『児童文学の旗』(古田足日 理論社 1970)

F 児童文学の文体 ―なぜ、どのように語るのか

1.おとなは、ふつうおとなのことばでものを考えます。だから、その表現はおとなむきのものになります。ところが、児童文学者―このよび名をぼくはあまりこのみませんが―といわれる人びとは、自分がおとなであるのに、その考えを子どもにむかって表現します。その表現は子どもの論理、子どものことばで、かたちづくられています。
 おとながおとなのことばで語るならあたりまえですが、子どものことばで語ることは変則的なできごとです。こう考えてくると、児童文学者はふしぎな存在です。
 いったいなぜ、児童文学者といわれる人びとは、この特殊なしごとをえらんだのでしょうか。
 児童文学者は意識するとしないとにかかわらず、つねにこの解答をせまられており、すぐれた児童文学作品には、かならずその答が出ています。日本のつい数年前までの児童文学では、その答は作家の資質であったと、ぼくは思っています。ふつうに考えれば変則的な児童文学のしごとが、児童文学者たちにとっては、かえって自然なことでした。小川未明という資質にとって、「童話」という表現が一番ぴったりしたものだったのです。
 坪田譲治の場合はさておき、未明、浜田広介をつき動かしたものは、素朴な自己表現、小児的な自己主張の衝動でした。彼らの作品をさして一口にヒューマニズムの作品ということは、彼らを論じたことにはなりません。その「童話」とよばれた形式のほうにこそ、彼らのかくされたテーマがあります。そのテーマは調和の世界、願望の世界の実現であり、その世界を一瞬のうちにひきよせるために、彼らは書いたのです。
 その調和の世界、願望の世界は幼児の夢想の世界に似ています。彼らは子どもの心性をおとなになっても失わなかった人たちです。いや、強烈な小児性の持ち主だったからこそ「童話」を書いたのです。
 以後、この小児性という資質による自己表現、およびそのエピゴーネンが、日本の児童文学の中心になりました。そして、いくら資質的に子どもに近い人でも、やはりおとなであることにはかわりありません。また作者の小児性が強烈であればあるほど、読者としての子どもは無視されました。小児というものは他人のことを考えるよりも、自己主張をするものです。
 未明、広介の文学は一種のロマン派文学でした。日本の児童文学は、未熟に終わったロマン派文学という一面を持ち続け、だからおとな的なものが骨がらみとなって今日まで残りました。いわば未分化の児童文学なのです。
 先々月から、このらんで小川未明否定ということをめぐって、山室静、鳥越信、坪田譲治、いぬいとみこの四氏がそれぞれの意見を述べましたが、ぼくをふくむ未明否定論(ことわっておきますがぼくは未明の価値を否定しているわけではありません)といわれる人たち数人に共通の主張は、この未分化の日本児童文学にかえて、子どもの理解の行きとどく文学を作りあげることです。
 それをどのようにして実現するかといえば、まず自分が子どもにむかって語りかけたいという、その原因をつきとめることだと、ぼくは思っています。いぬいとみこは、自分に児童文学をえらばせた要因の一つは戦中体験だと、言いました。これは、児童文学に人をむかわせるものが資質以外にもあるということの、はっきりした主張です。
 いわゆる未明否定論の底にうずもれているものは、児童文学という変則的なしごとにむかっていく、その動機の複雑化です。ことし、日本児童文学者協会賞を受けた共同創作「山が泣いている」も、基地のことを子どもにつたえておきたいと、という動機から生まれました。山中恒の諸作は子どものエネルギーへの共感を基礎にしています。
 動機の変化は方法の変化をまねきます。リアリズムの主張もあれば、アバンギャルドの主張も出てきました。だが、あらゆる方法のなかで考えなければならないことは、児童文学の文体ということです。
 ここ数年のあいだに、むかしの「童話」とはちがうものが、いつくかあらわれました。「木かげの家の小人たち」や「だれも知らない小さな国」は空想物語(ファンタジィ)であり、「山が泣いている」や「谷間の底から」は生活記録的です。
 この、あとの二つの作品にぼくはひきこまれながら、この生活記録的文体はもっとどうにかならないものかと思いました。「木かげの家の小人たち」が翻訳的文体だということは多くの人から指摘され、山中恒の「とべたら本こ」にはなまのままの俗語の無神経さがありました。
 この現象は、いままでの日本児童文学に、きたえあげられた文体がなかったことを示しています。いまあげた四つの作品には伝統とは無縁のところから生まれていますが、もしも確立された文体があれば、それへの抵抗がもっとはっきりあとを残すはずです。この四つの作品は、日本児童文学が自分のうちにくりこむことのできなかったことばの例を、それぞれにあげているようです。
 そして、おとなの小説作家たちのなかで児童文学を書くことのできる人の数と児童文学者でおとなのものも書くことのできる人の数とをくらべてみますと、後者は非常にかぎられた数になってきます。この原因は、児童文学の発想が特殊なものになりすぎていることと共に、その文体の特殊さ、ひよわさにあると思います。
 小学校上級から中学一、ニ年の子どもが実際に読んでいる文学作品をしらべてみると、彼らは児童文学よりも「坊ちゃん」や「次郎物語」を歓迎しています。「路傍の石」もそうですし、芥川竜之介も読まれています。すこし読書力のある少年たちなら、小説の文体はけっしてむずかしいものではないのです。おなじ年齢層を読書者対象として書いた、児童文学者の作品があまったるいのは、その文体のひよわさのせいです。小説はもともとおとなをあいてにしたのもで、こちらははじめから子どもをあいてにしたのだから、といういいわけはなりたちません。善太三平童話にはそのあまさはなかったのです。
 この過去の児童文学のもっともすぐれた文体、坪田譲治の文体は受けつがれていません。坪田は広い意味でリアリズムの作家でしたが、児童文学をえらぶ人の多くは前にも言ったようにロマン派だったからです。そして今日、児童文学とおとなの文学とは、はっきりと二つにわかれています。
 児童文学とおとなの文学がこうはっきり区別されることは、ふしぎなことです。「トム・ソーヤーの冒険」とか「宝島」とか、これらは文学です。七十歳の老人でも「トム・ソーヤー」や「宝島」に感動します。しかし、少年時代にそれらを読むことは、少年時代をより充実して生きることです。
 「トム」や「宝島」はその作品のすみずみまで少年に理解され、少年の全人間的感動をよびおこすことのできるものだという点で、児童文学なのです。
 つまり、児童文学とは、その作品の全人間理解がはじまる時期に子どもの時代だという文学です。そういう文学をつくるため、いまやらなければならないことは、おとなの文学と児童文学とに分裂している文体を統一していくことです。「トム」や「宝島」の創作を可能にしたのは、こうした分裂のない文体であったはずです。
 このしごとはもちろん児童文学者だけではなく、文学者一般のしごとです。ぼくはさきにおとなの小説家で児童文学も書ける人うんぬんと言いましたが、実はいまの小説の文体ではたいしたものは書けないというのが本音です。
 さて、ぼくは最初に、おとなでありながら子どものことばで語る児童文学者のしごとは変則的だと言いました。だが、おとなと子どもの文学に共通の文体を手に入れることができたら、児童文学のしごとも正常なものにかわっていくはずです。(「東京新聞」1961年9月)
テキストファイル化山本裕子