するものと思う。自らいだく児童文学の理念は、この成長を規制し、また規制されていくものだから。
さらに、また、最初に受ける衝撃の形も、あり方によって規制される。子どもを描こうとする場合と、そうでない場合がまったくちがうのは明白だ。つまり、衝動は、単に受動的なものではなく、求め、模索する心と外界とがぶっつかって生まれるものだからだ。
こうしてみれば、モティーフの成長過程に関与する「あり方」は、もっと具体的なものでなければならないが、最初の衝動に関与するものとして、子どもを追求するという「あり方」は意味があるものと思う。
すくなくとも、個別的な特殊な現象のなかの子どもを描いたものは、今までの児童文学にはほとんどないし、したがってそれを切り開くことは児童文学に新しい領域を加えることだからである。
次には、近代児童文学は児童性の発見から生まれたという。児童性の発見は、そういう児童性をそなえた児童そのものの発見に転換していくのだ。未明はおとなのうちに児童性を発見した。千葉省三、坪田譲治はまがりなりにも児童を発見した。こうした、歴史の展開の上に、こどもを追求するというしごとは乗っていると思う。
3
だが、子どもを造型するという児童文学の出発点はどこにあるのだろうか。これは、まず子どもへの関心だと思う。そんなものは児童文学であるかぎり、持っているはずだという答えもあるだろう。
では、それでは―――。
たとえば、いまはやりのホッピングについて、児童心理学者や小児科医が発言した。しかし、ぼくの知っている範囲では、同人誌も含めて、ホッピングに対する児童文学者の発言はない。およそ、社会に流行する現象については、常に文学者もその見解を述べるのが現在の常識である。そぼくに考えれば、児童文学者は子どもの専門家である。ホッピングについて意見を述べないのは不自然だ。
例が悪いかもしれない。たとえば、砂川。砂川の子どもたちについて、なぜ児童文学者は意見を述べないのか。第一次の砂川事件であったか、某新聞は子どもの決死のはちまきして民族独立行動隊の歌を歌っていると述べていた。なんというしらじらしさ。ぼくたちは子どもに対する、こうした皮相な観察を打ち砕こうとしただろうか。
自分の反省もこめていえば、児童文学者の多くは子どもへの関心の寄せ方が浅いのだ。ぼくは、さきに「評論家も含めて子どもをとらえていないのではなかろうか」といったが、児童文学評論の対象は、単に文学だけではないはずだ。扱うべき対象のひとつが子どもであることを評論家は忘れているように思う。
ところで、子どもへの関心というこの角度で未明の作品を見れば、「赤いろうそくと人魚」に「野ばら」に、ぼくたちは子どもという人間をどこまで追及したかといういうことを発見できようか。答えは、ゼロに近いだろう。人はいうかもしれない。未明は、自ら子どもの代弁者といった。未明はこどもを弱き者として認識し、それに代わってものをいう関心をもっていたと。また、未明は永遠の童心といったではないかと。
なるほど、未明は、評論で、随想で、そういったかもしれない。しかし、作品のどこに永遠の童心があるのだろうか。そして、弱い者といえば、未明にとって、おとなのこじきと子どもは同列だ。子どもへの関心といえないことはない。しかし、こじきとはちがう子どもそのものへの関心は存在しないのではなかろうか。子どもへの関心の発端ではあっても、関心そのものではない。
広介、賢治、彼らについても同様だ。譲治、これはちがう。彼はたしかに子どもに深い関心を示している。その関心のなかみは複雑だが、坪田さん自身は「児童文学は子どもへの愛情に根ざす文学だ」という意味のことをしばしば述べる。そして、今日、児童文学の源泉は子どもへの愛によるように錯覚されている。たとえば、関英雄は、アンデルセンは子どもに熱い涙を注いだという。だがアンデルセン自伝には、子どもへの愛などかけらも出てこない。自分の幸運と天才のことだけしか、アンデルセンは語らないのだ。
中村新太郎がいったことがある。今の児童文学の突破口は、親が自分の子を愛するような気持ちから出発するよりほかないと。ぼくは、逆に考えることがある。子どもを、心の底から憎み、きらう作家が現れた時、児童文学は一大発展をとげるのではなかろうかと。
横道にそれた。もとに返せば、戦後児童文学のなかにぼくたちはたとえば善太三平ということばで浮かびあがる子どもの姿を発見することができるだろうか。「三太」も、「ノンちゃん」も「おしくらまんじゅう」の秋夫も明確な個性ではない。
もちろん、注意すれば、このほかにも、子どもを描くことの芽ばえがないわけではない。川崎大治、新美南吉、あるいは関秀雄、そして佐藤義美の幼年童話のなかにもある。「あかつきの子ら」の価値は、ぼくにとってその積極的なテーマではなく、少女小説としてしか出てこなかった感傷、孤独の子どもを、断片的にでも、文学にまで、高めたことにある。「赤毛のポチ」の新しさというのは、おぼろげながら主人公カツ子の姿が浮かんでくることではなかろうか。
だが、やはり、どちらかといえば、子どもを書くことは、日本の児童文学ではつぎ木に等しい。童話イコール児童文学の伝統が強すぎる。いわゆる生活童話の多くが、子どもの内面にどこまで迫っていたかということもまったく疑問である。 (日本児童文学・一九五七・二月)
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必要なのは、従来のものとは異質の児童文学である。
しかし、児童文学の発展とか、新しい児童文学とかいわないで、異質と、誇張したいい方をしなければならないのは、なぜなのか。
これは、日本の近代児童文学が、それなりの達成にもかかわらず、子どもにむかえられないためである。どのように文学教育をしてやろうと、おもしろくないものは、やはりおもしろくない。さきにいった、子どものものになりきっていない弱さをふっきっていないのだ。児童文学の場合、これは決定的な弱さである。今までの児童文学とは、この点で次元の違う児童文学が必要なのだ。そして、今の子どもをつかもとすれば、今までのようなゆるやかな発展ではなく、飛躍した方法が必要になってくる。
たとえば、冬の日の夕暮れ、タクシーの行きかう道路の上にべたりとすわりこんでメンコをやっている子どもの不屈なつらだましい、生命保険はいくら掛けてあるか、とうさんが死んだ時にこまるからなあと、母にたずねる子ども、あるいは集団となって教師のいうことをきかず、古い防空ごうのなかに逃げ込んで夜の九時まで出てこなかったという子どもたち――こうした子どもの心を、しっかりつかむ児童文学は、未明、広介的方法では、もうどうにもならないのだ。
子どもの反響をにしきのみ旗として、今の児童文学はだめだというのではない。躍動する子どもの姿は、旧来の方法では、するりと指のあいだから抜け落ちるということだ。
では、どのような異質のものを望むのか。ここに外国児童文学を模範とせよという言い方が出てくる。その人びとの主張の方向は、一九五七七年の毎日出版文学賞をうけた、いねい・とみこの「ながいながいペンギンの話」に代表されると見てよかろう。
ルルとキキは、ペンギンのふたごのきょうだいである。生まれる時から、きょうだいは性格がちがっている。たまごのなかで、ルルはいう。「たまごのそとは、さむいなあ。それでもぼくは、出ていかなくちゃなあ。」一方、キキは、「出ておいでよ、そとは、ひろいんだよ」と、兄に呼びかけられても「いやだよ、そとはさむすぎるよ」という弱虫だ。
明確な性格の対比、そして大かもめに追いかけられ、人間に拾いあげられるというルルの冒険、人間について議論していたため、ルルがそのあいだにいなくなり、結局、大挙して人間の船におしかけるペンギンの群れという場面の転換――ひとくちにいえば、ストーリィ性と、やんちゃぼうずの明るさと、その成長過程という点に、旧来の児童文学とは、ちがったものがある。そして「それでも、ぼくは出かけていかなくちゃあ」という、外国風な文章に、その明るさが満ちあふれている。
ぼくも外国児童文学――ことに英米児童文学はたしかにすぐれていると思い、また「ながいながいペンギンの話」の意欲的な試みと、そのできばえに敬意を表するのだが、それにしても、やはり物足りない。その物足りなさは、この作品についてよくいわれるまだ作者自身のものになっていないというような言い方や、もっと形象化がほしいという物足りなさではない。ぼくは、人の家の葬式をのぞきこんで「てへっ。なみだだなあ」というような子どもとくらべて、「それでも、ぼくは出かけていかなくちゃあ」は、距離がひらきすぎていると思う。ペンギンにもやはり、ぼくは、豊富な子どもの生活が、指の間をすり落ちていくもどかしさを感じるのだ。
ここで、ぼくたちはいわゆる通俗物にもっと目を向けるべきであろう。佐藤紅緑の「ああ玉杯に花うけて」「英雄行進曲」、吉川英治、大仏次郎、山中峯太郎など、これら大衆物の古典をぼくが愛するのは、いわゆる児童文学からすり落ち、ペンギンからもすり落ちた、ある種の真実、現実のためである。こうした作品は、常に波乱万丈の物語だが、波乱万丈ということそれ自体が、ひとつの現実なのだ。日常性にかくされた子どもの可能性を、あるいはそれが露呈する断面――西部劇ごっこで腰のピストルに手をかける瞬間――をつなぎあわせていく場合、壮大な波乱万丈の物語が展開する。
たとえば、「天兵童子」。
「ああ、だめだめ千尋……」
「どうして?おとっさん」
「だって、もう死んでるもの。――この人間は」
「えっ、死んでるの」
「いく日、潮びたしになってきたやら。はだも顔も、死んだ魚みてえに、冷たくなってら」
「……まあ」
いかだにくさりでしばりつけられ、数十里の海上を流されてきた天兵を、銅八と千尋が発見する場面である。こうした場面の設定が、いわゆる児童文学に存在しないことはいうまでもない。だが、もし子どもの頭のなかをのぞくことができたら――松葉にすがりついて川を流れるありを見て、子どもは、いったいどう思うのであろうか。
そして、こうした場面はペンギンにも存在しない。ペンギンは成長の物語であり、それには、時間が要求される。だが、「天兵童子」は成長するかに見えて、実は、彼の時間は一瞬なのだ。もちろん「天兵童子」が、その一瞬を確実にとらえたというのではない。そのとらえ方は、まだまだ幼稚である。
「次郎物語」にある子どもの追求を通俗物の持つ一瞬のなかでとらえるのが、児童文学のひとつの理想像ということになろうか。
くりかえせば、先日、朝日新聞「声」に次のような投書があった。
「自殺した中学生の話。文化祭でピアノをひいていた女生徒への淡い慕わしさから、そのピアノをたたえた手紙を机の中に入れておいたところ『級長のラブ・レター』として、級友たちに騒がれ、そのうえ若い先生から、満座のなかでしからえれたあげく、その三行たらずの手紙を読みあげさせられたというのです。恥ずかしさと悔みにたえきれなかった少年は、その若い命を自らの手で絶ってしまいました。」
たとえば、こうしたことを書く児童文学が少なすぎるということだ。もちろん、ないことはない。「夜あけ朝あけ」はそうであった。猪野省三の「秘密のサイクリング」もそのなかにはいるかもしれぬ。それにしても、日本に米人がやってきてから十二年。米人少年、そして大きくなった混血児を書いた作品が存在しないのは、なぜなのか。
さらには「夜あけ朝あけ」や猪野省三がどこまで子どもをとらえたのか。巨大な社会機構のなかでおしつぶされ、あるいははねかえしていく子どもをとらえるにふさわしい構想と文体は、ほとんどくふうされなかったのではなかろうか。(新日本文学・一九五八・二月)
テキストファイル化鍋田真理