状況と課題
A 今日的課題をめぐって=児童文学時評'59
児童文学及び児童文学者の変質
かつて平塚武二は水たまりになっていると言ったが、今、児童文学の世界はうずを巻いている、とぼくは感じている。ぼくの知っているかぎり、児童文学の世界で、この数ヶ月間ほど、新しい問題が次から次へと出てきたことはなかった。
『文学』三月号の左野美津男の『子どものエネルギー』の主張、『思想の科学』三月号の佐藤忠男の少年倶楽部、島越信の小川未明否定・千葉省三再評価(『新選日本児童文学・大正編』)マスコミ論議と作家主体、また児童文学者協会総会をめぐって坪田譲治が若い世代にむかって公開状を書くなど。
あるいは児童文学初めてのアヴァンギャルドを標榜した同人誌ができたり、全国の同人誌・学生を中心に全国児童文学研究集会の計画が着々と進行していたりする。
また次のような問題もある。
それはこれまでの新人賞は専門児童文学者を志す人たちに与えられたが、ことしは二人の主婦を含む児童文学のいわば「しろうと」に与えられたということだ。多くの「しろうと」(主婦も含めて)が進出してくるということはもともと大いに歓迎すべきことなのだが、専門作家がもっぱら再話ものにかかりきりで、創作はしろうとに占められてしまうということになると「作家とは一体なんだ」という基本的な問題がむしかえされてくることになる。(『毎日新聞』四月七日)
佐野、佐藤、また彼らとは異なる次元でだが、島越、また「まだ掘りあてない鉱脈」という石井桃子の発言(『毎日新聞』五月七日)は児童文学の変質についての意見である。毎日新聞は児童文学者の変質について述べていると、見ることができる。
児童文学会の今のうず巻は、この児童文学と児童文学者の変質をめぐってのうず巻であり、これには三つの力が働いていると見ることができよう。ひとつは児童文学研究、創作方法の探求などから生まれてきたものであり、ひとつはいわゆる児童文学人口の増加、三つめはテレビのチャンネル増加、少年週刊誌の発刊である。
児童文学の変質は当然児童文学者の変質に結びついており、その点、ぼくは、五月六日NHK第二放送の「マスコミ時代の児童文化」で前川康男が「児童文学はマスコミの上で不遇でも、北は北海道から南は九州まで児童文学の創作をやる人々が増えてきていることで、希望をもっている」と語ったことに、賛成できない。
現在、量の増加と質の変化はかならずしもともなっていないのであり、いわゆる児童文学人口の増加は、たとえば洋裁人口の増加に似ている面がある。日本での童話という形式はおとなの自己満足につごうよくできており、そのコツをのみこめば簡単にできあがる。だから、以前は『婦人朝日』今は『主婦と生活』が童話募集をやっているのであり、この募集は短歌俳句の募集と本質的にはかわりない。賞金も小説募集とは比較にならないのである。
もちろん、しろうとはある時くろうとに転化し、またその一作だけは非常にすぐれているという場合もあり、ことに児童文学の場合、子どもに話してきかせる場から傑作が生まれたことも多いし、根本的にはだれが何を書こうが、それはかまわないのだから、こうした児童文学人口のひろがり方にぼくはケチをつける気はない。
それどころか、児童文学者協会はこの傾向に拍車を加えて、生花に匹敵するくらい童話をひろめたらいいと思っているのだが、しかしそれは児童文学の本質的発展とはあまり関係はないだろう。
なぜなら多くの人は在来の童話のまねごとのようなものを書くだろうし、もし一作二作いいものが出たとしても、子どもに必要なのは数編の名作ではなく、毎週毎月読みすてられていくものの堆積なのだ。
だから、中堅作家の多くが再話、読み物をアルバイト視して創作こそが自分のしごと、そして生活に追われて創作がかけないという、こういう児童文学者の意識は変わらなければならぬ。児童文学の不振というものは数編の創作が出たか出ないかだけのことではなく、現在、児童文学者が持っている場で、その人がどれだけの力量を発揮したかということにある。
しかし、なにしろ創作、あるいは創作的なものがしごとの中心にならないのでは、児童文学を選んだかいがないのだから、ここでも児童文学の本質的発展は考えられない。
本質的発展は佐野・佐藤の線の上にあるのではなかろうか。両者に共通している児童文学のあるべき姿は、エネルギーと行動力に満ちている。そして、佐藤の「日本の児童文学の主流は『少年倶楽部』にあった」ということばに、ぼくは児童文学の変質をまざまざと見せつけられた感じがする。彼はここで『神州天馬侠』や『敵中横断三百里』を簡単に「文学」の範疇にほうりこんでいるのだ。
この考え方にぼくはかならずしも賛成することはできない。かつてぼくは『天兵童子』をひきあいに出して新しい児童文学の可能性がここにもあると言い、木島始に通俗臭教訓臭で胸がつまると言われたことがあるが、『天兵童子』はぼくにとって可能性にとどまり、文学あるいは芸術のなかにははいってこない。
ぼくは迷っているわけだが、にもかかわらず佐藤に魅力を感じるのは、この非芸術のなかでまさに子どもを発見しているからだ。どろくさい力に満ち(したがって文学になり得なかった)、一対一でおとなにわたりあう子ども――このどろどろしたエネルギー、願望は民衆のエネルギー、願望に似ており、しかも佐藤の示す子どもの姿は日本の子どもの姿である。
児童文学の変質が、この日本の子どものエネルギーの上にとげられなければならないという点で、ぼくは佐藤を支持したい。この佐藤的な考え方の上に立って、今日の方法を追求しているのが佐野のいう「非日常的なアクチュアリティの記録」であろう。佐藤はいう。「現在の自分の能力ではとてもその全貌をつかむことの不可能なこの世界。その前に直面させられ、それを組み伏せようとして、この年代の子どもは強く観念的なものを求める。自分がこれから組みこまれていくところの世界を把握するに足る明確な手ごたえのあるイメージを熱心に模索する。」
一方、佐野は国電渋谷駅のホームと電車の間隔は非常に広く、これは子どもにとっては深淵だろうと考え、子どもがこの深淵をまたぎわたる瞬間、つまりエネルギーの最高揚期をとらえたいという。二人はまったく共通の底辺を持っているのである。現代大衆児童文学の創造とでもいうこの方向を、ぼくは歓迎する。
通俗児童文学の底に
講談社から久しぶりに長編小説が出た。花岡大学の『緑のランプ』。その帯に滑川道夫が「とくべつな新領域を開拓したというものではないが、児童文学再興の意欲をひめた試作的労作をよろこびたいと思う」と書いている。この「児童文学再興」ということばはおもしろい。児童文学は常に不振、停滞といわれてきた。そこで再興ということばが出てくる。しかし、お家再興という時代小説のことばから考えれば、再興に対しているのは滅亡という状況である。不振とかなんとかいうのではなく、現在、児童文学は滅亡している、無きに等しいというほうが、ずっとほんとうなのだ。
こんど塚原健二郎が『風と花の輪』というやはり長編を出す。この本の出し方だが、まず予約をとるという方法である。「私は、この作品をすこしでもはやく、子どもたちのもとにとどけたいとねがっています。けれども近ごろの、出版界の事情は、必ずしも、私のねがうようにはいかないものがあります。そこで、私は親しい二、三の友人と相談してみました。そして今日はもはや、手を拱いている時でなく、私たち自身に力によって、ある程度の読者をつくることが、もっとも出版への近道だという結論に達しました。」この考え方の道すじとして「出版は、ある程度の部数がまとまりましたら、直ちにかかります。本は信用のある出版社に交渉して、できるだけりっぱなものにします」と、いうことになる。
塚原健二郎といえば児童文学界の長老のひとりである。この人がこういう方法を取らざるを得ない――この方法についての評価はいろいろあろう。マスコミに対してパーソナルコミニュケイション的なものを中心にして読書を組織しようとする、このやり方はかえってプラスの面も持っている。――だが、その起点となったのは「出版界の事情」である。ということは、今日の児童文学界を象徴している。年間、数えるほどしか創作が出版されないという事実が、この『風と花の輪』出版運動に集約されている。まず外的な条件として、児童文学は滅亡している。
そこで本誌の読者にお願いするのだが、この記念碑的書物をできるだけ多く買っていただきたい。連絡先は武蔵野市吉祥寺一六八〇斎藤武治である。
このような条件のなかで、児童文学の時評をやることはいったいどういう意味があるのか。もちろん一冊の本のなかにもいくつもの問題が転がっている。たとえば『みどりのランプ』と、ことしの最初のころに出た『高原の合唱』(おの・ちゅうこう)の主人公の名が同じ一平であり、彼らの住む場所は山奥の村、そして母親と生き別れになっているという点まで一致している。まったく偶然的な一致であるだけに、この現象から児童文学者の考え方のひとつのタイプを引き出すこともできる。
しかし、こうした世界はあまりにもせまく、古い。出てくる結論が見えすいているところで、それだけを単独に論じてみる興味を、ぼくは失っている。宇宙に人間が進出しようとする時代を抜きにして、谷間を照らすみどりのランプになろうとする少年の決意はそらぞらしい。それよりも、たとえば少年マガジンの『13号発進せよ』(高野よしてる)というまんがのほうが、部分的にだが、ぼくにはずっとおもしろい。
怪盗紅とかげが火星人の縮小機と恐竜を手に入れる。縮小機で恐竜を小さくして時限ショックトランクのなかに入れ、銀行の地下室にあずける。五時間後に電気ショックがおこり、恐竜は百倍の大きさになって銀行の建物を破壊する。紅とかげたちは縮小機で恐竜を小さくし、宝石を盗みだす。紅とかげの息子研一少年は火星人の円盤に連れ去られ、縮小機をかえさなければ息子のいのちはないということになる。縮小機をかえそうとする紅とかげと、それに反対する彼の子分たち。六月二十五号のあらすじだが、このまんがの最後は紅とかげが縮小機を火星の円盤にかえした直後、子分たちが恐竜に電気ショックを送り、ふくれあがった恐竜が研一をぶらさげた円盤をくわえているところで終わっている。
『みどりのランプ』『高原の合唱』共に見られる母との生き別れ、そしてふたりの一平とも自分をすてた母を慕いかつ憎むという点などが、浪花節的という意見が多く出てくる理由だろうが、彼らには浪花節との対決、あるいはそれを分析した上での利用は見られない。ところが、この『13号発進せよ』では、空とぶロケット13号やメカニックな建築物を背景にしたため、「いくら悪人でもおれは子供のおやだ」とさけぶ紅とかげの姿は戯画的である。浪花節的セリフが笑いをさそうことより、浪花節的モラルは中に浮いてしまおうとする。そして、恐竜という前時代的なものにつかまれてふりまわされている空とぶ円盤――これは実におもしろい。現代日本がここにはその実態を見せている。
といっても、このまんがの作者はこのような結果を計算し、主体的にそのような材料を消化していったかといえば、そうではなかろう。実に偶然的であり、その可能性は可能性だけにとどまっている。しかし、偶然であったところで、こちらには現代がある。
そして、現代と重なりあって、おそらく人間の原始的、したがって根源的なものに根ざした着想――『少年』七月号の『遊星王子・大空魔団の巻』(伊上勝原作・やじま利一画)では、善と悪の薬を注射された堀田博士が登場する。悪の薬が利いてきたとき、堀田博士は「うおーっ」とさけんで自動車の屋根を突き破り、拳銃を乱射しながら飛び出していく。ジェキルとハイドがここに生きているのはいうまでもなく、この作者は同様な手を前にも使ったことがあるが、人間の分裂がとにもかくにもとらえられようとしている。
ここで少年読者の感じるスリルはおとなよりずっと強烈なものにちがいない。こうしたスリルの根が人間の原始的なもののうちにあるとぼくは思う。『ぼくらは少年探偵団・仮面の恐怖王』はその題名が示す通り、恐怖が中心になっている。国宝のぼさつ像が突然ニヤッと笑うところ、この恐怖は『遊星王子』の堀田博士の場面よりも、はるかに印象深い。さすが江戸川乱歩には年季がはいっているのだが、恐怖はただ読者の興味を引くという点でだけ利用されているようだ。しかし、この恐怖の本質を考えていくことは、『みどりのランプ』など純粋児童文学? の行方を見定めるためにも必要であろう。
島越信は小川未明否定の一因として、彼の作品が「ネガティヴ」だという点をあげている。しかし、未明童話の恐怖感、さかのぼって小波の妖怪趣味、数年前の佐藤義美の童話の恐怖感なども、通俗児童文学の持つスリラー的要素と考えあわさなければ、解明できないことだろう。
ぼくは児童文学時評の対象を通俗児童芸術にまで拡大することにきめた。新しい問題はそっちのほうがずっとふんだんに提供してくれ、現代がそちらにあるからだ。
安保条約と児童文学
『新潮』八月号の『新潮雑壇』に『童話と安保条約』という項がある。その内容は、ことし四月開かれた児童文学者協会第十三回総会が「組合大会よろしくの体で、およそ童話の世界とはかけはなれた安保条約改定問題が数時間にわたって蜿蜒と論議され」、そのことについて坪田譲治氏が腹を立てたということである。
文中「"児童文学評論家"F」という名が出てくる。彼は「安保条約改定問題について蜿蜒と議論をぶちまくった」そうである。このFこと、ぼく古田足日は、この『童話と安保条約』を読んで驚いた。
まず事実がいちじるしくちがっている。安保条約改定反対の件をぼくたち五人が共同提案したことは事実であるが、この問題は総会の最後の五分間ぐらいしか時間をとらなかった。討論らしい討論もかわされなかった。もっとも時間をとったのは、体の悪評高い文部省の図書選択問題であり、これには長老秋田雨雀氏も会長藤沢衛彦氏もこもごも立って発言した。坪田氏の作文に関する質問はこの討議中か、または運動方針審議の時に行なわれた。それについて国文一太郎氏は、坪田氏が「時ならぬとき」にこの問題を出したといっている。(近代文学七月号、『ありがた迷惑みたいな話』)
いずれにしろ「議長は続いてまた安保条約問題討議を宣告した」ということは、まったく事実に反する。また、F及び他の共同提案者のだれにせよ安保条約に関してえんえんとしゃべることはできなかったのである。『新潮』ともあろうもの、事実にもとづいて書くべきである。
しかし、デマのうちには往々真実が含まれているもので、時間があれば、ぼくたちはえんえんと安保条約改定反対を唱えたかもしれない。問題は『新潮』が事実であるかどうかではなく、安保条約改定問題が「おおよそ童話の世界とはかけはなれた」存在であるという、新潮雑壇子の認識の点にある。
ここには、童話は政治とは無関係であるという古びた考え方が見られるようだ。子どもは中立的存在である、政治にも社会問題にも関与させるなという考え方――なるほど、童話は政治にはあまり関係なかったかもしれない。しかし児童文学はそうではない。
六月三十日午前十時三十五分、沖縄の石川市宮森小学校に米空軍のジェット機が墜落、学童十一名の生命を奪った。二年三組四十六名の児童のうち二十三名は死亡、または重軽傷。いやおうなしに子どもたちは政治に関与させられている。このような事実に眼をつむる児童文学者は、もはや失格というよりほかないだろう。
その点、実に童話らしい童話、現在的意味が皆無のものとして、武者小路実篤の『日本太郎』が単行本になって出た。日本の昔話の主人公たちが住むおとぎの島の殿さまのむすこの日本太郎に、ひとりの少女が招かれる。島の中心人物は花さかじいさんで「枯れ木に花をさかせるのも、あの人ではじめて、あの灰が生きるのです。ほかの人では、あの灰はだだの灰とちっともちがいありません。」なぜかといえば、「花さかじいさんにとっては、この世は美の世界、愛の世界、なみだの世界、それも感謝のなみだ」の世界だからである。そして、このような人、「自然の法則と調和できて、心からいろいろのものを愛することができる人」が「この世で一番幸福な人」だという。
この花さかじいさんのような観念的人物よりも、風俗的であるにせよ、少年サンデーのまんが『スポーツマン金太郎』のほうが現在性に富んでいる。
ただ自分の思想をはっきり打ち出すことをしない児童文学作品の多い今日、『日本太郎』が作者の思想を前面に押し出していることは注目に価する。
『日本児童文学』六月号の『ユモレスク』(吉田とし)は新しい児童文学にむかって一歩を踏み出している。交通事故で死んだ「わたし」という設定。父は名誉と金、市会議員と企業家の夢にとりつかれており、若い継母は音楽の家庭教師を愛している。その山内先生の演奏会の夜、他の弟子とちがって「わたし」だけがユモレスクの独奏をやることになる。それは「わたし」のためではなく先生自身のねうちをあげるためだということが、ふとした会話からわかる。父も山内先生も実は「わたし」のことなどどうでもいい。若く美しい母がすべてを変えてしまった。「わたし」は母を憎みたいが、憎むことのできる材料は何もない。「わたし」は演奏をしないで交通事故で死ぬのだが、練習のためテープに吹きこんだユモレスクが残っている。父はせめてもの罪ほろぼしにと言いながらこのテープをレコードに作りなおし、娘の死をなげく父という名を売ろうと考える。
ほぼこのような内容で、まったく背をそむけあっている家族の姿、その内面がたち割られたように浮かびあがってくる。少女趣味的部分、古い童話の痕跡、ごたついている文章など欠点も多いが、ここでは日本の状況がとらえられようとしており、人間が内がわから、それもデフォルメされた形でとらえられようとしている。
しかし、この試みは一般文学のなかではすでに使い古されたものであり、より新しい芽生えは同人誌『やっこだこ』の『暗いデパート』(新冬二)に見られる。「『キミ・キミ』けれどトオルはすましていた。じぶんのことじゃない。ぼくにはなんにもかんけいないんだ」という書きだしがこの一編の主題になっている。トオルはおとなの男に手首をつかまれる。アナウンスは「ヨシムラトオルさま」を呼んでいる。「あれ、ぼくのこといってる」とトオルは言う。しかし、呼ばれているのはこのトオルではない。
偶然のからまりあいがこの作品の前半を占めている。読者には、一体なにが起きたのか、前半だけでは意味がつかめない。いわばスリラーじたてのものであり、自分とは関係のないところから、あるものが突風のように襲いかかってきて、人生をめちゃめちゃにしてしまうという、現代の断面がかかれている。トオルは万引きしたのだが、だが一歩ちがえば、いまアナウンスで呼びだされているヨシムラトオルが万引きしたかもしれない。いわゆるリアリズムを越えて、抽象的とさえいえる児童文学作品が生まれようとしているのだ。混乱の現代を書こうとするには、こうした方法がもっともっと押し進められるべきだと思う。
戦中戦後の体験と児童文学
『だれも知らない小さな国』(佐藤暁・講談社)は、ことしになっての創作児童文学のもっともすぐれたものである。ことしというより、ここ数年間の『ながいながいペンギンの話』や『コタンの口笛』に続く問題作というべきであろう。
少年の日、「ぼく」は林と山にかこまれた泉を見つける。その泉と小山が「ぼく」の秘密の場所になる。ある日、その泉から流れだす川のなかの岩の上に女の子が立っていた。その子の赤い運動ぐつのかたっぽうが川を流れていき、このくつのなかに小指ほどしかない小人が数人乗っていた。「ぼく」はくつを拾いあげたが、もう小人の姿は見えず、女の子もいなくなった。戦後、「ぼく」はこの小山のことを思いだし、その小山を自分の手にいれようと決心する。小山へやってきた「ぼく」の前に小人たちが姿を現わす。「ぼく」は彼らがコロボックルの子孫だということを話してやり、彼ら自身はスクナヒコナの子孫だと言っている。この小人たちの国、これを「ぼく」は守っていく。
ざっとしたあらすじは以上のようなものだ。この作品のすぐれているのは、その泉のある小山のイメージが明確に提出されている点である。この泉をかこむ小山、イコール、コロボックルの住む国であり、他人がそれをおかすことはならない自分の心の世界であり、自分を人間として支えている根源の世界である。自分の根源の世界を正確なイメージで定着させたところ――林にかこまれた泉のそばにひとりすわっている少年の姿は実にあざやかであり、ぼくたちはその姿に郷愁というのではなく、少年時代における人間の自覚を見ることができる――ただ技術にだけ頼っている職人的童話、あるいは資質の流出にまかせて書いた童話とちがって、おろしている根は深く、新しい方法を獲得している。自分の内がわにあるものを詩としてうたうのではなく、散文によってそのものを明確に形成し、追及していっているのである。
平塚武二がその推せん文で言っていたように、この作品はたしかに「新しさ」を持ちこんだ。その新しさは、さらに作品が戦争と戦後を経てかかれたものだということも意味している。戦中戦後の体験がこのなかには生かされている。「そして、終戦がやってきた。むし暑いま夏のことだった。ぼくは、焼け野原になった町に立って、あつい雲がはれるように、ぽっかりと小山のことを思いうかべた。」
「ぼく」は少年の日、発見した小山を「ひとりで遊ぶには、もったいない」と思うこともありながら、なかまに言わないでがまんした。なぜなら「ガキ大将どもは、見つけたぼくのことなどすぐわすれて、この楽しい静かな小山を、あらしまわるにちがいない。もちの木も、つばきの座席も、とりあげられてしまうだろう」からだ。
そして、読者であるぼくは戦中戦後、自分の心のなかに他人が土足のままで立ち入り、ぼくもまた土足のままで立ち入ったことを思いだす。新聞広告、ラジオ、テレビの広告はえんりょえしゃくなしにぼくたちの心に踏みこんでくる。
だから、この小山をつぶして道路をつけようとする計画に「ぼく」と小人たちは反対する。この作品には現代が、個人の内部を踏み荒らそうとするものへの抗議が生きているのだ。
だが――とぼくは思う。このだれも知らない心の世界は実に貧しい。この世界は実感でしかない。実感だということは、ほんものの思想がこの作品のなかには生まれ出ようとしていることを意味している一方、理論に支えられない実感は弱い。いったい、このような個人の内部世界がこの現代で守ることができるものかどうか。また守るに価するものなのかどうか。
もちろん人間の尊厳は守られなければならぬ。だが、その内容となるものは、この外部世界とは関連しない秘密の場所、心のやすらぎの世界なのか、けっしてそうではなく、外部を変革していく内部世界こそが守られなければならないものと、ぼくは思う。ぼくは『第四氷河期』に書かれ、『われらの時代』にとらえられた今日の状況を思いだす。この状況のなかでは『だれも知らない小さな国』は生きのびることはできず、この状況と太刀うちしていくことはできない。この作品は新しいと共に実に古めかしいのである。
戦後体験を扱ったものとして、砂田弘の『はとのむれ空にかがやけ』(びわの実、十七号)がある。皇太子外遊の際、学級代表としてそれを見送りに行った少年が船であやまって死ぬ。新聞には皇太子出発の記事が大きくのり、そのために死んだ少年の記事は片すみにのっているだけである。この事実(らしい)に取材した作品だが、通俗少年小説と生活童話の類型を出ていない。方法に対する認識が足りないのだ。
このふたつの作品に現われているように、やっと児童文学にも戦中戦後の体験の意味をとらえようとする動きが出てきている。これは歓迎すべきことだが、しかし、その弱さを思う時、ぼくは児童文学運動の再編成を痛感する。
戦後、児童文学運動の中心は児童文学社協会にあった。この児文協の運動の弱さが以上ふたつの作品から推し計られる。ほかにも書いたことだが、戦争責任、戦後体験が論じられていれば、ふたつの作品はもうすこしちがった現れ方をしたにちがいない。そして、今日、児文協の危機がその内部で話題にのぼりながら、やはりその過去の足跡を検討しようとする姿勢は取れないでいる。まして未来へのヴィジョンはまったく無い。
八月八、九日、東京で第一回全国児童文学研究集会が行なわれたが、その反省としてこの会の性格のあいまいさが参加者にめいわくをかけたと共に、参加者が主体的にこの会に集まってきたかどうかということが問題になった。ぼくは以前に、児童文学人口の増加は生花人口の増加とかわりないと言ったことがあるが、児文協はこの人口に対してどういう態度でのぞむべきか。童話にひかれ、自己満足におちることの多い児童文学の世界に注ぐ人びとのエネルギーを、他の運動に転換させるほうがかえって有効であり、その人びとのためになるのではないか。今日のような運動不在の状況のなかでは。
作品中の自分
前号で『だれも知らない小さな国』について書いた。その後、この作品について、ふたつの評を見た。石井桃子の評(『図書新聞』九月十九日号)と、いぬい・とみこの評(『週間読書人』九月十四日号)である。ふたりは共に、この作品が、ファンタジィ(空想物語)の領域に踏みこんだ点を高く買っている。
この評価は正当なものである。そして正当であるにもかかわらず、ぼくには奇妙なしこりが残る。もっとも本質的なものを見落としているのではないかと、ぼくは思う。
なぜ、そう思うのか。その前に、柴田道子の『谷間の底から』(東都書房)にたいして書いた鳥越信の意見を見よう。彼は言う。
「一方では『児童文学重視』の傾向から思想やテーマが稀薄となり、一方では今日的課題に立ち向かえば児童文学ではなくなってしまうというアンバランスな状態を前にして、それでもなお私は、この二作(もう一作は福島享の『短針王子と時間たち』)の姿勢を『だれも知らない小さな国』などと同じ比重で問題作と評価したいと思うのだ。なぜならこのアンバランスな状態を克服するために両者の芸術的統一こそが私たちに与えられた当面の課題であろうと考えるからである。」(図書新聞」九月十九日号)
鳥越の『だれも知らない小さな国』に対するこの評価は、この作品を彼の言う「児童文学のロジック」の側面からとらえることによって生まれてきている。この態度は前述の石井、いぬいの態度に共通している。いぬいは「読む人によってはこの小さい国は日本の縮図ともとれようし、そう見てくれば問題意識のせまさも指摘されよう」と書いている。とり越し、いぬいは一方に児童文学性(?)みたいなものを置き、一方に問題意識を置いているのだ。
ここで、ぼくの奇妙なしこりが出てくる。ぼくが『だれも知らない小さな国』を高いものとするのは、その根底に戦中・戦後の体験が生き、それをバネにしてひとつの思想を作りあげようとしている点によっている。そして、その思想が停滞のなかでの充足とでも言うようなものであるため、ぼくはこの思想に反対する。そして、この思想こそ、おそらく未明や広介、さらには千葉省三を含む日本近代童話の正当な流れに上に位置しているものにちがいない。
児童文学批評に欠けているのは、この思想の問題である。今日的課題、問題意識という意識化された部分ではなく、ぼくたちの心に沈んでいるどろどろしたものにこそ眼をむけ、それと方法との関係を考える必要があるのだ。
そこで『谷間の底から』だが、この作者はまだ自分のことばを持っていない。戦争中の学童集団疎開に、当時少女の作者自身が参加し、それを取材したものだから、作者としてはもっとも書きたいもののひとつにちがいなかろうが、問題はその体験が今日どのように消化されているかということだ。
この作品で、ぼくは作家というより主婦の眼を見た。この作品は現実にひきずられて行くという点で、主婦の生活記録に似ている。主人公の千世子は言う。「わたしって、けんかして負けても、試験がうまくいかなくても、くやしかったり、かなしかったりしても、家に帰ってみんなしゃべっちゃうと、それですっきりして、あとはわすれてしまうのよ。そんなときには、おとうさん、おかあさん、おにいさんたちが、こうだああだといってくださった。だからわたしは、自分ひとりでかなしいとか、うれしいとかいうことについて、あまりしんけんに考えたことがなかったの。わたしの心は、そういうことを深く考える力を持っていなかったのじゃないかしら?」
このことばは、いわば自己確立をめざす姿勢から出てきている。この姿勢は生活記録にも見られるものだ。そして、戦争が終り、東京へ帰る列車のなかで千世子は先生にむかって、「わたしは自分で正しいと思うこと、自分の良心にだけ服従します」と言うのだが、「自分の正しいと思うこと、自分の良心」を信じられる作者を、ぼくはうらやましく思った。
いったい何が正しいのか。『だれも知らない小さな国』はその正しさを、小学校三年生の日の林の奥の泉のそばにひとりすわっていた自分に見出した。小学校三年生というのには、おそらく意味があろう。作者佐藤暁が小学校三年というのは、まだ日中戦争も始まっていない時期だからだ。作者と、作中の主人公が自分を発見することのできるのは、その時期以後にはない。佐藤にとって、信用できる自分は小学校三年のその時のその自分であり、この自分以外には信用できないだろう。
柴田道子は敗戦以後を信用している。というより、いついかなる時にも偏在する自分という存在を前提にしている。それよりも、自分を問題にするなら、佐藤と同様に、いついかなる時に自分があったのかを考えなければならなかったのではないか。
この自分――作品を見渡す自分がないため、この作品は羅列的に終った。主人公の周囲だけ照らしだされ、他の部分は闇であるという主観的な記録なのだ。そしてこの主観的態度は前記引用の少女小説的ことばとつながっている。事実として、戦争中、小学校六年生の子どもが引用のような会話を行なうかどうか。内容は似ていても、もっとニュアンスのちがったことばであろう。主観的に訂正された会話である。
そこで、もう一度鳥越信だが、彼はこの作品の聞き手は次代の子どもではなく、同世代以上の大人になってしまっていると言い、その理由を、「子どもが常に自主性や個性を喪失した受身の存在でしかなく、従って児童文学のロジックが確立できなかった日本の歴史、社会全体のゆがみとして考えたい」と言う。
ぼくはこのことばにひっかかる。この文章は言い足りないところがあると思うが、子どもが受身であろうとなかろうと、そこには問題はない。少女柴田道子の受身の姿を、今日の柴田道子がなぜとらえなければならないのか。また、なぜその姿を子どもにむかって語りかけなければならないかということ、問題はこっちのほうにある。
『荒野の魂』と民族問題
斎藤了一の『荒野の魂』(理論社)が出た。早船ちよの『山の呼ぶ声』と共に、この社の創作少年文学シリーズの最初のものである。『荒野の魂』は同人誌『トナカイ村』に連載されているころから、ぼくはこの作品に期待していた。なぜかといえば、時は江戸時代末期・場所は北海道・そして主人公ムビアンはアイヌ酋長の孫として、神のお告げによって熊祭りの日に生まれた。神は同時に和人の侵入を伝えた。
この書きだしから、テーマが被圧迫民族の抵抗であることが容易に予想される。このテーマはまさしく今日の日本民族の問題である。そして、またその書きだしの熊祭りの夜の異常なふんい気は、この作品が叙事詩的なものをねらっていることを示している。しかも、本格的な歴史小説に発展する可能性。
以上の理由から、ぼくはこの作品を期待していた。ただ、この異常な雰囲気・緊迫感が明確なイメージとしてはこないで、作者の主観的な緊張によりかかっている面があることには不満を覚えた。
できあがった作品はぼくの想像とはいくらかちがっていた。その最大の弱点は結末にあった。和人にだまされてとらえられた父の酋長タリコナと部族のひとりツカホシを、ムビアンと姉のベチカが救いだす。姉弟が彼らをさがす和人を殺そうとすると、ツカホシはそれをとめ、その声を姉弟はカムイの声、あるいはカムイと話すことのできた祖父の声ときく。そして、彼らの脱出に手をかしたのは和人の百姓であった。彼らは思いあたる。「ひゃくしょうたちは同じ和人でありながら、アイヌと同じようにさげすまれ、こき使われている。同じようなくらし。あわれな者同士。」
この本の出版記念会で、鳥越信はアイヌが和人のひゃくしょうと手をつなぐことがこの作品のテーマであろうと言った。しかし、そのテーマは全編に及んで形象化されてはいないと言った。ぼく彼にある程度さんせいし、ある程度ふさんせいである。
つまり、この結末にはふたつの方向性が見られる。ひとつは鳥越の言った通りのことであり、ひとつはツカホシの次のことばに現われている。和人を殺すことができず、和人の鉄砲に対して戦うことのできなかったムビアンは「おれ、負けた」と言った時に、ツカホシは「それでこそ、神の生んだ男になったのだ、神の魂をうけついだのだ。負けはせん」と言ったのだ。
侵略者を殺さず、人名を傷つけないことが「神の魂」であるとの立場、この精神がこの結末にもうひとつ含まれているのだ。そして、この精神は作品の前のほうの部分にもちょいちょい顔を出す。姉弟がツカホシと一緒にシャケうちに出かけた時、ツカホシはわざとサケを殺さず、水だけを打つ。「生き物がほかの生き物をあやめずには生きていけないということは、かなしいことだ」と、ツカホシは語る。
この苦悩、これは作者の苦悩である。そして、和人を殺さないというこの立場をおし進めていく時、アイヌはほろびるにちがいない。このようにしてほろんでいくこと、これも神の魂の為すわざであって、またよしと言えるのではなかろうか。作者はその方向にも迷いこんでいるようにも見える。
このふたつの解決の比重はどちらかといえば、人を殺さずほろんでいくほうに傾いているように、ぼくには見える。しかし、それが不徹底であったため、日本民族の今日の態度を決定させるようにはなっていない。作者はやはりその矛盾のなかを迷っていいるのである。この作品は矛盾の集積である。ムビアンの母シラリカははげしい労働のなかで「自分の体だけを働かせれがすむことを思って、まんぞくしていた。和人の中には、金や力にたよってたにんに働かせる者もある、と聞いていたからである。」彼女は「ヒビのきれた手をながめては、じぶんの手でよかった、と思う。痛む腰をさすっては、たにんの腰でないことに、安心した。」
作者はここでも迷う。ムビアンは次のような問いを自分に出す。「アイヌのように、獲物をわけ合ってくらす方が、ほんとうの幸せというもんだろうか。」これに対比されるのはりっぱな家に住み、いい着物を着る和人の幸福、つまり物質的幸福であり。その幸福は他人の下積みによって支えられている。ムビアンは自分の問いに答を出す。アイヌのくらしは「魂の中から生まれたくらしだ」と。迷いながら、ムビアンはアイヌの現在の生活を肯定したのだ。
一方、姉のベチカは熊祭りの日、熊を殺す場所に立ち会えないことに疑問を持つ。アイヌの現在の生活に対するこの否定、ここにも矛盾が現われる。
かぎられた獲物をわけあう生活の肯定の底には、原始共産制へのあこがれがひそんでいる。作者のなやみ――観念的な面を多大にもつなやみであり、それがイメージを明確には形成しない文章となってくる――は心の底にかくれている、この世界の再現に帰着したと見える。この世界のかぎられた獲物をわけあうヒューマニズムは人を殺さぬ精神に通じ、その終結はほろびの賛歌に至る。この際、作者はなぜ獲物の増加、増加させるための道具、たとえば鉄砲のことを考えなかったのだろうか。現実を離れて観念の世界へはいりこんだためと思われる。
そして、この原始世界へのあこがれは非常に強い面と弱い面を同時に持っている。「わしらの国は、わしらの足が地についているかぎり、見捨てはせん」というツカホシ。この楽観的な強い精神の反面、ツカホシはクマを彫る時、クマを彫ろうとはせずに、木のカムイのいうままにマキリを動かしていく結果クマが現われてくるという。いわば運命的なものにも通じるこの矛盾、あるいは混沌。この混沌を処理し得なかったことが、この作品のあらゆる矛盾の根本になっているように思う。
そして、これだけ多くの矛盾が現われていることは、この作品が日本の現実を深くとらえていることを意味している。民族的な課題をどう生きていくかということについて、作者は実に誠実になやんでいるのである。児童文学のなかで、はじめて民族の課題に真正面から取りくもうとした作品が、現われ、その矛盾はさまざまの問題を提起している。(『近代文学』一九五九年七月号〜一二月号)
テキストファイル化筒井貴子