『児童文学の旗』(古田足日 理論社 1970)

C 日本児童文学・現在の問題
     ――リアリズムを中心に



『つるのとぶ日』という本がある。「ヒロシマの童話」という副題がついていて、その本の箱の絵はおりづるが空をとぶ絵。といえば、もうだれでもけんとうのつくように、この本は原爆童話集であって、十七編の作品がおさめられている。作者は広島の児童文学サークル『子どもの家』同人の大野充子・御手洗旬江・宮本泰子・山口勇子の四人。
 管忠道が解説を書いているが、それによれば『子どもの家』同人のある人はこの本のできあがる動機として次のようにいった。「わたしは、ヒロシマの原爆体験を、なんとかして民族のあとつぎである子どもたちに語りつたえたい。そのために童話という表現の技術を身につけたい。」
『子どもの家』同人の多くは主婦で、なかには孫のいるおばあさんもいる。このいわば素朴なところで原爆体験が語られた。その結果、この本は作者たちの意識をはるかにこえて、いくつかの問題を日本の児童文学にむかって提出したことになった。なぜかといえば、主婦一般、広い層にひろがっている児童文学の技法というものは過去のものであり、原爆体験はこれからの日本人の根源的な体験となっていく、現在の問題である。当然、この結びつきは矛盾をひきおこした。
 本の題名となった『つるのとぶ日』という作品は、サダコ像の前にたたずむ、ひとりの少女の物語。この少女カズエは「つるの会」をやめろといわれている。「つるの会」の子は子どもらしくない、そんなことより勉強しろという、おとなたちの声。カズエは考える。「紙でおったつるなんて、いつまでたっても、とべやしないんだわ、つまらない。」だが、サダコ像はまぶしい朝日をうけて、笑っているようだ。サダコ像はいっている。「おったつるは、とべない。焼かれて灰になる。でもね、つるをおった人の心は、灰にはならないのよ。なん千ば、なん万ば、世界じゅうの人が、一つのねがいをこめて、つるをおる。その、つるをおる心は、火にも焼けないつよいものよ。みんなのねがいの、かなえられる日、わたしのつるが、空をとぶのよ。きっと、くるはずよ、つるのとぶ日が、ね。」カズエの顔はくしゃくしゃになる。「……つるのとぶ日なんて」と、いいかけてうつむく。くるわけがないと、いいたかった。しかし、いえない、という物語。
 このカズエのなやみは『子どもの家』同人のなやみでもある。管忠道はいう。「一方、原爆問題に取材した童話を書きつづけてきた人から、『ちかごろ、いきづまりを感じて、もっと別のものが書きたくなっている』と、うったえられた。そのことばのひびきも、わたしには印象のふかいものでした。」童話『つるのとぶ日』はこのなやみをそのままはきだしたものだ。とすれば、もっと破綻があってよい。いままでの童話では律し切れない、そのなやみを天にむかってはきだす姿が。カズエはただサダコ像の前で物思いにふけっているはずのものでない。カズエの行動の破綻がカズエの生活にはあるはずだ。
 なぜ作者はカズエの行動を追わなかったのか、ここで、ぼくたちは児童文学の根本的な問題につきあたる。さきにいったように、作者たちは原爆体験を子どもたちに語りつたえたいため、「童話という表現の技術を身につけたい」というところから出発した。この姿勢が実はさかだちなのではないかということだ。
 ぼくにはむしろ「いきづまり」を打開するために子どもの文学にはいってくるという姿勢の方が、自然であり、まともであると思われる。いや、出発はどうであれ、そう進んでいかないかぎり、あとは体験の切り売りになる。ことばは表現のためでなく、認識のためのものである。
 それを表現技術と考えたところから「いきづまり」が生まれた。「いきづまり」はもちろん原水禁運動の「いきづまり」とつながる。その方が原因であり、その方に解決のメドがたたないかぎり、作品はいきづまる――というのであれば、これは文学の放棄である。現実のあとをしか追っかけない文学というものは存在しない。もともと児童文学は作者の内的要求から生まれるものだ。
 もちろん子どもへの伝達から出発する場合もあるが、ことばはその主体にもはたらきかけ、表現は認識に転化する。認識に転化しない表現は死物である。とすれば、作者たちの姿勢と共に、認識に転化しなかった表現の質が問われなければならぬ。
 十七編の童話は次のようにならんでいる。「はじめには原爆の日のことを中心にした作品、つぎに原爆後遺症をめぐる作品、おしまいには原爆被災地に不死鳥のように立ちあがる人びとの姿を描いた作品」(管忠道)である。これを読み進んでいく時、最初の群にいわゆる童話が多く、あとの方ではリアリスティックなものがふえてくる。そして、読者にある感銘を与えるのは、最初の童話群である。
 つまり、表現技術としての童話は過去を伝達することはできた。しかし、作品『つるのとぶ日』のように現在の問題と切り結ぼうとすれば、一応リアルな書き方をせざるを得ないし、ただなやみ、実感をはきだすだけに終る。児童文学のリアリズムの方法はまったく確立していないのである。
 また過去の伝達といっても、作者たちの立場は当然現在である。過去と現在をつなごうとするとき、童話の技法は作者たちをうらぎる。たとえば、毎年、八月六日、天国の門を出ていく人がある。この人は地上にわすれてきた自分の影をとりにいく。原爆はその人の影を石の上に焼きつけた。石だんに焼きついた影ははがせない。そのうち、影は鉄のさくでかこいをされ、この人は自分の影をとることができなくなる。物語のさいご、遠くから原爆の歌がきこえてくる。その人は歌をききながら自分の影のそばに立ち、やがて「とぼとぼと」天国に帰っていく。
 どうして天国に帰るか。この男が神に反逆し、地上にあって自分の影を忘れた人びとに挑戦するとでもいうようなやり方は考えられなかったのだろうか。実はこの物語は完結していない。にもかかわらず、天国という設定に作者が足をすくわれた。天国に帰れば、物語は一応完結する。
 完結しないものを完結させてしまう技術、これを作者たちは身につけた。この『かげをわすれた人』の印象は強烈である。しかし、なやみをはきだしたままで、これもおわる。閉じられた世界のなかでの形式的完結だ。
 こういう「童話」はかつての未明童話につながる。だが、未明の自己完結は宇宙の運動の自己完結であった。つるのとぶ日を、人間の手で手に入れようとするぼくたちとは、すでに立場がちがう。立場がちがうところで技法だけが利用された。この際、表現技術は認識には転化しない。
 未明との関連はまた内容にも見られる。『川のほとり』という作品。がいこつになったドーム、そのドームが美しかったとき、ある「はれた夏の朝」、突如として原爆が落とされる。少女はそのとき、朝日にむかってまどをひらき、自分の行きたかった女学校をみつめている。この少女のいる応接間には、「あかるい空気と、おいしい空気」があふれていた。
 この表現は平和な風景としてしかうけとれない。そこに原爆がサクレツする。いま、少女のたましいはさけんでいる。「どうしてなの。どうして、わたしは、こんなになったの。わたしは、窓をあけて、そとを見てただけよ。なにもわるいことなんか、しなかったわ。どうしてなのよう。」
 原爆は告発される。だが、戦争はどうなったのか。少女の死をもたらしたものは、原爆だけではない。戦争もそうだ。戦争と戦争体制のなかで原爆は告発されるべきである。
 戦争のことを考えるとき、「なんにもわるいことなんか、しなかったわ」という、少女のことばにぼくはひっかかる。さきの『かげをわすれた人』も神にいう。「わたしは、なにもわるいことをしないで、ひとりで、いっしょうけんめい、はたらいていただけです。あの原爆とかいう、おそろしい爆弾で、死んでからも、こんなにくるしい思いをしなくてはならないのは、なぜなのでしょうか。」
 当時はまさしくそうであったといえる。しかし、現在はそうではない。「なにもしない」ことが悪いことだ。ふりかえって、原則的にいったら、おとなが「はたらいていただけ」で戦争をふせぎとめるたたかいをしなかったことが、ドームの少女の死を招く、一つの原因なのだ。
 現在、「なにもしなかった」ということで、自分を正当化することはできない。ここにうかびあがってくるのは、被害者意識である。未明にあった、突如として爆風がおこる宇宙の運動――、未明という主体内の現実が、原爆という客観的暴力にも適用された、ということになるかもしれない。
 そして、さらに作者たちのなやみの表現が、たとえば前述『つるのとぶ日』のカズエのなやみがどこまで現実の子どものインタレストをよびおこし、どこまで浸透していくかを考えれば、これも疑問である。
 こうして、表現技術を軸にして、いくつもの問題がこの本から抽出される。それを整理すれば、次のようになる。
 1 作者がなぜ子どもの文学にかかわるということがあきらかにされていないこと。
 2 作者の実感にたよって、自然主義的であること。
 3 被害者意識。
 4 おとなの感情吐露としてでなく、いまの子どもたちとインタレストを交流し得るように書かれているかということ。
 そして、5として、『かげをわすれた人』『つるのとぶ日』などが内容的に提起している現在の状況がある。



 以上の問題は『つるのとぶ日』だけの問題ではない。日本の児童文学全体の問題である。たとえば、三月十日の東京空襲を書いた早乙女勝元の『火の瞳』という作品があり、ここにはいかりがあり、さけびがある。だが戦争の正体は不明である。『つるのとぶ日』が実感的であったように『火の瞳』も実感に頼っている。
『火の瞳』が果たす役割を認めないというのではない。しかし、感情的に原爆や空襲にさんせいをしない人の方が、いまでもやはり多いにもかかわらず、この感情は組織されない。集団的な力にならない。『火の瞳』と次元のちがう立場にぼくたちは立たなければならぬ。
『火の瞳』も戦争を知らない子どもたちへの伝達――「非人道的」な無差別爆弾を子どもにつたえようとするところから生まれた。そして、これは早乙女のようなおとなの文学の作家が子どもに対するときの、当然の姿勢である。だが、子どもの文学にかかわることは、自分のうちにある子どもと対話することだ。対話を重ねて、うちにある子どもがほりおこされたとき、作者は新しい自分と対面する。そして、子どもと対話を重ねていくのは、その子どものなかに可能性を予感しているからである。人間存在の根源的意味、変革の可能性等。
『つるのとぶ日』と、『火の瞳』の共通性は共に実感的であったという点と共に、もう一つ、外部伝達を主として、この内部の子どもとの対話が抜け落ちていたということになる。
 乙骨淑子の『ぴいちゃあしゃん』――この題名は漢字で書けば筆架山であり、中国の山の名である――は実感的なものをまったく排除して、戦争というものをあきらかにしようとしたが、ここにもやはり内部の子どもの対話はない。なぜ自分が子どもの文学にひかれていくか、作品はつねにその答であるはずなのだが、それが見られないのが、ぼくには残念だ。
 だが、くやしがっていてもしかたがないのであって、これが現在の児童文学の状況であることを認めよう。では、こうした状況をのりこえようとした作品――内にある子どもと対話しつつ、日本の現実に立ちむかった作品はなかったのか。
 それはあった。リアリズム作品に限定していえば、二つの作品がある到達点を示している。山中恒の『とべたら本こ』、吉田としの『巨人の風車』。また全面的には児童文学ではなく、したがって、作者と作者の内部の子どもとの対話はないが、十分子どもの文学の要素をそなえている早船ちよの『キューポラのある街』。この三作の到達点と、今後の問題を考えよう。
 被害者意識とまではいかないが、被害者を書くことによって社会を告発するという作品は、日本の児童文学に多い。未明が「子供は虐待に黙従する」といい、その代弁者になろうとして以来の伝統である。そして、これは微妙なところで被害者意識に転落する。
『とべたら本こ』と『キューポラのある街』はこの被害者の文学からぬけ出ようとした。『とべたら本こ』の主人公のカズオも、『キューポラのある街』のタカユキ(主人公ではないが)も、けっしてめそめそしない。彼らにとって、世の中はすべて敵である。そこを生きていくために、彼らは子どもなりに最高度のちえを発揮する。
 家出――というほどのはっきりした決意はないが、「あんた山田のカズオさんだな」という老婆のうちについていく。ここにはカズオの判断がはたらいている。なぐられるために家に帰るより、老婆についていく方がとくだという判断。そして、この老婆も実はカズオを利用しているのだということがわかったとき、カズオはふくしゅうを決意する。だが、これはじめじめしたふくしゅうではない。「ふくしゅうか、ちょっといかす言葉だな」という、ふくしゅうなのだ。
 タカユキも家出する。少年なかまでコオロギ島とよんでいる、ひろい空地の土管のなかで寝る。タカユキはここで「手足をのびのびとのばし、土管の外の世界に、耳をすます」。トラックの音、ラジオのジャズ、アパートの工事場のリベッティング、貨車、クラクション、オートバイ、キューポラのうなり。「『外の世界って、実にいろいろ音をたてているんだなあ。』タカユキは、この新しい発見に、むしろ、びっくりしてしまう。」
 ここにある子どもの姿はみごとである。家出しながら、新鮮なおどろきを感じる。これ
はたしかに子どもであって、おとなではない。
 もっとも『キューポラのある街』は結果として、子どもにもインタレストをよびおこす作品となったのであって、子どもの文学の約束は無視されている。細部でいえば、たとえば出産の場面では、中学下級以下の子どもたちを読者と想定した場合、主人公ジュンがおぼえるような感動は期待できない。『キューポラのある街』は純粋な児童文学ではないのである。
 そのことはさておき、カズオもタカユキも十分ひとり立ちのできる少年である。彼らには、被害者どうし体をよせあってなぐさめあうというふうな、ものの感じ方はない。彼らは独立の人格であって、おとなにはけっして従属していない。彼らは独自の生活技術を持っていて、自分で自分の生活を切りひらく。
 ことにカズオの場合、そのずるさは日本民話の主人公に似ている。彼は二度、死ぬまねをする。一度は母親になぐられ柱に頭をぶつけられたとき、その母親の手からのがれるため。二度めは家出ののち、金もなくなり、冷汗が出るほど腹がへったときだ。彼はデパートの薬品売場で睡眠薬をのむ。「死ぬまねをする。しかも、誰かに、それを見ていてもらわなければならなかった。彼は救ってくれる物好きな慈善者がほしかった。」
 これは弱いもののちえである。カズオは動物映画を見る。その感想――「カズオも命こそかけないがたたかっているようなものだった。弱いけものは、強い敵をあざむき、だましながら生活していた。それが弱いもののたたかいであるなら……」強い敵をあざむき、だます。このやり方はたとえば、小僧が和尚をだますとんち話に似ている。彦市や吉四六など、民話の主人公の姿がカズオに重なりあう。
 こうした、人間の行動の原型をとらえるのが児童文学であって、山中は自分が子どもの文学とかかかわり合うその一点を、弱い者のたたかいとしてとらえた。ただし弱い者といっても、追いつめられてなみだを流す弱者ではなく、しかえしの決意と同時に、ふくしゅうということばはいかすことばだな、というようなことを感じないではおられない弱者である。
 この性質――弱さとその反面の楽天性は子どものなかに内在する。子どもはこの矛盾の統一体であり、ここで作者の内部の子どもと、外部の子どもは往復可能になる。作者の内部のもやもや――なぜ児童文学にひかれていくのか、子どもの文学にかかわっていくのかというもやもや――は子どもの姿をとり、その子どもは外部の子どもをくぐって、しだいに姿をはっきりさせてくる。
 子どもの文学のリアリズムはこういうものであり、これをひと口にいえば、作者の内部要求を外部の子どもに見出すということになろうか。しごく当然といってよいこのかかわり方が、いままでそれほどあきらかにされていなかったことは、この小論のはじめにあげた『つるのとぶ日』以下の作品をみればわかることだ。
『とべたら本こ』にくらべると、山中の前作『赤毛のポチ』での作者と児童文学のかかわり合いの仕方はムード的である。児童文学にかかわり、子どもというものを発見していくために、山中はムードのかわりに、動物的生存の世界を設定する。カズオの冒険と遍歴という古典的すじだてのなかで、彼は子どもと自分を限界状況の中においた。親も敵であるという世界だ。というより、山中がみている世界は実は生存競争の世界であり、彼はそれに批判を加えるより、その中で生きぬく道の方をえらんだ。『赤毛のポチ』の労働組合結成にあたムード的団結では、現実の攻勢の前にはひとたまりもないのである。
 いぬいとみこの『北極のムーシカミーシカ』は白くまのふたごの物語だが、この中に母親ぐまがアザラシの肉をたべるところがある。ところがミーシカはアザラシの子どものオーラとなかよしだ。そのオーラのなかまのアザラシの肉を母親ぐまが食べている。ミーシカは目をつむり、顔をそむけ、もどす。母親はいう。「ミーシカ、あんただって、これから大きくなるまでには、アザラシをとることを、おぼえなくてはならないの……。」「いやだ、いやだ、ぼくはいやだ……。」ミーシカはのどがさけるほどの声でさけぶ。のちミーシカムーシカがうえたとき、父親ぐまは二ひきにアザラシの血をのませ、ミーシカは知った。「ミーシカ、ムーシカを死なせないためには、とうさんはああするよりほかはなかったのだ」と。
 しかし、この場面があるからこそ、動物達が一日くいあいをやめる「北極の夏の祭り」が心を打つ。
 いぬいは現在は生存競争の社会であることを認め、ここに立って人間の自由な連帯の世界を願っている。山中の場合はここで生きぬくことを語るので、吉四六や彦市には権力への批判はあったが、カズオにはそれがない。
 とにかく『とべたら本こ』では、被害者の社会批判ではなく、個体の生存に即したところで、人間の自立が語られる。これは一つの到達点である。ぼくたちはここから一歩前進しよう。「北極の夏祭り」に近づくためには、どういう手つづきが必要なのか。



『巨人の風車』は革命の物語である。サンタ・マリア号事件――ポルトガルの豪華船サンタ・マリア号がカリブ海上でエンリケ・ガルバン大尉とその同士たちにうばわれた事件が材料となった。
 この少年小説の中心思想をみることができるのは、ガルバン大尉にあたる作中人物オリヴェラ大尉と主人公マヌエル少年がドルシネア作戦について語りあうところだ。この作戦の名はセルバンテスの『ドン・キホーテ』からとったもので、ドルシネアは実は百姓の娘で色黒い大女だが、ドン・キホーテはすごい美しい貴婦人だと思っている。「われわれのドルシネアは自由の女神の名まえだ。」「自由の女神のために、ドン・オリヴェラ・キホーテは、サンタ・マリア号をのっとったんだ。」
 だが、このサンタ・マリア号のっとりのドルシネア作戦には予定外のことがとびこんでくる。それは作品の際、オリヴェラ大尉たちに抵抗して傷をおった士官と、えそ患者である。手術しなければいのちはあぶない。だが、彼らを島におろせば、船のありかがわかる。この矛盾の中で、大尉はふたりをおろすほうをえらぶ。
「サンタ・リベルダーデ号(サンタ・マリア号はオリヴェラ大尉の指揮下にはいって以来名をかえた)は、いま、ポルトガルの新しい国としよう。この国では、ひとりの人間の命も大事にしようじゃないか。わたしは聖なる自由のためにこそ、ひとつのいのちもおしみたい」と、大尉はマヌエルに話す。
それは、のち隊員アントニオによって、くわしく説明される。「革命におなさけは禁物だって」というマヌエルに対して、アントニオは、おなさけなんかじゃないという。「大尉のゆめさ。ゆめだよ。理想といってもいい。大尉は、革命・反乱のまっただなかに、自分のゆめをはめこんだんだ。」
 オリヴェラ大尉はドン・キホーテであり、マヌエル少年がこの夢にひかれてサンチョ・パンザになっていくのが、この物語である。そのためにマヌエルは母親ともはっきりわかれていく。
 夢=理想によって、作者は子どもの文学とかかわりあう。風車を巨人とみることが出きないのは子どもなのだ。マヌエルの母親がポルトガルの警察をおそれ、オリヴェラ大尉に好感を持たないのに対して、マヌエルはまっしぐらにオリヴェラ大尉の夢の中にとびこむ。
 夢は提示された。この夢のイメージはみごとである。大西洋上の豪華船、アメリカの哨戒機が頭上を旋回し、人びとの共感と不安をのせて、《聖なる自由号》は進む。
 では、この夢への共感は日本の現実とどう切り結ぶのだろうか。日本の現実には『キューポラのある街』の世界があり、『とべたら本こ』の世界がある。これについての作者の答はこの本のとびらに示される。「あなたは、マヌエルを、幸福な少年だ、といった。きみのほうは、幸福じゃない、と思うんだね……。」
 だが、夢にとびこむ際、夢はさらに具体的なものとならねばならぬ。でなければ、『つるのとぶ日』のカズエの疑問に答えることは出きないし、夢と現実の両面において子どもの可能性とかかわり合うことが出きなくなる。夢は現実によって修正され、現実は夢によって修正されなければならないのだ。
 夢=理想による連帯はえがかれた。『とべたら本こ』の動物的生存の世界、「ネコであろうと、人間であろうと、どれも信用はできない」世界のなかに、この夢=理想はよみがえらなければならぬ。そして、それを不可能だと笑うとき、ぼくたちはドルシネアの夢を忘れたことになる。



『巨人の風車』の作者吉田としはその前に『少年の海』を書いた。李ライン問題をめぐって、日本の少年が韓国に渡り、李承晩を亡命させた韓国の学生革命にぶつかる物語だ。
 彼女はなぜ外国の事件を書き、日本の事件を書かないのだろうか。これにはいくつかの答があるだろう。一つには日本にはその可能性が認められないからだという答。また一つはその夢によって子どもの文学とかかわりあいの姿勢をかためつつあるという答。ぼくはこの後者の方を取りたい。いまの児童文学の書き手たちはとりあえず自分のやりやすいところで、てんでばらばらにそのかかわりあいを模索しているところだと、ぼくは思う。
 だが、もし前者のような答もあるとするなら、その前提には一つの作業が予定されている。その作業というのは調査である。日本の現実では子どもをめぐって、どのような事件がおこっているのか、それに対する子どもの反応、またある事件のなかに子どもを投入することによってどういう新しい局面がひらけてくるか、というようなことの調査である。
 意外なほど、ぼくたちは子どもの現実を知らない。また知った場合、実感的な次元におちいりやすい。『キューポラのある街』は作者が子どもを執念ぶかく見ていったことで成功を示した例だが、その映画を見ての座談会である中学生はいった。「なぜ民生委員のところへ行かないんだろう。」
 子どもの意見、感想というものはあんがいあてにならないものも多いのだが、『キューポラのある街』に民生委員を出せば、この作品はいっそう社会批判の要素を深めたにちがいない。現行の福祉政策の貧困さが出ずにはおれないからである。
 これは作中人物についていえば、主人公ジュンの知識貧困ということになるかもしれず、また実感で終始した方法の問題ということにもなる。考えてみれば、ジュンもタカユキも、また『とべたら本こ』のカズオも知識貧困であって、彼らは実際の経験からしかものを学んでない。
 しかし、子どもの時間のある部分は学習することに使われている。子どもは社会と学校の両方から学ぶ。すぐれた教師に教えられた子どもがある事件にぶつかったとき、その子はどう反応するだろうか。山中恒は子どもを弱さと楽天性との統一体としてとらえたが、子どもはまた学習によって得た成果と、自分の社会的経験の統一体でもある。児童文学では全然といってよいほど、教育の成果は無視されている。教師が書いた作品であっても、子どもが人間と社会を理解するため学習の成果が動員され、それがふたたび学習にかえるという、教育の構造はとらえられない。
 ということは、調査が現象の調査という次元にとどまっているかぎり、なんの力にもならないことを意味している。教師は少なくとも子どもの現象を知っているはずのものだが、それが生かされない。
 調査は調査にとどまらず、飛躍して、記録にならなければならぬ。『つるのとぶ日』がぼくたちに与える感動は事実の重みである。やきつけられた影が、小さくちぢんだ靴が、その状況と共に提示されるとき、ぼくたちは感動するのであり、天国や、靴が語りかける童話的表現はかえって無用である。
 東京空襲もサンタ・マリア号事件も事実であった。事実から作品が生み出されようとしている傾向があるともいえる。とすれば、事実を事実として提出すること、その方法が深められなければならないのであり、この際、フィクション『とべたら本こ』の方が『火の瞳』や『巨人の風車』より記録の方法に接近している。これは一度書いたことがあるが、『とべたら本こ』の文体は対象に接近して対象を物体化してしまった表現、及び生理的なものへの還元で特徴づけられる。たとえば、
「彼にとって生まれてはじめてといえるほどの、すばらしい善行が、それこそ、どこの誰だかわからぬ男の汗と小便のたしになってしまったかと思うと、がまんがならなかった。」
「老婆の顔は、ひどいあばたとしみだった。しじゅうアメ玉でもしゃぶっているように口をもぐもぐさせると、両方のほっぺたがたれさがった。それを引っぱったら、あるいはチューインガムのように、のびるかもしれなかった。」
 老婆の顔は物体化された。この方法で事実全体をつかむとき、事実は新しい様相を呈することになる。物自体として事実は提出され、ぼくたちの前にすえられる。そして、子どもは、元来即物的にものを見る。
 だが、事実というものは静止しているものではなく、いまあるものもやがては消え、いまないものがあらわれてくる。原爆投下の瞬間、物は変化した。この変化を、原爆投下によって変化させられたぼくたちが、現在の立場から記録しなければならないのであり、ここではカメラの方法が最大限に生かされなければなるまい。
 そして、実感的には突如として原爆は落とされたが、戦争という巨大な運動体のなかでは、これは運動体自身の法則によっている。この運動体の法則と微小な個人の実感とを統一して提出することが記録であるなら、この記録のなかには当然フィクションがふくまれる。
 戦争や、受験体制を書こうということは、実は身のほど知らずのことかもしれない。しかし、内にある子どもと対話しつつ記録を進めていくとき、かつてアンデルセンの子どもがはだかの王様を笑ったようにたかだかと笑いがひびき、また人間の未来をみることができるかもしれないのだ。
(『文学』一九六四年七月)
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